スカートを翻して「六角第一高校」の廊下を息せききらせて走る人物がいた。
校内を迷う素振りもなく一直線に目的地へと向かって駆けていく。
周囲の視線に目もくれずに、ただただ速度を上げた。
その走りかたにも急を要する素振りが表れている。
「誰だろ?」
「二高の娘だ」
「転入生かな?」
「シシャ?」
「あの娘まえに六角第一高校にいた娘だよ。ほら三年の美亜先輩とならんで美人で有名だった」
「ああ、社さんだ」
「へ~」
「あっ!? 転出してった娘か?」
「そう。そういえば美亜先輩ってアイドルやってるんだよね?」
「そうそう」
「テレビで見かけたようなないような」
「うそ~私見たことない」
「私は何回か見たことあるかな。でもうしろの列だったけどね。でもあれって地上波の番組だったかな……?」
「でも社さん急用なのかな?」
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突然だった。
校長室のドアはノックされる素振りもなくまるで蹴破られたかように激しい音を立て開かれた。
「繰さん。バシリスクが……」
俺が資料でたった一度だけ見た社さんは肩で息をしながらそういった。
にわかにとり戻したはずの日常に緊急という文字が浮びあがってきた。
どうして社さんがここに? しかもバシリスク?
「……雛? バシリスクがどうしたの?」
校長はあっけにとられながらも訊き返した。
「バシリスクが現れました。繰さんのスマホに何度か電話したんですけど……」
社さんは夏に降る雪のようにありえない言葉を慣用句のように告げた。
校長はまだ事態の変化を飲み込めずにいるみたいだけど、六角第二高校の生徒がノックもなく六角第一高校の校長室に入ってきたことで真実味が増したようだった。
この六角市に与えられた猶予期間はすぐに取り消された。
わずか三日の安息さえ、一日と持たずに消えていった。
重苦しい現実が部屋を覆っている。
俺は紙の資料でしか見たことのなかったもうひとりの能力と突然に出会ってしまった。
予期せぬ遭遇だ。
ただ、この美人女子高生は本当に人なのか? たしかに美人だった、たしかかにきれいだった、でもそれは温かみのないマネキンのような……。
言葉は悪いけど怖いくらいきれいな……人形。
あまりに人間離れしすぎていたから俺は逆にすんなりと言葉をかけられた。
「あの、はじめまして、俺は」
「知ってます。沙田くんですよね? 新しい能力者の」
「あっ、はい」
そんな俺と社さんのお見合いのようなやりとりに校長はすぐ割って入ってきた。
「雛。バシリスクが、ど、どこに現れたの?」
校長はわりと早く現実を受け入れたようだった。
「雛どこなの? 教えて」
校長は前のめりで社さんに近づき何度も問いただした。
「ここから北北西の方角にある守護山の麓。六角第一高校からは約二十キロの地点です」
「うそよ。だって三日後の夕方に出現って話だったのに。まだ一日も経ってない……」
「でも出現たんです。私の弦に触れたから間違いありません」
「どうして雛がそんな場所にいたのよ?」
校長は社さんに掴みかかるような仕草でさらに迫っていった。
社さんもそれを受けて立つという素振りでその場に留まっている。
「美子に頼まれました。身の安全を考慮しかつアヤカシ出現の確認ができる位置に弦を張ってと」
「美子がどうしてそんな頼みを?」
「美子自身も不確定だというようないいかたでした。おそらくバシリスクが出現するとは考えていなかったんだと思います」
「私は美子からなにも聞いてない。私と美子は姉妹なのよ?」
「曖昧な状況ですので繰さんに情報を上げなかったんだと思います」
「どうして、どうして、どうして?」
校長は同じ言葉を三回繰り返したあとに、もう一回――どうして。と声を荒げた。
いろんな問題がこじれたことで対処しきれなくなったんだろう。
この状況はヤバいよな。
「あの日と同じじゃない!? あの日だって私はバシリスクの出現地点も出現時間も間違えた。私はまた同じ過ちを繰り返すの? 私はまた堂流を殺すの!?」
そっか校長のいってたミスってこのことか。
だからあんなに責任を感じてたんだ。
バシリスクの出現が前倒しされたことですべての歯車が狂いはじめた。
校長は崩れるように机に両手をかけてそのまま机の側面に額をつけた。
無敗王者がワンラウンドであっさりKOされたような急展開になってきた。
校長は自分を傷つけるように、机に額を一度ゴンと打ちつけた。
そんなに自分を責めないでほしい、なんて軽々しくいうこともできない……。
「そ、そうよ。きっとバシリスクは二体存在したのよ? そしたら辻褄が合うじゃない?」
校長はその態勢のままで社さんにいった。
それだけいっきに精神的ダメージを受けたんだからしょうがない。
「××××年に出現したアンゴルモアの大王は積乱雲ほどの大きさだったと聞きました」
「……ええ、そうよ。それがなに?」
「だとしたら現在のバシリスクに過剰な負力が流れたとしても本体が肥大化するだけでもう一体分の鋳型が生成されるとは考えられません。バシリスクがアンゴルモア以上の体積を持って初めてその可能性を考慮するべきです。私の弦が捕らえた感じでは放つ瘴気を含めせいぜい十数メートルのアヤカシです」
社さんは心無き人形のように理論的に淡々といった。
「でもアヤカシの起源にはそうは書いてないでしょ?」
――原則的に上級アヤカシで知名度の高い個体が同時代の同時期の同空間に存在できるのは一体のみである。
これはそのひとつの個体へ独占的に負力が流れるためであり、他所では鋳型が形成されないからである。
校長はその部分を丸暗記していたのかアヤカシの起源の一部をそっくりそのまま引用した。
これは俺も昨日読んだばっかりだからはっきりと覚えてる。
「雛、忘れてない? アヤカシの起源には原則的にって文言があったはずよ。原則から外れればありえる事態よね?」
「ええ。でも考えてください? 発生学の観点からもみてもそんなレアケースはありえません。たとえばテレビでアナフィラキシーショックの話題が出ると翌日、蜂に刺に刺されたといって病院を受診する患者が増えるそうです。ですがじっさいのところ蜂アレルギーを起こす確率は数万人にひとり。おもだって騒ぎ立てる確率ではないということです」
社さんは、どちらが教師かわからないくらい見事に反論した。
九久津並みに頭の良い女子だったんだ。
「同一の上級アヤカシが同時に二体存在することは皆無です。あるとすればすべての摂理が覆されるカタストロフィーが起こった場合のみだと私は思います。それにその現象だって有史以来一度も確認されていません」
社さんは立てつづけに反論した。
「そ、それならあの日か今日のどちらかがバシリスクじゃなくてミドガルズオルムだったって可能性は?」