第15話 養護教諭


俺には振り向いてはいけないそんな思いがあった。

 それでもどんどんどんどん足音が近づいてくる。

 その音はもう、俺らのすぐ側にまで迫ってきていた。

 俺はそのままの態勢で寄白さんと九久津がどうしてるのかをたしかめる。

 ふたりも足音のほうを見ているけど無表情だった、って、きっとこんな状況には慣れてるんだろう。

 でも俺は初心者だぞ、人体模型とヴェートーベンが走ってくる状況なら、ふつう気絶しててもおかしくないレベルだよな。

 じっさい俺の気も遠くなってったし。

 

 ――ピタ。っと足音が止まった。

 うわっ、俺のすぐうしろにいる。

 今度は、な、なにが出現したのか? 俺はおそるおそる振り返った。

 う、うわぁ!?

 こ、今度はスゲー巨乳の美人だ。

 その女の人は白と銀の中間の色のツーピーススーツで細身でありながら、やけに胸元の目立つ服を着ていた。

 髪が絹糸のようにサラサラで、ぱっちり二重の大きな目。

 こ、この人もなんか妖怪的なのに変化へんげすんのかな? 現世の未練を断ち切れない憐れな地縛霊とか? 妖怪でよくいるよな何々なになに女って種類のが。

 雪女、雨女、濡れ女などなど……お、怨念強そう。

 「あっ、繰さん。じゃなくて。校長先生」

 

 九久津が丁寧に頭を下げた。

 「こ、校長? こ、この、お姉様が?」

 

 俺は驚いて九久津に訊き返した。

 「そうだよ」

 

 九久津が――当たり前だ。という感じで半分にやけた。

 こ、こんな人が校長だと? ずいぶん時代も変わったな。

 ふつう校長といえば頭部というフィールドにやや難があり、ひかえめなグレー系のスーツを着たおっさんのことではないのか? そういえば、俺、そういう先入観で学校案内の校長のとこ読み飛ばしたんだっけ。

 俺が転校前にいた学校の校長も校長・・と呼ぶにふさわしい年齢のミドルだったし。

 「そして美子ちゃんの。じつのお姉さん」

 

 「えぇぇぇ!!」

 

 それを早くいえっつーの!?

 転校してきてベストスリーに入るほど驚いた。

 寄白さんと胸の大きさも正反対!! 

 あっ、これも今驚愕ベストスリーにランクインした。

 即時更新、上書き保存、心のクラウドに転送ーっと。

 もう俺は人体模型とヴェートーベンのことを忘れてんのかい!? っていちおう自分にツッコんでおく。 

 「私は寄白繰よりしろたぐり。きみの転校初日、美子に情報を教えたのは私。美子はすぐきみに逢いにいったみたいだけど?」

 寄白さんのかわいい声とは反対で大人のしっかりした声だった、でも顔は寄白さんに似て幼げだな。

 校長のCVもこれはこれで良い感じ。

 「ああ~それでですか?」

 

 なるほど転校初日の謎がようやく解けた。

 あのときは俺の持ち物から推測したのか?と思ったり教員の誰かから聞いたのか?って思ったけど……。

 教員から聞いたが正解だったんだ。

 だから寄白さんは俺を待ち伏せしてたようなベストなタイミングで俺の前に姿を現したんだ。

 姉妹だから俺の転校の話なんてすぐに伝わるってことね。

 てか、お姉様見た目は二十代ですけど……民間人校長だから年齢制限はないのか?

 「ねえ。美子ってかわいいでしょ?」

 

 「えっ、あっ、はい」

 お姉様、な、なんてド直球なことを。

 だが俺は何度もうなずいていた。

 というかこの場合はうなずかないという選択肢はない。

 仮に、仮にだ。

 かわいくないという結論だったとしても首を横に振ることはかわいいを否定することになる。

 そうなると相手は傷つき空気が悪くなる。

 ……と理屈をこねたが寄白さんに怒られるのが怖かっただけだ。

 今の寄白さんはじゃっかん不良化してるし。

 まあ、自然にうなずけてるってことは本心でもかわいいと思ってるってことだけど。

 「仲良くしてあげてね?」

 「も、もちろんです!!」

 

 「私養護教諭も兼務してるからよろしくね~。つまりは保健室のセ・ン・セ・イ」

 そういった”校長らしくない校長先生”は甘い声でウインクしながら俺の手を握ってきた。

 握手しながら見とれてしまった。

 さすがは魅惑みわくの保健教師。

 お姉様の指はスラっとしててきれいだ、これはお姉様か寄白さんか選べないな。

 これが俗にいう両手に花というやつか、しかもどちらも高嶺の花。

 そ、それに保健の先生ってことは《保健室パンツ》の可能性があるということじゃ……あ、ああああぁぁぁぁっ!?

 

 『保健だより』の切り抜きは、こ、この人だったのか~!? 

 そりゃあ、リアルトリミングされるはずだ~!!

 俺は転校してきてから保健の先生がどんな人なのか知りたくて、ときどき保健室の辺りうろついてみたりしたけど、【養護教諭にご用の方はこちら】というボタンが設置されているだけでじっさいに保健の先生に会うことはできなかった。

 もちろん日中は怪我や具合が悪くなったときのために看護師資格を持ったおばちゃんが保健室に常駐しているから問題はない。 

 当然手当てができる人がいるから誰も【養護教諭にご用の方はこちら】のボタンは押さない。

 寄白さんは俺に目もくれずゆっくりと校長のもとへと歩いていった。

 な、俺はスルーですか?

 「お姉!? 九久津の意見だけど人体模型がホワイトアップ気味かもだって」

 「そう。まあ六角市全体のバランスが崩れてるからね~影響はあるかも。九久津くんも気をつけてね?」

 「はい」

 

 九久津は素直に従った。

 ……ん? この状況ってどうやら寄白さんと九久津が単純につきあってるということじゃないな。

 「お姉。六角市の調和が乱れるとその影響でアヤカシがホワイアップするってこと?」

 

 「ええ、まあ、もしもの話だけど。けど今の美子たちならどうってことないでしょ!? あのノリはウザいかもしれないけど」

 俺はその会話を遮って校長に質問した。

 

 「あのホワイトアップってなんですか? それにじゃみ? アヤカシ?」

 

 「おっ、沙田くん、この状況に興味持ってくれてるの? 簡単にいうとアヤカシのテンション最高潮のそう状態がホワイトアップ」

 

 た、たしかにやつらのテンションは最高潮クライマックスって感じだった。

 でも校長もふつうにアヤカシって呼んでるな……。

 「アヤカシってさっきの人体模型とヴェートーベンですか? それに寄白さんのいってた”じゃみ”ってのも?」

 

 「そうよ。まあ学校の七不思議に代表されるような怪奇現象や幽霊、妖怪、魔物、魔獣なんかをぜんぶひっくるめてアヤカシと呼んでるの。よこしまに魅力の魅と書いて邪魅。当然、邪魅もその中の一種」

 

 「へ~知らなかった」

 なぜだか感心してしまった。

 そんなのを相手にしてる人たちがいるんだ。

 「沙田くん。興味津々ね?」

 何気に俺校長に沙田なまえで呼ばれるし。

 「えっ、まあ、なんかこの流れで訊いといたほうがいいかなーと思いまして……」

 「アヤカシの発生源は負の感情といわれていてね。民話なんかに出てくる有名な妖怪とか近年名を馳せたオバケなんかもすべて同じ根源で世界中で出現するのよ」

 「じゃあ、そういう負の感情がそれらのアヤカシになると?」

 「簡単にいうとそうね」

 あっ、なんかうちのご先祖様もむかしガシャ髑髏と戦ったことがあるとかいってたような気がする? あれも有名妖怪だよな。

 六角市以外にもオカルトな都市はたくさんあるってことか。

 「そ、そうですか」

 なんでだかわからないけど、今の俺にそこまでの驚きはなかった。

 百聞は一見にしかずで、ついさっき走る人体模型とチャラいヴェートーベンを目の当たりにしたからなのかもしれない。

 

 「そうよ。それでね六角市で有名なシシャもアヤカシに含まれるわ。つまりアヤカシは人の負をベースにしてさまざまな形と能力を備えて具現化するってこと。そして……」

 

 校長の顔が突然引き締まった。

 ――そして。のあとになにかをいおうとしたときだった。

 「お姉。今日の服すこし派手ぇ!?」

 寄白さんがわざとらしく遮った。

 「そして」につづく言葉はとても大事なことのような気がした。

 校長も校長で寄白さんの目をじっと見つめると、いいかけた言葉をそのまま飲み込んでしまった。

 「沙田くん。あとは気にしないで」  

 飲み込んだモノがとても重要なことなのは間違いない。

 それは校長のかげった表情で察しがついた。

 校長先生、目の前で思わせぶりに中断された――気にしないで。を気にしない人はいないと思います。

 俺も俺でその思いを飲み込んだ。