だが、しかしこの寄白さんの豹変ぶりはなんなんだ? 寄白さんがあんなふうに変わってしまったのは寄白さんのいう、この四階にきてからだよな。
「あ、あの、よ、寄白さん?」
俺はおそるおそる声をかけた。
「あっ?」
寄白さんが俺をジロリと睨む。
お、鬼の形相だ。
眼光が鋭い、瞳の星の輪郭が濃い、スゲー重めの雰囲気。
なぜ不良化したんだ? これはもう、うかつにつぎの一言をかけられない。
あの、かわいかったCVは降板したようだ。
まあ今回のCVもそれはそれでいいけど。
「美子ちゃん」
この状況を見守っていた九久津がようやく閉ざしていた口を開いた。
でも、さっきから九久津は寄白さんのことを「美子ちゃん」「美子ちゃん」って下の名前で呼んでるけどそれだけ親しい関係ってことか? いや、よくよく考えれば俺の転校初日からその兆候はあった。
それに七不思議制作員会のときも寄白さんは九久津の真ん前で体育座りしていたし、今日の昼休みもふたりのコンビプレーで俺の弁当の謎を解いた。
こ、これはもうふたりはすでにつきあってるということなのか? お、俺は弄ばれてるのか……。
ならば今日の告白は騙し討ち、ってさっきまで人体模型が走ってたこの状況で告白もクソもねーけど。
「もう一体」
九久津がある方向を指さした。
その刹那、アシンメトリーの髪型をしたヴェートーベンがネクタイをルーズに緩めたまま指揮棒でリズムを刻みスキップしてきた。
音楽家らしく的確なリズムキープで一拍の乱れもない、さすがは著名な作曲家、って思ってる場合じゃねー。
ヴェートーベンは腕をハの字や、アラビア数字の八を横にした無限マークのように振って周囲に笑顔を振りまいてる。
でも、これも学校の七不思議にあった【ストレートパーマのヴェートーベン】か。
あっ、でもそういえば九久津って七不思議制作委員会のとき黒板に字を間違えて書いてたな。
本当は【ヴェートーベン】じゃなくて【ベートーベン】だろ。
それともネイティブなら「べ」が「ヴェ」になるのか? 【ベートーベン】は【ヴェートーベン】って発音? ということなら、俺もデキるふうの感じで【ヴェートーベン】って呼ぼうかな。
ヴェートーベンはさらにここぞとばかりに、なぜか近代的ファッションでキメていた。
音楽家シリーズの印刷画と同じ顔だけど服装がまるで違う、どんなコーディネートだよ!?
「ジャジャジャジャ~ン!! ジャジャジャジャ~ン!! ジャジャジャジャ~ン!!」
ヴェートーベンはズボンの右側だけ膝までまくり上げていた。
あれってたしか”自分は武器を隠し持ってません”って意志表示だっけ? 争う意思はこれぽっちもありませんよってことか。
「ち~す。美子パイセン!! やっぱ世界平和っすね!!」
「おまえも絵の中に還れ!?」
「そりゃないっすよ~」
なんだこの妖怪の楽園は? 四階は妖怪に無料開放してますってか? フリーパスすぎる。
夜間定時制の妖怪……自分で思っておいてなんだけど妖怪ってふつうは夜に出るじゃん!?
今は放課後の時間帯、むしろ普通科の妖怪じゃん。
ああ頭が混乱してきた。
ああ~眩暈が!! なんか浮遊感も感じる、お、俺が俺を見てる。
幽体離脱ってやつか、それとも、もうお迎えが……さようなら地上。
「美子ちゃん。やっぱりヴェートーベンもホワイトアップしてる気がする」
九久津は視線を上下左右に動かしてなにかを考えてるようだった。
でも、硬い表情のままいったん身構えた。
ヴェートーベンが急激に迫ってきたからか? でもヴェートベンは九久津の横をスルっと通りぬけて寄白さんに急接近していった。
「パイセンこの髪型どうっすか?」
ヴェートーベンは美容師のように前髪の毛先を二度三度回転させてからつまんだ。
寄白さんにそんな態度をとるとはこの怖い物知らずめ。
「ぜんぜん似合わん」
「え~マジで!? じゃあ青メッシュ入れるかな~?」
「そういう意味じゃねー!!」
「そうか!? 左右にツーブロックか!!」
ヴェートーベンは寄白さんとのファッション論が決裂したみたいで箍が外れたように廊下を四方八方にスキップしていた。
あれっ……? 廊下の幅ってこんなに広かったっけ?
「じゃあ私が後頭部と直結てワンブロックにしてやろうか?」
「美子パイセンそれはダセーっすよ!? ひゃっほー!! エリーゼ。きみと僕の運命!! 大工の第九なんちゃって~!!」
ヴェートーベンはロボットのように体をカクカクさせながら走る速度に変化をつけて廊下をジグザグに駆け抜けていった。
やつはファッション意識高い系か? だがいろいろと時代に拒まれてるな。
迷走に迷走を重ねなんてむごい格好をしてるんだ。
「チッ、スベり散らしてるな。しょうがない」
寄白さんは苛立ちながら右耳のいちばん右端にある十字架のピアスを強く引いた。
耳たぶがすこし伸びてアクセサリーがポロっととれた。
え、ええー!?
と、とれたー!!
俺は寄白さんのうなじよりも耳たぶに目が向いている。
薄赤い跡が残ってる、あっ、あれ? ピアスホールがない、あの十字架はイヤリングだったのか? だから耳たぶは赤くなってるけど怪我ひとつないんだ。
「おい止まれ!?」
寄白さんはヴェートーベンを呼び止めたけど、ヴェートーベン自身はまったく止まる気配がない。
そのまま信号無視した車のように直進していった。
「指揮棒の代わりにゴボウで指揮するとか新しくね!? エリーゼこの天才的な発想についてこれるか!! 一緒に見ようぜレインボー!!」
「一度は警告したからな!!」
寄白さんが持っている十字架が自然発光し明滅をはじめた。
うわっ、ま、眩しい。
目が眩むほどの光の渦が一ミリの隙間もなく廊下を突き抜けていった、と同時にヴェートーベンの体もを通過した。
「あれぇ!?」
ヴェートーベンはまるでトラバサミにでも挟まったように一歩も動けなくなっていた。
前に出ようとして一生懸命に踏んばっているのがわかる。
でも、俺から見ればただ金縛りで固まってるだけのようだった。
ヴェートーベンが太ももに力を込めるたびに足がピクっと動く。
ヴェートーベンはしばらくそこでジタバタしていた。
「消えろ」
ふたたび光の渦が廊下に瞬いた。
「うわぁぁぁぁぁ!! エリーゼェェェ!! のためにぃぃぃ!!」
ヴェートーベンの体がグラグラと揺らいだかと思うと旋風のように旋回して寄白さんが掲げているイヤリングの中に吸い込まれた。
な、なんだ!?
ヴェートーベンが十字架の中に消えた……。
「終わった……」
「美子ちゃんお疲れ。俺の出番はなかったね?」
「まあな」
「でもアヤカシの様子がおかしい。なにかの前兆かも……?」
「そんな気もしなくなはい」
「だよね……」
「でも、九久津。一ヶ月前邪魅は凶暴なままだった。今回のこととは無関係だろう。今日はたまたま人体模型がホワイトアップ状態だったってだけさ。知っての通りヴェートーベンに関しては毎度のこと」
い、一ヶ月前? 一ヶ月前っていえば、俺が「六角第一高校」に転校するかしないかのころだ。
それにアヤカシって妖怪のことか? じゃ、じゃみってのも妖怪? さっきからいってるホワイトアップってのは何語?
「だといいけど……」
寄白さんは流し目で背後を確認している。
静まり返った廊下にコツンコツンと靴音が響いてきた。
ヒールの甲高い音が確実に俺たちのもとへと近づいてきている。