「それは彼女が説明いたします。私は席を外しますのでここで少々お待ちください」
仁科校長は俺に一礼してから回れ右のようにくるりと背を向けた。
「えっ、あっ、はい」
彼女……? もっと事情に詳しい人がいるのか? 副校長? いや、副校長はたしか男だった。
それにもし本当の副校長がここにくるなら「副校長」っていうだろうし「彼」って表現をするはず。
それにしても俺はただのいち生徒なのにここまで丁寧に扱われるのはなんでだ? どことなく丸い猫背になりながら去っていく仁科校長に向かって最後の質問をしてみる。
「仁科校長。ずっと思ってたんですけど、どうして校長という立場の先生が僕なんかに敬語なんですか? 僕は高二の子どもですよ?」
屋上のドアに半分隠れた仁科校長はすでにドアの内側のドアノブに触れていた。
「それは沙田くんが寄白家……いや六角市にとって特別な存在だから……だそうです。寄白校長いわくですけど。この六角市の未来を握るほどの……」
わずかな間もなく、すぐに答えてくれた。
「えっ……は、はあ……? そう、です、か?」
イマイチわからない。
なにもかもがバラバラに散っていてひとつに繋がらない。
「……私も寄白校長の意見に賛同しています。だから私にとっても沙田くんは重要人物なのです」
いい終えると仁科校長はゆっくりとドアを閉めた。
――カチャ。っという音とともに仁科校長の背から伸びていた影も消えた。
太陽はドアをなにごともなく照らしている、そこには陽射しと日陰の境界線が斜線でくっきりと分かれていた。
出入り口の屋根が日傘のように陰をいっそう濃くしていった。
俺は誰かわからないその彼女を待っているあいだもまた六角市を鳥瞰た。
見渡せるかぎりに目を移してしばらく時間を潰す。
仁科校長と入れ替りで独りの女子生徒が音も立てずやってきていた、……というよりそこに存在た。
この娘が「彼女」……?
「……あっ?」
思わず声がもれた、そして俺の体に悪寒とトリハダが走った。
背中が寒い、またボツボツが腕に、でも今回の反応は遅い気がした。
今日は体調が悪いのか眩暈までする……。
その女子生徒はすでに礼をし終えたように前かがみだ。
俺の前でさらに深く頭を下げてから、ゆっくりと顔を上げる。
えっ!?
う、嘘だろ? な、なんで? よ、寄白さんに、う、うりふたつだ。
その娘の顔はすべてのパーツが寄白さんと同じだった。
例のピアス、あっ、いや、十字架のイヤリングをしていない以外は。
六角市の市立高校すべての制服には五芒星のエンブレムが刺繍されていて、それぞれの高校名は漢数字で星の中に縫われている。
ここは「六角第三高校」だから、当然、五芒星の中心には「三」という漢数字がある。
ま、まさか寄白さんが「六角第三高校」の制服を着てここに忍び込んでるとかじゃ……な、さ、そう、だな。
寄白さんとはどことなく違う雰囲気が漂っている。
「私は真野絵音未と申します」
えっ、じゃ、じゃあ、この娘が寄白さんのいってた「シシャ」かっ!?
……ど、どうしてここに? 俺が「六角第三高校」の呼ばれたのはやっぱり「シシャ」についてなにかあるから?
「私は六角第五高校から六角第三高校へと転校してきました」
話す仕草も声質も寄白さんと一緒だけど語尾が違う。
絶対に別人だ、寄白さんならこんな話しかたはしない、と、いい切れる自信もなかった。
「そ、そうなんだ……」
「例にもれず、私も転入時からシシャ候補として名前があがっています」
「そっか。転校するとしばらくはそういう目で見られるよね? シシャ、シシャって……」
「私はシシャです。いいえ、私がシシャです」
真野さんは「が」に強いアクセントをかけて首を横に振った。
それは「イエス」イコール自分が「シシャ」だということを意味していた。
「えっ、本当に……?」
「はい、本物のシシャです」
真野さんは小さくうなずく。
証拠もなくそんなことをいわれても困るんだけど。
寄白さんのように脈絡なくムチャクチャなところは似てるけど……。
でもな。
真野さんはその手で自分の髪に触れた、その仕草もやっぱり寄白さんに似ていてなにからなにまでそっくりだった。
「それを他人に話してもいいの?」
「ええ、知るべき人が相手ならばかまいません」
「正体がバレたらなにかが起こるとか? 誰かになにかされるとかは?」
「とくにありません」
「そ、そうなんだ……」
六角市の不文律「シシャ」の存在。
もっと重大な秘密があるのかと思ってたのに、なんてことはない「シシャ」はふつうの人間じゃないか。
そうまでして「シシャ」の言い伝えを広める理由なんてあるのか……。
九久津のいってた《七不思議は生徒を寄せつけないために存在する》理論でいくと「シシャ」にもなにか裏がありそうだけど……いや、なきゃおかしいか。
「私は人間ではありません」
とうとつになにをいうのかと思ったが、こういう電波っぽいところも寄白さんだな。
人間じゃなかったらなんだってんだよ……? あっ!?
候補はひとつしかない、そう「アヤカシ」だ……、寄白校長も「シシャ」はアヤカシに含まれるっていってた。
「またまた」
俺はそう返したけどまだ半信半疑だった。
でも、心のどこかでアヤカシなんだろうなって思ってる自分もいた。
しだいにその可能性は高まっていった。
俺の気持ちが変化してもあまり驚くことはない、それは昨日「六角第一高校」の四階であんな体験をしたからだ。
とたん、俺の目の前で異変が起こった。
真野さんの体が具現化されたノイズのように乱れはじめた。
全身が破線になって体の輪郭から左右に細かくはみ出している、そのまま得体のしれないユラメキになった。
もう絶対に人には見えないな。
真野さんの体はロウソクの炎のように揺れていた。
その物体は俺の背を越えた高さまで浮かび上がった。
えっ!?
なんだよ~、って、なんかもうこういう怪奇現象にも慣れた感がある。
つぎの瞬間俺は上空から六角市を見下ろしていた。
不思議な感覚だ、体から魂が抜け出したような感じ……幽体離脱か?
『どうです。見えますか?』
へ~。「六角第一高校」→「六角第四高校(解体工事中)」→「六角第二高校」→「六角第五高校」→「六角第三高校」→「六角第六高校」を順番に結ぶと「六角形」になるんだ。
これは六角市となにか関係あるのか?
『私はシシャ……死んだ者。イコール“死者”……負の集合体が私。寄白美子とは対の存在。光と影。相反のシシャ』
その声は俺の鼓膜を超えて直接脳に声が響いてきたようだった。
残響が消えると真野さんの姿はすでになかった。
俺は自分と意識が一体化してふだんの俺に戻った。
「ふぅ~また怪現象か……」
あの娘は本物の「シシャ」だと直感した、「シシャ」じゃないならなんだって話になるし。
でも結局、寄白校長が俺に見せたかったモノはなんなのかわからない。
寄白家の持つ力なのか六角市の地形なのか真野絵音未という「シシャ」の正体なのか? もしかしたら俺が見落とした他のなにかがあるのかもしれない。
……いったいどれだ?