第75話 錯綜(さくそう)


六角駅、正午過ぎ。

 表入り口からつづくタクシー乗り場のすぐ前はロータリーになっていて、その奥は商業ビルが乱立している。

 さまざまな高さのビルにはそれぞれに合わせた広告の看板が列をなして掲げられていた。

 ゆいいつ駅の真正面にある大型商業ビルには、人が見上げるちょうどの位置に大型ビジョンがはめ込んである。

 「今日は金融コンサルタントの穴栗鼠人あなりすとさんと、近猿丹人こんさるたんとさんのおふたりをお迎えしております。穴さん、多くの一部上場企業の決算発表も近いですが気になる点などはありますか?」

 「そうですね。株式会社ヨリシロの社長交代劇の影響ですね。大きな含み損を出したホルダーも大勢いるのでは?と思います」

 LEDディスプレイの中にはベテランの司会者と経済有識・・者を名乗るふたりが並んで座っている。

 彼等の目の前には固定マイクが置かれていて、その口から放たれる知識・・は画面を通して六角駅前に拡がっていく。

 「でしょうね。前社長の解任発表のときはストップ安までいきましたからね。近猿さんはどう思われますか?」

 「上場企業であれをやっちゃいけませんね。あの不可解人事は会社の私物化と思われてもしょうがないですよ」

 社はほのかに香水の匂いを漂わせて足早に六角駅へと急いでいた。

 相変わらず人で賑わう駅前、道行く人は一同に社を見返している。

 なかには六角形の星形の時計をながめたあと歩みを止める者もいた。

 そんな社がシンメトリーにならんだ白と黒の柱のあいだに足を踏み入れた瞬間だった。

 誰かが背後から社に声をかけた。

 紺色のブレザーに緑と黒の格子模様のチェックズボン。

 校章の入ったYシャツにグリーンのネクタイ。

 五芒星の胸エンブレム中には「一」という漢数字の刺繍がある。

 「社さん?」

 呼び止められた社はおもむろに振り返った。

 そこには現在は交流の途絶えてしまっていても見慣れた顔があった。

 社の口からも思わず――あっ。という声がもれる。

 「……佐野くん? 学校は?」

 「あっ、俺、急用で早退」

 「社さんこそこんな時間にどこいくの? 六角第二高校にこうとまったく別の方向じゃない?」

 「私も、急遽早退することになって」

 「そっか。怪我はもういいの?」

 「えっ、ええ、このとおり走れるまでには……」

 佐野の問いに対して社は逡巡し歯切れ悪く答えた。

 「そっか良かった。でも転校するぐらいひどい怪我だったのかなって思ってさ。あれか」

 佐野が「ら」という言葉と同時くらいだった、ビルどこかでバサっという乾いた音がした。

 それは駅横の雑居ビルで、A四サイズのビラが屋上からバサバサと撒かれていた。

 無数のビラは紙吹雪のようにヒラヒラと空を舞い、それらはやがてコインパーキング脇に咲いているノボロギクの中にも落ちた。

 佐野は反射的にビルの下にある【道路工事中】の看板を横切って花の中に埋まっている一枚のビラを手にとった。

 「なんだこれ? 抗議文……?」

 道行く人がその光景にみとれているなか、社だけは屋上に視線を向けている。

 きりりとした二重が上がって鋭い目つきに変わった。

 (なにか嫌な気配がする……あっ)

 社は屋上の手すりと手すりの隙間にもたれている真っ黒な和彫りの額縁をみつけた。

 額の中には墨汁に浸した手形を何度も重ねたような絵画が納められている。

 その絵はとても禍々まがまがしく、まるで絵自身が手すりを掴んで下界したを見下しているようだった。

 絵に表情があるとすればニタニタと含み笑いをしているような不吉な絵画だ。

 (あれは……)

 佐野や通行人がビラに気をとられているなか、作業服の男はその絵画を横切り手すりに足をかけて勢いよく飛び立った。

 しょせん人の力で引力には逆らえずに地上へと真っ逆さまに落ちていく。

 数秒ののち米の袋を落としたよりもっと重くて鈍いドスンという音がした。

 「えっ?」

 社はただその一言を発し、その場に立ち尽くす。

 「なに?」

 そこからさらにものの数秒もしないうちに怒号のような叫び声がこだました。

 「飛び降りだ!!」

 そんな声を合図に人の落下点にやじ馬が集まっている。

 騒然とする中しばらくして警察車両と救急車がやってきた。

 六角中央警察署はすぐに捜査を開始した。

 「規制線張り終えました」

 「やじ馬は?」

 「とりあえず、遠ざかるように指示は出しました」

 「そうか」

 「この人が着てる作業服って【黒杉工業】ですね?」

 「ああ、身元が割れるのも早いだろう。顔のホクロにも特徴があるし。三班は黒杉工業で訊き込んでこい?」

 「はい」

 「班長。遺書がみつかりました」

 「内容は待遇や人間関係の不満ですね」

 「じゃあ抗議の投身か?」

 「争った跡もないのでおそらく」

 「見た目は五十後半から六十代前半。もうすこしで定年だったろうに……。念のために遺書の指紋と筆跡鑑定も依頼しておいてくれ」

 「はい」

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