マジシャンが布を浮かせるように和紙の中心部がせり上がってきた。
紙の先端は天井に向かってゆっくりゆっくりと伸びていく。
和紙は畳から約百五十五センチのところで丘のように膨らんで止まると、そこで何度も縦横にニュルニュルと伸縮を繰り返した。
立体的な人の形になった和紙はみるみるうちに人間の肌へと変わっていく。
それと同時に左右それぞれの手と足が五本の指を形成する。
髪の色は白、黒、金とグラデーションで変化している最中だ。
目元には真横にスッと切れ目が入る。
白濁した眼球が現れると徐々に濁りは澄んでいった。
鼻の位置が突起をはじめると、すぐに鼻筋の通った鼻ができた。
口元はすでに鮮やかなピンクの唇になっている。
和紙の変化は人の姿へと近づくため今なおつづく。
「真野さん。もうすこしですので私はこれで席を外します」
「宮司。わかりました」
「十七年前と同じようにその娘が手を触れてきたら、お目通しを」
「はい。承知しております」
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廊下では見えもしない境内をながめつつ、なおも雑談がつづいている。
ただそれは同じ形の頭巾を被った人間が同じ方向を向いているにすぎない。
四人はいまだ外界の現状をたしかめるすべなどなく話の合間にただ雨だれの音を聞くのみだった。
「やはり娘はかわいいです。だから……繰に……。けれどそれによって株主の皆様にはとんでもないご迷惑をおかけしてしまいました。もちろん真野さんも九久津さんも株主です」
「いいえ。私たちは金目のホルダーではありませんから」
九久津の母親が控えめに手を振って否定した。
「そういっていただけるとありがたいです。ただ一部上場の企業であるかぎりデイトレーダー、システムトレーダーもふくめて株主です。株式会社ヨリシロの社長交代劇で大損した人もいるでしょう。株式会社はすべての株主に損をさせてはいけないと思っています。それがまた新たな負力を生み出すことにもなりかねませんので」
寄白の父親は九久津の父親と母親にそこにいるであろう方向を向きそれぞれに頭を下げた。
「そうかもしれませんけれど。結局は九久津家と真野家、他に市民のみなさんも地元優遇のストックオプションを付与されただけです」
「そうですよ。それに九久津家は寄白家の家臣です」
九久津の母親は優しく擁護した。
それは保有している株式会社ヨリシロの株が日常生活に直結していないからいえることでもあった。
「いえいえ。家臣なんてむかしのことですよ。現代では同等です」
寄白の父親は株式会社ヨリシロの前社長とあって控えめだった。
「ただ、私たちには縁があって現在でもアヤカシから人を守る役目を負っている。そういうことでしょうかね?」
九久津の父親は三家にも角が立たないように丸く収めた。
「その言葉は大変楽になります。美子は美子で寄白家生まれて辛い思いをしているでしょうし。オッドアイで産まれた瞬間からアヤカシと戦うことを宿命づけられていた。そしてそのとおりの能力を持っていた」
「古からの言い伝えですね。“深紅の六芒星と群青の五芒星”この双眸を持つ者は寄白家の正当後継者となる」
九久津の母親の抑揚ある言葉はまるで古い随筆の一節を読んだようだった。
「ええ。我々はいつ正当後継者が転生してもいいようにむかしからシシャの噂を流しつづけてきた」
「それがつい十七年前に実現した」
「はい。美子の誕生で」
務めを終えた宮司が足袋を擦りながら寄白夫妻と九久津夫妻のいる廊下へとやってきた。
その足音にいち早く気づいたのは寄白の母親だった。
「宮司。儀式も佳境ですか?」
「ええ。もうすぐ誕生します」
「ところでお嬢さんのお加減はどうですか?」
寄白の母親は同じ娘を持つ者として宮司の娘である社雛のことをずっと気にかけていた。
ましてや寄白と社は同学年で幼馴染で、人一倍心配するのも当然だった。
「相変わらずあのままです」
宮司は神妙に返した。
「そうですか」
「あれは誰が悪いわけでもないですから」
「それでも……」
「ええ。雛も雛でわかっていて戦っていたんです。やはり特殊な能力を持つと他人のために使いたくなるのが人間の本質なのでしょう……」
「そこは社宮司の育てかたなのでは?」
「……必然なのかもしれません。ただ、雛には悪いことをしてしまったとも思っています。うちの家系に生まれたばかりに。それでも美子ちゃんや毬緒くんと一緒に戦えると喜んでいたのも事実です。……もっとも相手はアヤカシ。危険は百も承知でしたが……じっさいそれが現実となるとやはり親としては……」
「宮司、お辛いでしょうけど。命があっただけ儲けものです」
九久津の母親は励ましと慰めの言葉をかけた。
それは九久津堂流を亡くしたあの日に自分が欲しっていた言葉だ。
じっさい山ほどの慰めはあったがそのどれもが右の耳から入って左の耳から抜けていった。
今でこそすこしは前向きに考えられるようになったけれどあの日の傷が消えることはない。
「あっ、はい、そうですね。堂流くんは残念でした……雛は生きていますから。それがまだ救いです。あっ……す、すみません。無神経なことを……」
宮司は深々と頭を下げた。
「いいえ。堂流もうちの家系に生まれたばかりに、と私たち夫婦で後悔もしました。けれど今ではそれも九久津家の運命だったようにも思えるのです。……ただ、このさき毬緒のことも心配で。バシリスクのこともなにがどうなってこうなったのやら。あの子の中になにか得体の知れないモノが潜んでいるようで怖いんです」
「得体の知れないモノですか? 召喚憑依の反動では?」
「いえ。それとはなにかが違うんです」
「そうですか。それは心配ですね。魔障かどうか一度診てもらってはいかがでしょうか?」
「そうですね。毬緒はちょうど入院中なので主治医に相談してみようかと思います」
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透き通るような白い肌の金髪の少女が裸で立っている。
「アウ。ア。ウアア」
なにかを伝えようとしているけれど喃語でなにをいっているのか聞きとれない。
「アア。ウアア」
その少女は一生懸命口を動かしながらノロノロと真野の父親に近づきピタっと手に触れた。
真野の父親はその感触でつぎの「死者」の正式な誕生を確信した。
少女は初めての人の感触に触れて、今、なおペタペタとスキンシップを図っている。
「きみはまだ生まれたてだ。言葉はじきに覚える」
真野の父親は少女の瞳を見つめたままで頭をなでた。
「今日からあなたは真野家の娘よ」
真野の母親がいうと夫妻は同時に頭巾を脱ぎ捨てた。
「アア。オカア。アア。サン。オトウ。サン」
真野の母親はその娘の頬に手を当ててからそっと抱き寄せた。
娘を想うたびに両腕の力は強まっていく。
それでいながら我が娘が痛がらないようにこれが愛情だというように抱きしめた。
その光景は亡くした我が子をふたたびとり戻したようだった。
「そう私がお母さんよ。あなたは決して絵音未のようにはしないからね」
「アリガトウ。オカアサン」
「も、もう言葉を……。なんて言語習得力……だ」
真野の父親はただただ驚嘆した。
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