第62話 亜空間


国交省の職員はバスから降りる素振りもみせずにそのまま折り返していった。

 結局、終点のバス停で降りたのは俺と九久津だけだ。

 俺はバスを降りたその場所から、その国交省の職員の影を自然とながめていた。

 また別のルートの結界を調査するんだろうな? 働く大人は大変だ……。

 赤と黄色のテールランプを見送ったあと俺は九久津と一緒に九久津の家へと足を向ける。

 バス停の周囲を見渡してみたけどこれといった建物は見当たらない。

 ただ吸い込まれそうそうな深緑みどり鬱蒼うっそうとした木々がある。

 ふと視線を高くしてみると、はるか遠くに大きくてなだらかな丘があるのがわかった。

 ここからずいぶん離れた場所だな。

 郊外ここ市内まちと違って自然の匂いがする。

 これが緑の匂いってやつかスゲー、リラクゼーション。

 俺の足元には花屋で販売っててもおかしくないような花が咲いている。 

 この花っていつだったか六角ガーデンで見たことがある。

 そんな前じゃないよな、あっ!?

 「六角第三高校さんこう」のときの遠足だ。

 自生してるんだ? なんていう名前かよくわからないけど花弁はなびらの先端が矢のように尖ってる青紫の花だ。

 その花があちこちに咲いている。

 ここはどこか落ち着くし、なんとなく懐かしさも込み上げてきた。

 この新鮮な空気を吸ってみると、森林浴にいく人の気持ちもわからなくもない。

 

 九久津は辺りを見回してから、とある一点に向かって真っすぐに歩きはじめた。

 特別なにかの目印があるわけじゃないのに、九久津がその場所に手をかざすと九久津の手のひらの周囲の景色が歪みはじめた。

 うわ!? 

 な、なんだ? こ、これはどんな現象だ? そしてそこが割れるように別の空間が開かれた。

 「なにこれ?」

 「これは亜空間あくうかん

 「あ、亜空間?」

 「そう。能力者たちは特別なことがないかぎり周囲への被害を考慮してこの中で戦わなければならない」

 「へ~よく考えられてんだな?」

 これが校長のいってた市内でのアヤカシ遭遇した場合の回避措置か。

 「そう。じつは六角第一高校いちこうの四階も亜空間を使ってるんだ。あそこはオートで空間制御されてるけど」

 「えっ、そ、そうなの?」

 「四階で戦ってるとき壁や天井との距離感がふつうじゃないって気づかなかったか?」

 「あっ、いわれてみればそうだ!?」

 人体模型が走ってきたときも叫び声が長く響いてたし、ヴェートーベンもやけに長い距離をジグザグしてた。

 モナリザのときは机を二脚置いてもまだ余裕があったし、死者との戦闘のときは場所を意識しないくらいふつうに戦えてた。

 そんなふうになってたんだ。

 しかもそれをなんの違和感もなく使ってたなんて。

 九久津にいわれるまでぜんぜん気づかなかった。

 「九久津。思い当たることはたくさんあるわ」

 「だろ。とりあえず中に入って」

 九久津がゆっくりと手招きした。

 「あっ、ああ」

 俺はおそるおそる足を踏み入れる。

 こ、これは緊張する、うぉ!! 

 な、なんかスゲーけど全然亜空間に入った気がしない。

 なぜなら俺の周りは薄い曇りガラスみたいでどっかに移動したという感覚がないからだ。

 「九久津。亜空間ってあんま別空間って感じじゃないな?」

 「そうだよ。亜空間のってのは何々なになにのようなって意味だから。だから亜空間は空間・・のようなってこと。別空間じゃなく疑似ぎじ空間」

 「えっ? どういうこと?」

 「簡単にいえば空間掌握者くうかんしょうあくしゃが俺たちに空間をレンタルさせてるようなもの」

 「まったくわからん。俺はおまえほど頭がよくない」

 「空間を自由に捻じ曲げたりサイズを収縮させる能力者【ディメンション・シージャー】が空間をコントロールしてるのさ」

 「……といわれても……?」

 「う~ん。空間を自在に操作する能力者がいるのはわかる?」

 「それはわかった」

 「それが誰なのかもわからないしどれくらいの範囲を手中に収めてるのかも謎なんだけど。当局の上層部にいるといわれてる……」

 「その人がなんなんだ? 噛み砕いていってくれ?」

 「その人が亜空間を能力者たちに分配してるんだ」

 

 「もっとわかりやすい説明を?」

 俺があからさまに難しい顔をしたせいか九久津は考え込んでしまった。

 きっと理解できる人間には簡単なんだろうな。

 人と人との意思疎通は難しい。

 「空間が自分で購入した持家だとすれば亜空間は家賃を払う貸家。だから借りてる人は自由に使える。……って例えでどう?」

 「持家だって自由に使えるよな?」

 「そう……だな……。まだ説明がたりないな。持家は空間掌握者の物でいくつもの家を持つ大家おおや。……そしてそれを能力者に貸してる。あくまで使用権限を持つのは【デイメンション・シージャー】のみ」

 九久津は顔を上げてそういったけど自信なさげにしてる。

 俺の顔がどうなってるのかをうかがってるのか? ただ、九久津のこの説明はわかりやすかった。

 「おお。わかった!!」

《小学生のとき交差点で車が突然消滅したときにも感じた。あれは異次元に消えたんだろう。》ってのが戦闘の前兆現象だったってことは、あのときも亜空間を使える誰か、つまりどこかの能力者がアヤカシと戦ってたのかもしれない。

 それを俺が偶然目撃したってことになる。

 「よかった」

 九久津は胸をなでおろすように息を吐いた。

 「九久津。その亜空間に入る瞬間って誰でもわかるもんなの?」

 「いや。一般人だとふつうの景色と一体化していて気づかないはず」

 「そうなの? 俺さ子どものころに交差点で車が突然消えたの見たんだよ?」

 「それはもしかして十字路の交差点?」

 「う~んと。あっ、そ、そうだ!! あのときも“右を見て左を見て、もう一度右を見て渡る”を実践してたから」

 「ってことは沙田が右か左を見てるときに十字路で亜空間が開かれ直進車が左折か右折したんだろう。つまり亜空間がパーテーションになって沙田の視界から車体を遮ったんだ、と、思う」

 「と、とりあえず、俺が亜空間を見てるあいだに車が曲がっていったってことだよな?」

 「ああ。おそらくだけど。沙田はそのころから能力者の感受性があったから景色の歪みに気づけたんだろうな」

 「そっか」

 「沙田。とりあえず俺の家までショートカットするけどいい?」

 「えっ、ああ。いいけど」

 俺は九久津のあとを追った、というわけでもなくそこに立っていたら目の前の空間が点から円に広がっていった。

 俺たちはその場に居たのに周囲だけが移動したみたいだ。

 今、俺の目にとてつもない大きな木の幹が見えている。

 この木はなんだ? でも、さっきの森林浴よりも心が落ち着く。