約半年前。
それはまだ九久津と社がバディだったころ。
六角市の南南東の郊外にあるとある廃材置き場。
社にはどうしても心から離れない言葉があった。
――九久津くんの好きな人って誰?
社を逡巡させているその言葉は「六角第一高校」三年(当時は二年生)の白金美亜が九久津になにげなくかけたひとことだった。
白金美亜は「六角第一高校」に在学しながら美亜という名前でアイドル活動をしている。
美亜の所属するアイドルグループ「ワンシーズン」は「ペンタゴン」という曲で最近の音楽チャートを賑わせていた。
登校すること自体はすくないけれどときどき校内にその姿を見せると他生徒の羨望の的になった。
社と並んで美人と称される美亜は自分をひけらかすこともなく、控えめなために女子生徒に疎まれることもあまりない。
かたや男子生徒からも整った美人のため距離を置かれていた。
近づきがたいといえばそれまでだが美亜自身もどこか自から孤独を好んでいるようだった。
美亜がどんな理由で九久津にその言葉を発したのか今の社に知るすべはない。
教室の片隅の出来事が社に無数の選択肢を想像させてしまっている。
それも三年(当時は二年生)の女子が社(当時は一年生)の教室を訪ねてきたのだから気が気ではない。
社の直感は今なおアヤカシと遭遇する状況になっても別種の神経を過敏にさせている。
九久津は自分のうしろを歩く社がいつもとは違う様子だったのに気づき、ふたりの距離を数メートルすくなくとった。
「雛ちゃんは弦で援護して?」
「えっ、うん。わかった」
社はハッとしたように顔を上げて数秒の間があいてからうなずいた。
他に意識が向いていたことを自覚しているけれど、上の空だったことに気づくのもまた同じ自分の社雛。
そんな自分に眉をひそめる。
気を抜けばまたすぐに思考がずれていく。
「雛ちゃん。もっとうしろでいいよ」
九久津がそういったそばから社は陣形の距離感を間違えた。
九久津は社のミスをリカバーするように自分から前に進んでいく。
(……雛ちゃんなんか調子悪いみたいだ。俺が気にかけてあげないと)
九久津は端材や廃材の転がっているガタガタのコンクリートの上をゆっくりと歩く。
靴と砂利の擦れる音が不規則にしてたが、その中のひとつの音が止まった。
九久津はまた社を気にかけてふたたびうしろを見た。
(また……止まってる)
「雛ちゃん?」
「えっ、あっ、そう……だね」
社は無言の視線に気づいた。
――美亜先輩、好きな人なんて訊いてどうするんだろう? 九久津くんがもし、誰か具体的な……いや、こんなことを考えても無駄だ。今は目の前のことに集中しないと。
それが社の中で観覧車のようにぐるぐと回っている疑問だ。
「雛ちゃん。大丈夫?」
「うん。なんでもない」
社は浮足立ったまま踵からそっと摺り足で後退していった。
廃材置き場でありながも周囲は比較的明るくて空までの見通しも良い。
――クァー クァー クァー クァー。
闇夜の森に響く獣のような異音が上方から響いてきた。
その声は廃材置き場に徐々に近づいてくる。
辺りの木の葉は台風間際のようにザワザワとざわめく。
青々とした葉がぶわっと宙を舞う。
大小さまざまな木の葉が乱舞したあとにそのまま落下して廃材や端材の中に紛れる。
空の奥からビュンと空を裂く重い音がして翼が上下運動するバサバサという音が聞こえてきた。
一度目のはばたき音、そこからすこしの間があって二度目のはばたき音がした。
九久津はこのはばたきの回数の時差を利用して相手のアヤカシの全体像を想像する。
(大きな翼を持っていてさらに空からくる大型のアヤカシ。となると……姑獲鳥か)
「雛ちゃん。きっと姑獲鳥だ」
「姑獲鳥。中級アヤカシね。わかったわ」
「ああ」
社は中級ということで高を括ってしまった。
これが上級アヤカシならば頭の切り替えができたのかもしれない。
前線にいる九久津は空からくるものすごい風圧をその身に受けて、とっさに右手で風を受け流した。
「きた」
九久津は攻撃でも防御でもなくすぐに攻守のどちらにも切り替えられる態勢をとった。
羽毛の生えた大きな両翼に白く濁った瞳孔のない小さな目。
歯は剣山のように細かくて、上顎よりも下顎が前に出ている。
まるでジンベエザメが空を泳いでいるような、全長五メートルほどの大きなアヤカシが姿をみせた。