俺と近衛さんはただ九久津とバシリスクのゆくすえを見ているしかなかった。
しばらくして戦局は動いた。
海鳴りのような――ゴーッ!!という不気味な音が守護山の麓に響き渡っている。
地面に埋まっていたはずの亜空間のてっぺんがすこしだけ顔をのぞかせた。
火傷あとの水ぶくれのように徐々に膨らみが増していく。
「なんだ!? 亜空間が膨張してきた……爆ぜる? 小さな爆発が起こるぞ……」
近衛さんは眉間にしわを寄せて表情を崩した。
この慌てようはヤバいかも。
「マズい。あんなのがここで爆発したら……とても半減期まで……もた……ない。い、いや半減期なんて悠長なことはいってられない」
近衛さんの冷静だったはずの口調が早口に変わって、近衛さんはすぐに地面に手を置いた。
よほどの力なのか五本の指の形が地面にくっきりとついてる。
「一条気づいてるんだろ、たのむ!? 空間を開いてくれ!!」
近衛さんは空と地上のあいだ中間に声を投げた。
誰の名前だ? これからなにが起こるんだ?
{{ヤキン}}
近衛さんがそういうと俺たちの足元が割れたザクロのように裂けて白い円柱の柱が姿をみせた。
な、なんだこれ? 暗闇ですり足をして歩くようにその柱はそっと地上に迫り出してきた。
これはもしかして空間掌握者、【ディメンション・シージャー】って呼ばれる人の力か? 近衛さんはたしか「一条」って呼んだよな? 当局にいる一条って人が【ディメンション・シージャー】なのか? 足元から出てきたパルテノン神殿のような柱には俺が見慣れないけど見慣れた文字の「J」という彫刻があった。
あれ? この既成フォントじゃなく筆記体をさらに斜めに崩したようなアルファベットって俺が腰の痛みをぶり返した駅前の柱か!?
ってことは六角駅にもなにか仕掛けがあるのか……? まあ、六角市自体近衛さんがデザインした町だ。
六角市全体にいろんな仕掛けがあっても不思議じゃない。
けどこんな柱をいったいなんに使うんだ?
「さすがは空間掌握者。よし、ヤキンこの高次結界をさらに増幅させろ」
突然出現した白い柱は独楽のようにゆっくりと右に回りはじめ、そのまま高次結界を巻きとっていく。
柱はさらに回転を速めて厚みの増した高次結界を吐き出す。
柱の中心にモーターがついているみたいに、さっきからずっと回りつづけている。
つぎつぎと厚みの増した高次結界が生成されて、九久津たちのいる亜空間は薔薇の花弁のように包まれていった。
高次結界はさらに光を帯びてボコボコと膨れる亜空間の膨張を綿のように吸収していく。
「これでひとまず安心だ。亜空間の膨張エネルギーはすべて掻き消されるはずだ」
近衛さんはそっと立ち上がり息を吐いた。
俺も肌で感じた、この危機はなんとかなる、と。
熱が出たときに二日目くらいで明日は学校にいけるってあの感覚に近い。
ってこれ学生あるあるだな。
「近衛さん。僕はあの柱を六角駅の入り口で見たことがあります」
「ああ、まさにその柱さ。駅とは良くも悪くも人の想いが交錯する場所。――仕事にいきたくない。――学校にいきたくない。――今日から旅行。――憧れのひとり暮らし。喜びの感情も苦しみの感情も雑多に集まってしまう。そして残念なことに人間社会というのは圧倒的に負の感情が多い。そんな負力をすこしでも浄化するために、わたしはこの柱を駅の前に置いたんだ」
「……近衛さんたちって本当に色んなところに気を配ってるんですね?」
もとをただせばアヤカシの原点も負力なんだよな? 人の小さな不平不満が集まって同じ循環の中でやがてバシリスクのような上級アヤカシが生まれる。
負力が小さいときに浄化させるのがいちばん正しい対処法なんだろう。
「まあ、それがわたしたち当局の仕事だからね。ただ勘違いしないでほしいんだが負力ってのは必要悪なんだよ」
「えっ? というのは?」
「あまりに我慢しすぎて負力を溜め込むと体は蝕まれ心も病む。木々であれば実をつけずに朽ちる。花であれば枯れる。だから適度に負力を放つことも、また正しいおこないなんだ」
そ、そうだった。
負力は植物や微生物までを含むあらゆる生命体から放出されるんだった。
だからときどきは発散したほうがいいってことか。