第117話 大病魔障 【狐憑】(きつねつき)


 {{狐憑きつねつき九尾きゅうび}}

 最初の変化は口調からはじまる。

 九条のいつも穏やかな話しかたは患者に恐怖や不安を与えないために自然と身についたものだ。

 いや、九条千癒貴として生まれるからの天性のもの。

 

 人に優しく接することは治療の第一歩。

 医師は診察室に入ってきた瞬間に呼吸の乱れ、身体左右差、振戦しんせんの有無などなど 診断を開始する。

 患者が椅子に腰かけるまでのわずかな時間でも診察はすでにはじまっている。

 「患者との共感は大事なことだからな」

 言葉遣いとともに声質も変化する。

 それにつづき見かけにも変化が現れた。

 九条の前髪は人が目視して気づくか気づかないていど引力に引かれていく、やがて誰が見てもはっきりとわかるくらい九条の眼前で揺れていた。

 両サイドの髪も同じ長さに伸びて今ではもう肩にかかるほどの長さだ。

 襟足も床がゴールだとでもいうようにまっすぐかかとへと向かっていくが腰のあたりで急に止まった。

 無造作な髪型はまるで獣の毛のようだ。

 急激に伸びたまばらな髪はその毛色をも変えて、つやのある銀髪ぎんぱつになった。

 「とくに狐憑きつねつきは大病魔障に分類される。制御できない体と心を抑え込むのはとてつもない苦痛を伴うからな」 

 銀髪の九条はたかぶる体を抑制しながら規則的な上下運動を繰り返し肩で息をしている。

 自分の体をギロリと睨みつけ、今にもひとりでに動き出しそうな自分の体をその場に踏みとどめた。

 ギシっと靴底から音がした。

 {{よわいひゃく}}

 九条は顔を苦痛に歪めた。

 右のこめかみにははっきりとした怒張どちょうがある。

 今の九条は百年の刻を生きた妖狐ようこが憑いたのと同じ状況下で、自分の力だけで狐と共生していた。

 九条の体が激しく痙攣する。

 「……」 

 九条は声を押し殺した。

 右の頬にも怒張した細かな血管がいくつも浮かび上がっていて、まるでなにかの紋章のように頬を飾っている。

 九条の右腕が自分の意思とは関係なく、――ブン。っと空を裂き真後ろに反り返った。

 「ぐっ……」

 九条の手はあらぬ方向を向いた。

 その親指の爪は刃物のように尖っていく。

 魔障が進行したと呼べるその現象はほかの四本の爪にも移行していった。

 ドラキュラの爪それを思い浮かべれば今の九条の爪の形状と完全に一致する。

 

 九条は左手で右腕を強引に掴んで強制的に引き戻した。

 その左手の爪もすべて同じように鋭い爪になっている。

 九条の銀髪の髪を掻き分けて小さな角のようなものがするすると伸びてきた。

 角はやがてある特定の形に変わっていく、それは狐の耳そのものだ。

 九条の頭部に人間の器官としては存在しないがふたつ現れた。

 尾骶骨びていこつの周囲からもふさふさとした獣の尻尾が姿をみせる。

 九本の尾はそれぞれがそれぞれに意思があるように後方で放射状に広がっていった。

 瞳の色も銀色に変化してそのまま血走しったあとに九条の瞳孔が拡大した。

 「市内以外の負力もここに送れ!!」