九久津はそんなバシリスクを流し目で見たあとに、バシリスクに背を向けて歩いていった。
そこにあぐらをかき座る。
九久津はその状態から片膝を立てて膝の上にあごを乗せ毒液のついた手をまじまじとながめた。
「毒に侵された兄さんの体は真っ黒だった」
「それ我の毒だ……」
瀕死のバシリスクは粘液だらけの口をねっとりと動かす。
すこし動くだけでもバシリスクの口からはごふごふと血飛沫がこぼれゼーハーゼーハーと荒い呼吸をしている。
九久津は目の前にいる風の槍で串刺になっているバシリスクを見やり、そのまま聞き流した。
「それが病気じゃないと子どもでも気づくのにな? いつしか俺は病的なまでに健康に気を遣う哀れな子どもになってた。……表向きはな」
バシリスクは重油ようにどろどろの毒と血の血だまりの中でギロリと九久津を睨んだ。
「サプリを摂取れば摂取るほど俺には耐性がつく。トラウマを背負ったかわいそうな弟をみんな憐れむ? 皮肉だろ?」
九久津はちょうど五芒星のエンブレムの真裏にある制服の内ポケットからタブレットをとり出した。
その中から黒いカプセルを一粒手にとって上の歯と下の歯のあいだで甘噛みする。
それは九久津がいつもパウチに入れて持ち歩いているあの健康食品のカプセルに類似していた。
九久津は鋭い眼つきでバシリスクを見ながら勢いよくそのカプセルをかじった。
口の端で――ブチ。っという音ととも黒い液体が果汁のように飛び散った。
今の九久津はただでさえ黒い口紅をしたような唇なのにさらにそこに色をたしたように黒が広がっていく。
「これはおまえの毒を希釈させたものだ。朝起きてまずその日の体調を調べる、そして学校でその日摂取する限界と体が耐えうる極限の値を弾き出す。極限は日に日に極限をこえていく。そしておまえがきた今日という日が俺にとって最後の極限だ。なぜならそれはおまえの死を意味するからだ。おまえの死をもって俺の毒の蓄積は終わる」
バシリスクは嘔吐するようにふたたび毒液を――ゴプッと吐き出した。
それは人が唾を吐きかけるような反撃だが、九久津に届くこともなく途中で萎えるように落ちた。
手負いのバシリスクにはもう、九久津のいる距離まで毒を飛ばす力はなかった。
九久津はそれを知ってか知らずか防御する素振りもない。
「新月はおまえが力が最大限に発揮されるんだろ? このていどか?」
小さな蜂のアヤカシはペットのように一直線に九久津へと寄ってきた。
羽を拘束ではばたかせているために残像で羽が何枚にもみえる。
「遅効性。俺が蓄えてきた毒ならおまえの表皮に塗るていどで充分だ。どうだ?」
バシリスクが突然、卒倒したのは亜空間に入った瞬間にこの赤蜂の毒針がバシリスクの上皮を刺していたからだった。
バシリスクの分厚く硬い皮膚であっても九久津が貯蓄してきた毒ならば蚊に刺されたていどの傷口からでもバシリスクの体の中に十分いき渡る。
その毒がゆっくりと効き、さきほどのタイミングでバシリスクの全身に毒が回ったのだった。
九久津は犬にお手をさせるような格好で手を空中に差し出した。
赤蜂は九久津の手のひらに着陸するように止まると煙のようボンっと消えて召喚が解除された。
「おまえ自身の毒。ただし俺の体で成分も濃度も飛躍的に上げてるけどな? しかし毒と魔族は相性がいいんだな? 蓄積者にとっては迷惑な話だ、自我を喪失ないそうになった」
九久津は沙田の転入してきた朝に夢魔を憑依させて体ごと乗っとられそうになったこと思い出した。
バシリスクは懐古している九久津の隙をつき、尾のさきを極限までに細く縮めた反動でいっきに伸ばた。
バシリスクの窮鼠猫を噛むともいうべき一撃が放たれた。
ボーガンのように鋭くしたバシリスクの尾の先が九久津の脇腹を――ザスっ!!とかすめていった。
それでも九久津は瞬時の反応でバシリスクの尾を腹の皮一枚でいなしていた。
傷口からはうっすらと血が滲んでいて、やがてその血がジワっと噴きだした。
そのまま九久津の腰あたりにスーッと垂れていく。
本来、たいていの相手ならばこのバシリスク毒を込めた一撃で絶命してしまうほどだが、今の九久津にとっては紙で切ったほどのダメージにしかならなかった。
「盲点だ。一ミリの隙間なくおまえの尾の最後尾までをカマイタチで突き刺しておくんだった。まさかそれだけの尾の長さを伸縮させて攻撃してくるとは?」
九久津はおもむろに立ち上がった。
体からは神々しい気体のようなものが立ち昇っている。
それは神とも悪魔ともとれる形を形成していき、暗い部屋で照明を当てたように自分の体積よりはるかに大きい影になって揺れていた。
九久津の今の今まで抑止していた極限の憤怒が解き放たれたようだった。
「見縊るな。……なるほど。そういうことか? あの兄弟の……」
バシリスクは息も絶え絶えながらも九久津の様相を見てなにかを思い出した。
「それで日本に引き寄せられたというわけか……」
バシリスクの口は血と毒で黒いネバネバした糸を引いている。
「バシリスク!! 最後通牒だ。ただしおまえに選択肢はない。これは俺の一方的な答え。“おまえじゃは俺には勝てない”。机上の空論は実証して初めてQ.E.Dされる」
九久津は右手を自分の顔の高さにかかげる。
「おまえでも夢を見るならその脳裏に焼きつけてやる。俺が見つづけてきた“青い悪夢”を」
{{サラマンダー}}{{シルフ}}
九久津の右腕から青い焔がメラメラと螺旋状に立ち昇っていった。
肘あたりから急速旋回し亜空間の天井まで広がる。
(青褪めた夜だったあの日も。青い空をながめながら病院に向かった……それだけが記憶に残ってる)
「その悪夢を宿したまま燃やしてやる」
九久津が召喚した風と炎は九久津の心を投影したように荒れ狂い火災旋風となった。
焔は竜巻でいうなら改良フジタスケールEF3ランクで列車ならば横転し基礎の弱い建物なら飛んでいくほどの威力だ。
バシリスクどころか自分も含めてこの亜空間ごと一瞬で火葬してしまうような焔が意志のある生物のようにうごめいている。
「憐れな”傀儡”よ? いずれその咎に喰われるがいい」
バシリスクの力ない呼吸の同音異義語は発音のみで九久津には届かなかった。
だが「くぐつ」という音の響きが九久津の心を逆なでる。
「黙れ!? 二度とその名字を呼ぶな!!」
(なに!? 焔が制御できない。マズい、誰だ? 俺の体を……くそっ!!)
九久津はそのまま自分の右手を押さえつけるようにして火炎旋風を亜空間の中心に放った。
自身の安全も顧みずに燃え盛る焔はカーテンに燃え移った火のようにあっというまに亜空間に広がっていった。
{{{{ソドム}}}}
(なっ!?)
亜空間は水爆実験のような地響きとともに、煙と焔に包まれた。
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