第122話 キレ者 


 九条は二条の去った部屋でしばらく物思いにふけっていた。

 真っ暗なディスプレイは九条の悩みをそのまま映している。

 PC前で頬杖をつき複雑にもつれあった出来事をほどこうとするが、どこから手をつけていいのかわからないほどに絡まっていた。

 PC本体の規則的な点滅は電源を落としていないことの証明だ。

 九条は本体がチカチカとするたび視線を移しまたディスプレイへと向き直し考えを巡らせる。

 「オムニポテントヒーラー。全能ぜんのう逆説ぎゃくせつか……」

 九条の手持無沙汰の手は意味もなく机の上をなぞった。

 それはどこが始点で終点なのか定まらないまま無意味な図を描いている。

 (全能の治癒力とはいわばどんな病気も怪我をも治癒する能力。たとえばその力を最大寿命ギリギリで使いつづければ寿命は永遠に延びることになる。つまりは永遠の命。……永遠の命なんてあるわけがない。オムニポテントヒーラーの力を持ってしても寿命にはあらがえないはずだ。……その場合オムニポテントヒーラーの力によって再生されたテロメアがどうなったのかってことだ)

 静まった診療室に固定電話が鳴った。

 九条は空気さえ音の振動で揺れるような静寂しじまで受話器をゆっくりと耳元へと運んだ。

 『九条? さあ聞かせろ?』

 

 電話の相手は高圧的な第一声を発した。

 九条はこの時間に誰かが電話してくることを知っているかのようだった。

 「いえない」

 その証拠に相手が誰か名乗る前に話の要件がわかっていたからだ。

 『さあ?』

 相手は臆面おくめんもなく答えを急かした。

 

 「には守秘義務がある。患者の情報は教えられない。今朝もいったよな。一条?」

 電話の相手は九久津の調査の依頼してきた張本人、外務省の一条だった。

 一条は自分の管理する亜空間である異変を感じとっていた。

 それは九久津とバシリスクとの戦闘時に通常の亜空間でありえない爆発がおこったからだ。

 それこそが一条にとって九久津が魔契約をしたかどうかの懸念材料だった。

 そこで同期である九条が九久津の診察をするさいに九久津が魔契約をしているかどうかの調査を依頼した。

 九条も九条で当局の依頼を汲み取り協力を了承した。

 

 もっとも現在ではおたがいにウィンウィンの関係にある。

 一条にとっては九久津が魔契約をしているかどうかを見極めて結果しだいでつぎの一手を打つことができる。

 九条にとっては九久津の毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンの治療に役立てることができる。

 だが今、九条の中では追加として九久津堂流の死の真相を探るための情報取得という名目も加わっていた。

 『そっか』

 「俺は九久津くんの治療のため・・・・・ならっていったよな? そこで知りえた情報は俺の一存でどうとでもするって。一条、どうしてもというなら公的書類を用意しろ」

 九条は仲間内に対しての一人称が「俺」に変わることがある。

 それはある意味それだけ打ち解けた関係ということだ。

 『……九条。医者の仕事は楽しいか?』

 一条は駄々をこねる子どもをあやすように九条の言及をやんわりと流した。

 「ああ」

 『救偉人を蹴ってまで貫いた仕事だもんな。あのころおまえアメリカのミルウォーキーだっけ?』

 「そうだ。まあ勲章をもらっていればもうすこしスムーズに仕事ができたんだってのを今日、痛感したよ。そこでおまえに頼みたいことがある」

 『俺の質問には答えられないけど九条そっちの頼みは聞けと?』

 「ああ、そうだ」

 九条はキッパリと答えた。

 『いいぜ。なんだ』

 一条も損得勘定なく即答する。

 たがいに説明など必要ない。

 一条は自分の依頼ひとつに対して九条の依頼をひとつ叶えるという等価交換は望んでいなかった。

 あくまで包括的に両者の問題が解決できればそれでいい。

 一条は一条なりの考えで公務をまっとうしている。

 「六角市出身、九久津堂流のデータが厚労省のリストから消されてる」

 『なんで?』

 「だからそれを調べてもらいたい」

 『どこをつつけばいい? 蛇が出てくるかもよ』

 「やぶからか?」

 九条は意外とシニカルだった。

 『それしかないだろう。ただ最近、六角市に蛇がいるだいないだって騒いでるけどな』

 「蛇なんてどうでもいい」

 九条は、最近、当局と六角市内をにわかに騒がせている者の存在など取るに足らないものだと思っている。

 『わかってるよ。たかだか・・・・ひとつの町の噂だもんな』

 「厳密には死亡者リストから九久津堂流の名前が消されてわけじゃない。名前をクリックしたあとのリンク先のファイルがない」

 『中身だけか?』

 「そうだ。たぶんAランク情報。……ただ完全に抹消する気はないようだ。それとむかしあったとされる四仮家元也よつかりやもとやの密室での金銭問題についても知りたい」

 (四仮家先生の九久津堂流、治療時の話は今は伏せておうこう……九久津くんの【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】がバレる)

 「最後。九久津堂流がバシリスクと戦闘したその日の気象状況を調べてくれ。厳密にはその日にレイリー散乱という現象が起こっていたのかどうか?」

 『それだけか? 他にも面倒な手続きがあるなら俺がぜんぶ代行でやってやるぜ?』

 「それでぜんぶだ」

 九条がすべての条件をいい終わると、突然、一条からの返答が途絶えた。

 受話器の向こうで一条のこそこそと声を潜める様子がうかがえた。

 『わかった。あっ、今のわかった・・・・ってのは九条おまえの願いを承知したって意味のわかった・・・・と部下との会話に使ったわかった・・・・だからな。それに九久津毬緒は黒じゃないって意味のわかった・・・・、もだ。トリプルミーニング』

 「ど、どうしてそれを!?」

 九条はただ驚愕した。

 一条がどうして九久津が魔契約していないという思考に至ったのかがまるでわからなかった。

 九条はただ会話の流れに沿って話をしていただけなのに一条にすべて見破られたと感じた。

 『九条。おまえは矛盾してんだよ。九久津毬緒がもし魔契約をしているならおまえは九久津毬緒と市民を同時に救う行動をとる。それがおまえの第一選択肢だ。今のおまえにはその切迫感がない。九久津毬緒は多少悪さしたていどのことだろ? 結果的にはグレーだ』

 「おまっ……」

 (……一条の鋭さには驚かされるな。九久津くんの悪さまでわかってるって。いやかまをかけただけなのかもしれない……が、九久津くんの【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】がバレるのも時間の問題だな……。まあバレたときにはバシリスクのの出所を探るためにもこちらに引き込もう。一条も当局の人間だ。誰かにペラペラ話すことはない。一条にも一条の信念があって当局のプライドもある。ただ俺と真逆の場合は困るけど……)