六角神社は六角市の南西部にありもう百歳にもなろうとしていた。
永い年月の中には戦争も大きな地震も激しい台風もあった。
石段にはいまもそのときの損傷が原因で石が欠けたり割れたりしている。
鳥居を抜けた先の石段の上では左右の木の葉が手を繋いでアーケードのようにアーチを作っていた。
石段の左右には草木が茂っていて虫も鳴いている。
そんな石段は百八個あってそれが延々と境内まで伸びていた。
境内はボール遊びができるほどの広さで石段を上ってすぐ右には石灯篭の「獅子」がある。
反対の左側には石灯篭の「狛犬」が人を出迎えている。
境内を十歩ほど進んだ左側には六角市に除夜を告げる大きな鐘があった。
向かって斜め左が社殿と拝殿だ。
玉砂利の敷かれた参道を進んでいくと、拝殿の前に賽銭箱が置かれていてそこには真鍮の鈴と麻縄がある。
境内の突き当りには社務所があって、そこに連なる形で二階建ての一軒家、つまり社雛の家があった。
家の裏口からまっすぐ進んでいくと市民が裏側からでも参拝できるようにともう一基の鳥居がある。
神社の周囲はまるで聖域でも守るようにして、背の高い緑葉の木々がそびえたっていた。
今、そぼ降る雨の境内では雅楽が響いている。
インターネットがまだパソコン通信という名でかぎられた人間のみが使用していたころ、人と人にはまだ親密な繋がりがあった。
じっさいこの境内にも学校帰りの子どもが寄り道してははしゃぎ声を木霊させていた。
両親の職業も立場も関係なく子どもたちだけで成立する世界があった。
経年劣化した社殿の屋根が雨粒をこんこんと弾いていく。
雅楽は湿った空気の中に籠もってやがて消えた。
社殿の中にある一室では白い和装姿の男女六人がすっぽりと頭を頭巾で覆い正座している。
その者たちの被る頭巾には視界を確保する穴も呼吸をするための空気穴もなく、いっさいが閉ざされていて表情ひとつ窺うことはできない。
部屋の入り口から正面にふたり上手と下手にもふたりづつが並んで座っている。
それぞれの手前には醤油皿に似た小皿が置かれ、注がれている透明な液体には波紋ひとつなく、まるで底の模様が浮いているようだった。
部外者がここをのぞけば異様のなにものでもない。
そこへもうひとり頭巾で顔を隠した人物が、両開きの障子戸の右側に両手を添えて開き、つぎに左側の障子戸も同じように両手を添えて開いた。
素早く部屋に入ってくると両手をうしろに回して、左右の障子戸を指先でピシっと閉めた。
その人物が被る頭巾の目元には穴があり周囲を見渡せる仕様になっていた。
白い和装姿ではありながらも紫、白、橙色の曼荼羅模様の袈裟を提げていて、この場所においては特別な存在だというのがわかる。
その人物は服の裾に気を使いながら畳の上を数歩すり足で歩き、そこで脹脛のうしろを押さえてゆっくりと正座した。
「えーと。中央は真野家。上手が寄白家。下手が九久津家になります」
いいながら、手のひらを上に向けた状態で点呼をとるように順々に手を動かしていった。
「はい。もう用意はできています」
中央に座っている人物が穏やかそうな声質でそう答えた。
その人物は六角市で「シシャ」を匿ってきた真野家の人間で、真野絵音未の父親だ。
「では、さっそくはじめましょうか?」
袈裟を提げた男性は一同に声をかけて一同の同意を待っている。
「お願います」
真野絵音未の父親の横に座る女性が返事をした。
そこに座っているのが真野絵音未の母親だ。
「社宮司。では、そちらの和紙に」
真野絵音未の母親は気遣いを込めた優しい口調で己の目の前に手を差し出した。
当然、視界が塞がれているために、あくまで憶測での距離感だったがぴったりの位置に畳一畳ほどの紙があった。
宮司と呼ばれた男は社雛の父親の社禊だ。
「たいへん年季の入った上質な和紙ですね」
宮司は直接和紙をなでて細かなしわを伸ばしてたところでぴたりと手を止めた。
その目元から紙の上を移動する黒い点が見えていた。
宮司はなにごとかと思って目を凝らして見てみるとすこしくすんだ紙の上を小さな虫がちょこちょこと歩いていた。
小動物とはいえ宮司が殺生をするわけもなくそのいきさきを黙って見届けた。
「紙魚が歩くほど無添加な和紙。現代の子どもはこの虫の存在さえ知らないのでしょうね? むかしは本の中に紙魚がいても気にせずに読んだものです」
「そうですね」
真野絵音未の母親の頭巾がこくこくと上下して中でうなずいているのがわかる。
「時代は流れましたね。最近の子どもは虫にも触れないとか。かつては境内にある木々でもくわがたを捕まえたりしたものです。そういえば九久津さんのところは千歳杉に惹かれて座敷童がやってきたんでしたね?」
宮司は九久津家の両者に話題を振った。
「はい。杉の希力に惹かれてきたんだと思います。もう、ずいぶんむかしのことですけれど」
九久津の母親が返した。
「座敷童とは哀しい宿命を背負ったアヤカシですからね」
「本当にそう思います。それなのに人を怨むわけでもなく毬緒に懐くなんて」
「子どものアヤカシはそうするしか方法がないのですよ。それがあらかじめ備わった赤子の防衛本能なのでしょう」
「それがまた最近忌具保管庫に戻ってきたみたいなんです」
「そうですか。なにかきっかけがあったのかもしれませんね。毬緒くんの退院の日取りは決まりましたか?」
「いいえ。もうすこしかかるようです。それに当局がなにかを調べてるようで……」
「正式にバシリスクの退治宣言がでた以上、さらに詳細な調査が必要なのかもしれませんね?」
「毬緒は堂流のことで深い傷を背負ってますから……」
「そうでしたね。それでは始じめましょうか? まずは邪気を祓うお清めのお神酒を頭巾の中からどうぞ」
六人がそれぞれおそるおそる手探りで目の前の小皿を探している。
何度か空振りで畳に触れたあとに、それぞれが小皿を手にして頭巾の中でお神酒を口に含んでいった。
「純米大吟醸酒ですか?」
真野の父親は唎酒するようにいった。
「ええ」
「これはすごい」
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