第72話 救偉人(きゅういじん)


「わしはその追加報告を知らせにきたんじゃよ」

 教育委員長はなにかの試験の合否でも発表するように、ひょうひょうと話をつづけた。

 「解析部がバシリスクの進行速度、気象状況、障害物の有無などをふくめて算出した結果じゃと三日後の夕刻に六角ガーデンにバシリスクは出現する」

 

 落ち着きのある柔らかな声質とは裏腹でスゲー緊急性のある内容だった。

 「ほ、本当ですか? もうそこまで割り出していたなんて」

 校長は教育委員長の言葉にすぐに食いついた。

 それもそうだろう、校長にとってのバシリスクの話題は人生そのものだ。

 「数分ていどの誤差はあるじゃろうが。それが正確な日程じゃ。心してかかるんじゃな?」

 「は、はい!!」

 「それに伴い【救偉人きゅういじん】も六角市にくるそうじゃ」

 「そ、それなら心強いです……」

 なんかスペシャリスト的なのが出てきたな。

 

 「あの~救偉人ってなんですか?」

 置き去りにされて話が進んでいったから俺はつい話に割って入ってしまった。

 けどなんか懐かしいような響きがする……救偉人か。

 「海保、消防の特救隊のような存在で。全国から選出されたアヤカシの対応にけた九人のことじゃよ。その者たちを“救急きゅうきゅう”の“きゅう”と“九人きゅうにん”の“きゅう”をかけて【救偉人】と呼ぶんじゃ」

 教育委員長って丁寧な人だな、こんな俺にもしっかりと教えてくれる。

 「へ~そんな人たちがいたんですね?」

  わりと話しやすいし、もっと怖い感じかと思ってた。

 ただ油断は禁物だ。

 なんたって相手はぬらりひょん……かもしれない。

 完全に疑惑が晴れたわけじゃない日本のアヤカシの総大将なら相当なキレ者なはずだ。

 「まあ簡単に説明するなら、国から認定され【りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん】のどれかの勲章が贈られた者たちじゃ。沙田くんきみも将来狙ってみるかい?」

 「えっ、僕にはそんな力はないので遠慮しておきます」

 「ほほほ。これからまだまださきは長い。鍛錬すれば大丈夫じゃよ!?」

 「そ、そうですか?」

 しゃ、社交辞令だよな? 俺が校長のほうへと目をやると校長は青ざめたような表情をしていた。

 やっぱりさっきまではから元気だったか。

 いろんなことが現実味を帯びてきて動揺してるのかもしれない。

 心の底から助けてあげたいと思った。

 校長と……そして日常生活に支障をきたすまでになった九久津を。

 ああ、また謎の感情が湧き上がってきた。

 俺はむかしからこのふたりを知ってるような……。

 感情がたかぶる。

――――――――――――

――――――

―――

  なにひとつさざめきもない夜。

  {{遠隔混成召喚えんかくこんせいしょうかん}}≒{{煙羅煙羅えんらえんら}}+{{ウンディーネ}}

 (沙田のあの両目の血は……?)

  九久津は丘の上でその身に夜気を感じながら両目を見開いた、そして黒と蒼の中間色の空をながめた。

 

  {{目目連もくもくれん}}

  九久津の両目の上瞼と下瞼のふちに霞がかかった。 

  人は今日この日肉眼では見ることのできないつごもりの月が出ていることを知らない。

  九久津は月のない夜・・・・・を見る。

 (今日で死ぬ月……明日産まれる月か。……虫……ウ……ヒ……虫ウヒ……蛇……)

 九久津ははるか彼方の大陸へと視線を流し小刻みに震えはじめた。

 その体の揺れが怖れなのか武者震いなのか憶測することは難しい。

 九久津はそれほどまでに心を押し殺していた。

 (あの日もこんなふうに蒼褪めた夜だったな?)

  {{サラマンダー}}

 九久津の右手の肘から手首までほのおが導火線を伝うように駆け上っていった。

 螺旋状の焔はまるでガスコンロの強火のように九久津の右腕で揺らめいている。

 九久津のふつふつと湧き上がる想いに合わせて火の勢いが強まっていく。

 もはや右手すべてが火に包まれているといっても過言ではない。

 九久津自身に火が及ばないのはもちろんアヤカシを召喚憑依させたからであり、焔と腕とのあいだにも一定の距離が保たれているからだ。

 九久津の顔の険しさに比例して焔の勢いはガスバーナーのように強まった。

 赤みを帯びていた焔の色はやがて青へと変化する。

 (残滓ざんしさえ残らないほど燃やし尽くしてやる)

 九久津が想いを馳せた空一面は、まるで蒼い焔のようだった。

――――――――――――

――――――

―――

 座敷童は千歳杉の木陰に隠れて九久津を見守っていた。

 数十メートル離れたその場所にもヒリヒリとした熱気と熱風が流れてきている。

 座敷童は九久津が気がかりで太い幹を盾に熱さをやりすごしながらチラチラと顔をのぞかせた。

 座敷童はパンドラの匣の底に置いてあったふつうのアメ玉とイチゴ味のアメ玉ふたつを握りしめてうつむいた。

 座敷童の周囲には座敷童本人を守るように水分を多く含んだ微細で霧状の雲が漂っている。

 九久津の腕から流れていく熱風は座敷童の小さな体に接近するはるかさきでジュという音とともにミストになって空気に溶ける。

 座敷童はそんなことにはまるで気づかずグズった赤ちゃんのような顔でもちもちの手を広げた。

――――――――――――

――――――

―――

 繰は固定電話の受話器をあげて「010」「33」と順番にボタンを押していく。

 

――――――――――――

――――――

―――