第112話 傷痕


 「九久津さん。昨日、目を覚ましたばかりなのについつい質問をしすぎました。日をあらためます。すみません」

 「あっ、いいえ。こちらこそご迷惑をおかけしました。あの、さっきの症状って?」

 「まだ、はっきりと原因はわかりませんが九久津さんの場合思い出したくない過去と色が結びついているんだと思います。青色・・を見ると感情が乱れるということは?」

 「……ときどきある気はしますけどただ俺は小さいころから青が好きだったみたいです」

 (兄さんが死んだ日、夜空が蒼かった。それが記憶の中で青と結びついてるってことか? でもなにか違う気がする。青空が先で夜空があとのような……?)

 「そうですか。では今度詳しく診てみましょう。たとえば人が落ち込んだときに世界が灰色に見えるという現象も科学的にも証明されていますし」

 「毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンに関係あったりとかはないですか?」

 「そこはなんともいえませんね。体内で毒がなにかと干渉し合ってる可能性は十分に考えられます」

 「わかりました。毒の可能性も否定できないってことですね?」

 「そうなりますね」

 「そうですか。ありがとうございます」

 「いえいえ」

 そのご九久津は九条と当たり障りのない世間話をして、自分の部屋に戻っていった。

 「戸村さん。国立病院うちにきたばっかりなのに仕事の覚えが早いですね? さっきの九久津さんの対応完璧でした」

 「いいえ。それほどでもありません。あっ、そうだ。今日の診察が終わってからいおうと思ってたんですけど、当局のかたが九条先生の代わりに“しんさつ”をしておくっておっしゃってました」

 「“しんさつ”を? 誰だろ? けど能力者じゃないと無理なんだけどな~」

 「えーと。“MKエムケー”のバッジをしてました」

 「MKって文科省か。女の人?」

 「はい。きれいな人でしたよ」

 「二条か。教えてくれてありがとう」

 「いいえ。とんでもありません」

 「戸村さんって国立病院うちにくる前はどこにいたんですか?」

 「私は、どこにも……。えっとただブランク期間が長いだけです」

 

 戸村はすこし慌ててそう返した。

 「そうなんですか。けど、その能力スキルならどんなところでもやっていけると思いますよ」

 「本当ですか。ありがとうございます」

 九条は本日分の診察を終えてPCの操作をはじめた。

 (九久津家の親御さんが九久津くんの中に魔障の潜在性をみて、僕に診察を勧めてくるなんて妙だな。ということはむかしからなにか兆候があったということか? そもそも九久津くんがこうなった元凶は兄である九久津堂流の死。僕がまだアメリカ留学してたころの出来事か……)

 九条はささっとマウスを動かして院内のデータベースにアクセスした。

 (過去になにか手がかりがあるかもしれない。九久津堂流がバシリスクとの戦闘で命を落としたのなら、十年前国立病院ここで息を引きとったはず。第三次救急魔障に対応できるのは六角市の半径百キロ圏でも国立病院うちだけ)

 九条は検索窓に「九久津堂流」と入力してエンターキーを押した。

 ――カチャ。っという音とともに画面にたくさんの文字が流れていった。

 ほどなくしてハードディスクが目的の名前を探し当ててきた。

 【九久津堂流】 1件のヒット

 「あった」

 九条は保存されていたファイルを開く。

 データの中には電子カルテの他に医療的見地で保存されている写真などが収められていた。

 「これか」

 九条はデスクトップ上にファイル類すべてを展開した。

 一般の人間であれば目を背けたくなるような写真が無数にある。

 九条が人差し指を動かすたびに写真がスライドしていく。

 医師の視点で気になる点があるかないかを取捨選択しつぎからつぎへと画像を送った。

 ときに拡大したり、解像度やライティングを変えたりして九久津堂流がどんな状態だったのかを見極める。

 「え~と。右脇腹にバシリスクの牙の跡。これが致命傷だな……」

 ふたたび連番の画像をクリックした。

 「つぎは右背部。脇腹の画像か……ん?」

 カリカリとマウスの音に比例して画像が段階的に拡大されていった。

 九条は九久津堂流の背中の創傷そうしょうを凝視したまま、ディスプレイを指でなぞった。

 

 「ここをバシリスクの牙が貫通した。その横に無数の引っかき傷。毒の影響で掻き毟ったのか?」

 九条はその画像に紐づけ添付されていた書類を束ねたようなアイコンをクリックする。

 クリップマークが別のテキストファイルを展開した。

 【九久津堂流の爪に皮膚片。九久津堂流本人のものと断定】

 

 文字の下にはそれを証明する鑑定書も添えられていた。

 「本人の皮膚片か。なら、やっぱり自分でひっ掻いたのか? ただなにか違和感が。この傷の形。それに自分で傷をつけたという皮膚の範囲」

 

 九条が頭を悩ませるその引っ掻き傷とは人がなにかを消したいときにその対象物の上からぐちゃぐちゃとペンを走らせたような形だった。

 

 「なにかを隠したかったのか?」

 九条は画像のコントラストをさらに強く上げた。

 解像度が高まるたびに写真内にある線が鮮明になっていく。

 「薄っすらと直線の傷跡……けど途切れている」

 九条は目を凝らしながら顔を画面に近づけてふたたび指先を走らせた。

 「いや、二本の直線が交差してるのか。角度はキツイけど……“くの字”のような形。でも、これが死因になったとは思えない。この傷の深さだと真皮を越えたくらい……。だとするならこの“くの字”の傷のほうが先についた傷だ。段階でいうなら“くの字”型の傷が先につき、そのつぎが爪の引っかき傷、最後がバシリスクの牙ってことになるのか……」

 九条はつぎの手がかりを求めて今度は厚労省のデータベースにアクセスした。