第138話 魔障専門看護師


 ワンシーズンで活動休止中のアスって娘が処置室に運ばれていってから、約十分ほどが経過った。

 ようやく慌ただしさも過ぎ去って院内にはまた平穏が戻ってきていた。

 ソファーに座っていた人も俺と同じように唖然としながらその出来事の一部始終を見ていた。

 これで俺はまたさらに待ち時間が追加された状態だ。

 まあ急患だからしょうがない。

 

 看護師さんは廊下にバケツを置いて拭き掃除をしている。

 廊下の床でベタっと伸びているケチャップとかマヨネーズの汚れを一生懸命に擦っていた。

 ケチャップとマヨネーズが混ざったあの娘の置き足跡みやげがそこらじゅうにある。

 やむを得ずに踏んだ他の看護師さんのケチャップとマヨネーズの足跡もたくさんあった。

 廊下の汚れはきれいになっていくけど、まだハンバーガーのにおいは残っている。

 ただ、加湿器の蒸気でどことなく消臭されている気もした。

 看護師さんが雑巾を絞ると茶色い濁流のような水が、青いポリバケツに勢いよく垂れた。

 バケツは嫌な顔ひとつせずにそれ受け止めている。

 看護師さんの拭き掃除はしばらくつづいた。

 疲れ顔の看護師さんがバケツ片手にナースシューズをコツコツ鳴らして俺らの前を通りすぎていく。

 さっきアスって娘の体を支えていた看護師さんだ。

 「あの、すみません?」

 こんな状態のときに申し訳ないとも思ったけど、どうしても気になることがあったから俺は声をかけた。

 「はい」

 振り返った看護師さんは嫌な顔ひとつしなかった。

 「さっきの女の娘の魔障なんですけど。”やみつき”って言葉日常の会話でも使いますよね?」

 「ええ、そうですね。日常でよく使う言葉の中には魔障から派生した語源も多いので。今回の病み憑きは”やまい”が”憑依”するで”病み憑き”です。それに“病み憑き”もそうですけど“バチ当たり”とかもよく日常で使いますね」

 看護師さんは疲れ顔から一瞬で看護師・・・の顔に変わった。

 「えっ、罰当たりも?」

 「はい。それが由来です。さっきの娘はアイドルらしくて精神的に弱っているところをつけ込まれたんでしょうね」

 看護師さんは廊下にゆっくりとバケツを置くとあごに手を当てて井戸端会議でもするように推理をはじめた。

 どことなく俺に話を聞いてくれといっているような仕草でもある。

 いや、その目は完全にそう訴えってる。

 「つ、つけこまれたとは?」

 「さっきの病み憑きの原因は呪詛性でした。たぶんアスちゃんの周囲に病み憑きの呪詛を与えた人物がいるじゃないか? という先生の診断です。しかも病み憑き以外にも以前から呪詛をかけられている痕跡がみつかりました」

 「えっ……そ、そうなん……です……か?」

 の、呪われてたのか……? そっか、そういうのに対応・・するのが魔障専門医だもんな。

 「私はメンバーの中に犯人がいるじゃないかな~? なんて、ね。冗談ですよ」

 看護師さんは興味津々という顔をみせた。

 なんか知らないけどメンバーかんの怨みこえー!!

 アイドルの闇がみえた。

 人気商売だし、まあ、いろいろあるんだろうな。

 ま、まさか四季の四人の中に犯人がいるって展開じゃないよな? さ、さすがにそれはないか。

 あんなにいろんなメディアに出てるのに四季が二十四節気のメンバーに嫉妬するわけがないだろう、と、思うけど女子の世界はわからないからな。

 「あっ、個人情報なのにいっちゃった。すみません。この話は内緒にしておいてくださいね?」

 「は、はい」

 「彼女さんもお願いね?」

 「わかったアルよ」

 か、彼女? エネミーのことか?

 ちゃっかり俺の横に参上してるし。

 彼女と勘違いされたけど、どうする俺。

 「うちはいわないアルよ」

 彼女という言葉は否定しないのか? エネミーは目を擦って眠そうにしていた。

 また睡魔にでも襲われた……か? あっ、睡魔に襲われる……ってこれも……。

 「あの、すみません。睡魔って言葉も?」

 「はい。そのとおりです。魔障由来です」

 

 「やっぱり!! 多いんですね。日常生活で使われてる言葉」

 「ええ。日本語って世界有数の高等言語ですので。ただほんとうの睡魔は一般医療による病変がない場合の昏睡状態ですから」

 俺は現在、絶賛ふつう・・・の睡魔に襲われ中のエネミーに目をやる。

 昼寝してないから眠たいんだろう、てか赤ちゃんってどれくらい寝るのか知らんけど睡眠時間足りてるのか? ついでに深夜アニメまで観てるし、そこは「シシャ」だから関係ないのか?

 「さっきの娘治ったアルか?」

 エネミーは重そうな瞼で看護師さんにそう質問した。

 「もう大丈夫ですよ。ただ呪詛をかけた人間を特定しないとまた繰り返すでしょうね? そうなると慢性的に発病して日常生活にも支障をきたしてしまいますからね」

 「大変アルな」

 「そうですね。でも呪詛をかけるってのは並大抵のことではないので日頃からの恨み辛み。つまりは大きな負力を抱えた人なんだろうと思います」

 「僕もそれなんとなくわかります」

 「日本じゃ魔障の迅速診断できる病院はすくなくて、国立六角病院ここには全国津々浦々から患者がひっきりなしにやってきます」

 その看護師さんはまたすこしだけ疲労をみせながらも国立六角病院ここがいかに凄いのかと仕事のやりがいを語ってくれた。

 最後は自分の着ているスクラブふくの襟元に触れて、さっきついた汚れたを指でつまんでみせた。

 それが自分の誇りらしい。

 看護師さんは活き活きとしていて、その笑顔のまま廊下に置いてあったバケツを持ち上げた。

 今にかぎっては床を拭くことも大事な仕事だよな。

 「へ~。すごいです」

 さすがは国立六角病院だ。

 「あっ、沙田さん診察室の入り口でお待ちください。あともうすこしだけお待ちいただくかと思いますけれど。ごめんなさい」

 「は、はい。でも、そうして僕が沙田だとわかったんですか?」

 「沙田さんは有名人ですので。すぐにわかりましたよ」

 えっ、身元バレてる? なぜだ? 番号札はまだ出してないぞ。

 「新人能力者。六角市まちの平和。よろしくお願いいたします!!」

 看護師さんはそういって俺にお辞儀をした。

 あ~そういうことか。

 じゃあさっきアスって娘の個人情報をいっちゃったってのは、俺が一般人じゃないって理由もあるか……。

 てかすでに俺、院内で顔バレしてる? 番号札の意味ないじゃん!!

 「は、はい。頑張ります!!」

 期待されることも悪くない。

 むしろ嬉しい。

 自分の存在が肯定されてるってあらためて感じた。

 俺が最初に憧れた寄白さんと九久津に近づけてる気がする。