沙田雅の転入初日。
インデックスの浮き出た壁時計が示している時刻は早朝の六時二十五分。
寄白は姉、繰のいる校長室にいた。
ここは一般的な校長室とは違っていて繰独自のセンスがふんだんにとり入れらている。
オフホワイトに統一された家具一式は使い勝手よりもファッション性重視でとうてい学校だとは思えなかった。
流線型の書類棚などはさながらオブジェのようだ。
大人の腰ほどの高さの冷蔵庫も一般流通している品とは違っていて冷蔵庫らしからぬデザインをしている。
その上には真新しいランプ型の照明も置かれていた。
繰は白の中にあってゆいいつ赤い対面式ソファーで淹れたてのコーヒーをたしなんでいる。
当然カップとソーサーもこだわりの物を使っていて横に二本金色のラインが走るカップからは湯気が立ち上っていた。
ソーサ―の上にはちょこんと小さめのスプーンが寝転んでいる。
「お姉。本当に?」
寄白は背中の形が残るほどふわふわな背もたれに体をあずけた、繰の対面でソファーの深くに沈んでいった。
「ええ。必ず必要になるから……」
「信じられない」
「ちなみに今日が登校日よ」
「……ふぅ~」
寄白は左耳に触れるとためらうことなく、いちばん右端の十字架のイヤリングを引っぱって外した。
そのまま、ゆっくりと右の眼前に掲げてのぞきこむ。
{{千里眼}}
まるでなにかの合図のように十字架が大きく点滅した。
「……こいつか?」
「どう居た?」
「ああ。バス停でバスを待ってる」
「早い登校ね?」
「……」
寄白は無言で十字架の中を眺めつづけている。
寄白の視界は外部出力したパノラマ映像のようで辺りと一体化したようだった。
朝の匂いや空気感までが伝わってくるようなリアルさにまばたきひとつせず夢中になっている。
「ふ~」
繰は静かにカップを持つと、三回ほど息を吹きかけてコーヒーを含んだ。
「……う、うそ。私の視線に微かだけど反応した」
寄白はピクリと頬を動かした。
沙田があの「六角第四高校前のりば六角第一高校行き」のバス停の前で寄白の視線を感じとったからだ。
「でしょう。素質あるのよ、あの男子」
繰はそういうとカップをソーサーにゆっくりと戻した。
陶器と陶器が触れ合う――カチャ。という音が部屋の静けさを裂く。
「この男子は何者?」
「美子。それはいずれわかるわよ。しばらく見学してなさい」
「わかった。六角第四高校ってまだ瘴気が乾ききってないんだ? 今もミニチュアダックスフンドが障られてる」
「まあ、あんな解体工事だけじゃね。瘴気の溜まった校舎の天井を引っ剥がしただけだし」
「お姉は荒いのよ。あっ、ランニングしてる女の人が遠回りしていった」
「じゃあその人も感じるタイプなのかもね? あそこは別に工事専用の迂回路は作っていないもの。瘴気に当たりそうな人が自分の判断で遠回りできるようにって作ってもらった回り道だし」
「ふつうの人はそのまま通れるのか?」
「そうよ。なにも感じない人はそのまま通っていくわ。建築法的にはなんの問題もないし。なにより株式会社ヨリシロは安全第一。ただ人間よりも感覚の優れた動物だと変調をきたすことはあるかな~?」
「あっ!? 鉄製看板の四つ角の砂利の中に盛り塩が紛れ込んでる」
「そうメイドイン六角神社の塩よ。私なりの優しさ。すこしでも悪い気が浄化できるならそれに越したことはないからね」
繰はスプーンを手にとってカップの中身を混ぜてから、ふたたびカップを持ち息を吹きかけて一口飲んだ。
「……お姉。いま何時?」
「えっ?」
のんびりとしていた繰はすこし慌ててカップをソーサーに戻した。
ジャケットの袖を捲り、内向きにはめていたシャンパンゴールドの腕時計をながめる。
インデックスには文字通り時計回りに【ⅩⅡ、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、IIII、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ、Ⅹ、ⅩⅠ】とローマ数字が並んでいた。
インデックスの四時を示す「四」がローマ数字の「Ⅳ」ではなく「IIII」になっているのはローマ数字が最初から「IIII」だった説やデザイン的なものなどいくつか説がある。
現在の時刻は六時三十分。
「え~と。六時三十二分ね」
「へ~あの男子工事現場のカゲが見えてるみたい。たぶん人の気配としての認識だけど目で追ってる……」
「なかなかのものね~。すべてのカゲを捕えてるの?」
「いや。多少は見失ってる」
「だいたいこんな朝から作業員がいるわけないじゃない」
「そうだよな」
寄白が声高にいった。
「こんな時間から働かせていたら株式会社ヨリシロってブラックどころか瘴企業じゃない……」
「……」
(スベったかしら……?)
ふたりのあいだにしばらく沈黙が訪れた、これはギクシャクして張りつめたわけではなく家族間における信頼の無関心だ。
(向こうに夢中か……)
「バスに乗った。テレビから会社のごたごたのニュースが流れてる」
(うっ!? それはちょっとグサってくる)
「彼はなにか反応してるの?」
「いいや。というか若い子はみんな他のことに夢中で株式会社ヨリシロなんてどうでもいいんじゃない?」
「そうよね。若い子はニュースなんかよりゲームをしたり音楽を聴いてるほうが楽しいわよね」
「正直お姉が社長になったって六角第一高校の学生には関係ないことだし。……んで、何時に六角第一高校着くの?」
「たしか七時四十四分ごろだったはず。転入生ってことはシシャの噂が立つわよ?」
「そうだな」
寄白は不機嫌そうにうなずいた、目元に当てている十字架も一緒に上下する。
同時に揺れたポニーテールも機嫌悪そうだった。
「美子だって最初は美少女シシャっていわれてたじゃない?」
「まあな……」
寄白は苦虫を噛みつぶしたような顔をみせた。
「けど、今じゃ私はただの不思議っ娘。シシャ候補の噂なんてとっくの前に消えてしまったさ」
「人の噂なんてそんなものよ。でも六角第一高校はまだシシャに敏感なほうね。町全体で考えればもうシシャのことはあんまり話題に上らないから」
繰は寄白を諭すように微笑んだ。
「だよね」
寄白は目の前からイヤリングを逸らして右手で握りしめた。
「……沙田くんに逢ってくれば?」
「それがあの男子の名前か?」
「ええ。そうよ」
「……そうする」
寄白が雑にソファーから立ち上がると、その勢いでポニーテールがひるがえった。
イヤリングを左手に持ち替えて右耳に戻すとふたたび三つの十字架が連なる。
一度髪を掻き上げてから二本のリボンをシュルシュルと引き抜くと解かれた髪は気泡を含んだようにフワっと広がって艶のあるストレートヘアになった。
「そのリボンもだいぶ劣化してきたわね?」
「しょうがないさ……」
そう返したあとに寄白はリボンを甘噛みして右側の髪を束ねて巻いた。
そして反対側の左の髪もリボンできつく結わえる。
ツインテールが完成すると左右の触覚になる髪を引き出した。
潤いのある髪がすこしくすんだリボンとは対称的に宙で揺れている。
「さあ、いってきますわ」
「ええ、いってらっしゃい美子」
「はい、お姉様。それではまたあとで」
こうして早朝寄白美子と沙田雅は「六角第一高校」の前で出逢った。
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