異能者たちの苦悩
{{カマイタチ}}
アイドルのように中性的な男は風を集めた剣を手に茶褐色の毛むくじゃらの獣を袋小路まで追いつめていった。
二足歩行の茶褐色の毛むくじゃらの獣は隙をうかがいその場からの脱出を試みようとしている。
――ザッ。
男が差し出した最後の一歩によって茶褐色の毛むくじゃらの獣の逃げ道はなくなった。
茶褐色の毛むくじゃらの獣は万事休すとばかりに体を小刻みに揺らしている。
わずかな隙をついて別の逃げ道を考えてもその答えは宙を舞うより他はない。
茶褐色の毛むくじゃらの獣は猿人のような右足を使って地面をズリズリ擦りはじめた。
男は茶褐色の毛むくじゃらの獣の足の爪を踏んで茶褐色の毛むくじゃらの獣の動きを止めた。
茶褐色の毛むくじゃらの獣のその場しのぎの牽制は失敗に終わった。
茶褐色の毛むくじゃらの獣は男に踏まれていた足を力づくで引き抜き、体を縮めて下がっていった。
――ザザッ。
男はアスファルトの砂利を強く踏む。
男の一挙手一投足に怯えはじめた、茶褐色の毛むくじゃらの獣の足がピクリと動いた。
茶褐色の毛むくじゃらの獣は火を前にした獣のごとく無策のまま――グゥと吐息を漏らしすきっ歯の歯で歯ぎしりをしている。
男の右手は風の剣と一体化していて先にいけばいくほど先細るランスのようだった。
茶褐色の毛むくじゃらの獣は男が掲げた剣によって全方位の反撃経路を封殺されている。
仮に空を飛ぼうとしても獣には全身に力を入れる余白さえ与えられてはいない。
茶褐色の毛むくじゃらの獣はじっと前方を見据えながら、もう、いくばくの隙もない壁へとさらに下がっていった。
うしろに進んだというよりものけ反ったというほうが正確だ。
男は風の剣の刃先を茶褐色の毛むくじゃらの獣のあごに向けたままで躙り寄っていく。
とたん周囲はカーテンで包まれたように暗くなった。
暗転のあとはどこか別の空間に移動したように景色が消えていた。
「邪魅。もう人を襲うな」
風の剣先が茶褐色の毛むくじゃらの獣のあごの下わずか一ミリで静止している。
男がわずかでも腕を上げれば茶褐色の毛むくじゃらの獣のあごはパックリと切り裂かれるだろう。
邪魅と呼ばれた茶褐色の毛むくじゃらの獣は熊と猪が合わさったような形をしていて口の両端から垂れている長い毛とギョロリとした丸い目が特徴的だった。
邪魅はギョロギョロの眼球を左右にいったりきたりさせて、あたりの景色を確認している。
邪魅は一変した周囲の変化に目を血走らせた。
――グァァァ!!
威嚇音を発し、垂れるように備わっている牙を剥き出しにした。
邪魅はその身を斬られることも覚悟のうえで鋭い爪を大きく振りかざし目の前にいる男にすとんと腕を振り下ろした。
「聞き入れないか?」
男は風の剣をそっと引き己の体を百八十度旋回させて邪魅の爪をひらりとかわした。
邪魅も追撃の手を緩めない。
左斜め下から男の脇腹を狙う、男はまたそれもさらりとかわした。
男の右膝から爪先まで旋風のような気流が旋回している。
旋風は扇風機の羽のようで男は飛びかかってきた邪魅に対してミドルキックの位置に気流を飛ばした。
――ビュン。一度強風が吹くと風はそのまま邪魅の腹部中央にめり込んだ。
風と邪魅とがちょうどクロスカウンターになって邪魅はぐわんと後方へ弾き飛ばされていった。
邪魅は――グハッ!!という声を残しベタンとコンクリートの壁に体を打ちつけた。
壁に体をめり込ませたまま呻き声と唾液を垂らし肩で呼吸をしている。
邪魅の茶褐色の体毛が綿毛のようにファサファサと周囲に飛散しているのが見てとれた。
手負いの獣は我を忘れてさらに怒り狂い男へと飛びかかっていった。
男はすでに邪魅の行動を察してうしろに飛び間合いをとっていた。
邪魅は辺りかまわずに爪を振り回しつづけている。
邪魅がクロールように手を回すたびに体毛から黒い霧のようなものが漂う。
それは可視化された砂鉄のようだ。
邪魅の怒りの矛先はすべて男に向けられていた。
男は静かにそれを紙一重でかわしつづける。
「そんな大振りじゃ当たらないぞ?」
邪魅が――ブンブンと空振りするたびに空を裂く虚しい音が響く。
「九久津。あとは私がやる」
小柄なポニーテールの女の子が、黒い小さな十字架を手に現実であり現実ではないこの場所に現れた。
「美子ちゃん」
九久津と呼ばれた男はそっと返しながらも邪魅の一撃をするりと避けた。
九久津は邪魅の攻撃軌道をいっさい見ずに気配だけで邪魅の大振りの爪を回避している。
「瘴気が溢れだしてる。手遅れだ。もっとも邪魅は凶暴性が高いから結果は変わらないけど」
「邪魅はブラックアウトしなくても退治判定、か」
「ああ」
美子と呼ばれた女の子は自分の額の位置に十字架をかかげた。
ただし、その十字架はあまりに小さすぎてなにかのアクセサリーのようだった。
{{シャイン}}
十字架から眩い光が放射状に放たれた。
光はそこに留まってすぐに分裂をはじめた。
四方向、八方向、さらに十六、三十二、六十四へと増幅していった。
邪魅は転倒する直前の態勢で硬直している。
枝分かれした光は超新星が爆発したように邪魅の体躯を何度も通り抜けていった。
邪魅は唖然としていて、いまだなにが起こったのかわからないままだ。
邪魅がようやく恐怖に慄く表情を見せた刹那、邪魅は光の彼方へと消えていった。
邪魅を退治したのはブレザー姿の高校生ふたりだ。
制服の胸元には五芒星のエンブレムがあってその星の中に「一」という刺繍がある。
ふたりは置き土産に霞がかっていた景色をなんの変哲もない路地へと戻し威風堂々と黄昏の街へ去っていった。
ポツンと佇んだ電柱のプレートに書かれていた住所は【六角市北町】。
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