第325話 知らないところで知らない人が死んでも誰も知らない。


「朝の話では姉と一緒に大地震に遭遇したとだけいってましたよね?」

 (誰か身近な人を亡くしてるとは思ってたけど。それは両親のことだったのか?

――能力者である以上、九久津さんも死とは近いところにいるというあの言葉も納得できる。九久津家うち堂流あに。朝の話しは作り話じゃできないトーンだった)

 「ちょうど夕方になりかけのとき私と伊万里はリビングの父と母を見ながらふたりでなにげない遊びをしていました」

 (――ドンという大きな衝撃のあとに周囲が爆発したような音とともに私は部屋の壁から逆の壁に飛んでいきました。ほんの数十秒後で家が倒壊です。なんとか瓦礫から這い出してみるとあたりはひどい惨状で。そんなふうに話してた)

 「そこで大地震が?」

 「はい。私がどこかわからない場所でバッと立ち上がると裸足で母親を探している女の子が目に入りました。そのまま周囲を見回すと、まるで空爆でもされたようだで……」

 「たくさんの家が倒壊していた?」 

 「はい。焦げ臭い臭いの煙と火の手。色を失った世界で屋根からはみ出た足を引っ張ってる人や顔半分から血を流し爪のない指でコンクリートを持ち上げようとしている人もいました。すぐに近くにスコップがあるに小さな木の棒を手にした人も見ました」

 「戸村さんはただ黙ってその惨状を見ているしかなかった」

 「ええ」

 「地獄絵図ですね?」

 (この人にも戦う理由があるならやっぱり俺ら側の人間だ)

 「そうです。ものすごいスピードで走ってきた新聞配達のバイクは裸足の女の子を避けて事故を起こしました。そのあとそのバイクは二度と起き上がることはありませんでした」

 「新聞配達員の死に直接的な地震は関係ないということですか?」

 「はい、泣いている子どもを避けて瓦礫の石でスリップしたんですから直接的な原因はありません。皮肉でよすね? とっさに人を助ける判断をして自分が死ぬ。子どもを助けるか、自分が死ぬかそんな二者択一の質問。ふつうならそんな簡単に答えなんて出せないのにただ反射的にハンドルを切っただけ」

 「人の感情や良心なんてものがなければ、その配達員も生きていたかもしれないですね」

 「すべては”もしも”の話。賢い犬だからって私と伊万里が勝手に名づけた犬のワイズもレンガの下敷きになっていました。二軒隣りの小泉さんも電柱に押しつぶされていました」

 「不条理を許せなくなったのはその出来事がきかっけですか?」

 「私、あのときみんなに生きていて欲しいって望みを持てなかったんです。あの惨状を目の前にしてそんなことは思えなかった。ただみんな苦しんでいなければいいなって安楽あんらくだけを願った」

 (それが医療の道を志すきっかけか?)

 「それほどまで酷い状況ならそうなるかもしれません」

 「誰かの生還を望まなかった。望めなかった。私のなかに不条理が棲みついたきっとあの日からでしょう」

 「そのときお姉さんは?」

 「私からすこし離れた場所にいたみたいです。伊万里もなにが起こったのかわからず家の梁に頭をぶつけていましたから。私は瓦礫を縫うようして伊万里のところにいくと遠くでまた爆発の音と光が見えました」

 「追い打ち、ですね」

 「この状況は序の口でまだまだ終わらないんだって思いました。そのときの伊万里は聴力なくしてたようでした。私はそこではじめて、もう動かない父と母を発見しました」

 「えっ!?」

 「父は母を守るようにして覆いかぶさっていたけど、でも、腕の位置が変で」

 「変って? どういうことですか?」

 「食器棚の扉で切断されたんだと思います。父は地震の直前に食器棚からシチューの皿を出していて、きちんと扉を締めていなかったから。母も顔にシチューをかぶって大火傷。表情なんてなにひとつわからない。まるでシミュラクラ」

 (やっぱりこれがきっかけで医療の道へ。でも朝はすこし違うといっていた。それもそうか魔障を相手にするよりも一般の医療の道にいったほうが多くの人を助けられる)

 「シミュラクラって壁のシミが人の顔に見えたりする現象ですね? そんなに酷かったんですか?」

 (逆説的に考えて母親の顔はもう原型を留めていなかったってことか……。壁のシミが両目と鼻と口に見えて人間の顔と錯覚するのがシミュラクラ現象。人の顔がシミュラクラに思えるなんて……致命的な熱傷)

 「私は今でもあの悪夢にうなされる。あの悪夢はいつ消えるかわからない永遠の苦悩」

 (戸村このひともまた川相憐あのひとのように……)

 「……俺ならその悪夢を消せますよ」

 「いいえ」

 戸村は頑なに首を縦に振らない。

 「私には悪夢という楔を常に心に打っておくことが必要なんです。二度と消せない悪夢が私と伊万里を前に進ませる」

 「それを原動力に生きてきた。そしてこれからも生きていく、ってことですか?」

 「ええ。あのとき命を落とした人のためにも私と伊万里だけがあの地獄を忘れていいわけがない」

 「俺は今日の夕方、遠隔召喚した獏を使ってある人の悪夢を吸込みました。俺はそれからこのソファーに座ったままその人の境遇をずっと考えてました。抱え込んで発散することのできない苦悩。心が化膿するような精神的苦痛。川相憐あのひとの悪夢の総量は精神が崩壊してもたりないほどだ。手首を切ることで狂いそうな精神を保つ。赤い血を見ることで希死念慮への憧れを手放す。死にたいわけじゃない。ただ生きていたくないだけ。川相憐あのひとは透析のようにそれを十年以上繰り返し血を入れ替えてきた。それが川相憐あのひとの生と死の循環器」

 「その人もまた私と同じ世界にいたんですね」

 「六畳間の棺。そんなイメージが流れてきました」

 「六畳間の棺? それって小さな部屋の棺のことですか?」

 「部屋からずっと出られない例えでしょうね。父と母を自殺でなくした人です」

 「私と伊万里と同じ孤児……」

 「父親を亡くしたのは最近ですから、孤児ってほどでも。それにその人はすでに成人しています。ただ十三年間家から出られずに部屋に籠ったままだった」

  (スーサイド絵画。忌具のことはさすがに美子ちゃんの同意がないと明かせない、な)

 「十三年もあいだなんて想像を絶するわ。それが六畳間の棺。世の中にある負力の種類でも静的な負力と動的な負力がある。私と伊万里がいたのが動的負力が支配する地獄ならその人は静的な地獄。けど、どっちも同じ地獄に違いない」

 「酸性かアルカリ性どっちに振れても中性にはなれないようなことですね?」

 「多くの人間の棲息領域は中性の世界」

 「そこからはみ出してしまう人も多い。知らないところで知らない人が死んでも誰も知らない。あの日、私と伊万里はなにもできない代わりに瓦礫に咲いていた花を手向けました」

 (手向たむけられた花にどんな願いが込められているのか? 褪あせていった花の願いはどこにいったのか?なんて多くの犠牲者のために捧られた花を見て思ったものです。あれも地震の犠牲者たちへの言葉、か)

 「戸村さん」

 「私の姉、伊万里は全能の治癒能力に執着しすぎている」

 

 九久津の呼びかけに戸村の声が重なった。

 (全能の治癒能力者、オムニポテントヒーラー……。繰さんも、兄さんのとき同じように……)

――――――――――――

――――――

―――