第139話 シミュラクラ


 診察室の近くにいくと今度は四人掛けソファーが単体で二セット置かれていてた。

 俺とエネミーはその薄緑のソファーに腰をかける。

 エネミーのやつ今日、会ったばっかりの「シシャ」なのにここまで着いてくるのか? でもまあこれもなにかの縁ってやつか。

 ソファーに座ると目に入りやすい場所に木製のブックスタンドがあった。

 雑誌が横に二列、左右に五冊ずつくらいで並んでいる。

 どこの病院でも同じように女性ファッション誌、週刊誌、新聞ばっかりで読む気がしない。

 芸能ニュースならスマホで見れるし。

 しかたなく辺りをキョロキョロながめていると問診のときに看護師長と交代した看護師の戸村さんが車イスに子どもを乗せてこっちに向かってきた。

 どこか別の診察室から出てきたようだ、いや、検査室か? ギシギシという車イス本体の音と――キュルキュルという床と車輪がこすれる音も一緒に近づいてきた。

 エネミーはソファーに座ったとたん、やっぱり昼寝が必要なのかって感じ半分眠ってるみたいだった。

 戸村さんは車イスの患者さんに注意しながらゆったりと車イスを進めてきた。

 ちょこんと座っているのは小学生になったかなってないかくらいの小さな女の子だった。

 花柄のパジャマの女の子は怪我なのかわからないけど、しきりに右膝をさすっている。

 すこしだけ不安そうにしているその子と目が合う。

 「お兄ちゃん。これ見て」

 女の子は嬉しそうに右足のパジャマを膝上まで勢いよくめくりあげた。

 子どもらしく豪快だった。

 こんな怪我なんだよってことか? 子どものときはよくあるよな大人にこれ見てってやつ。

 さらに入院してると見慣れた顔ばっかりで他の人とあまり接することもないから人恋しくもなるだろう。

 これは負力も溜まりそうだ。

 病院ってある意味すげー負力の発生源だよな。

 「……なに?」

 俺はソファーに座ったままその子の膝の位置に視線を合わせた。

 あっ!? 

 その子の膝には大小の窪みが四つあった。

 それは穴じゃなくて皮膚が窪んでいる感じだった。

 ふつうの人の膝にこんな窪みはない。

 窪んだ四つの楕円はちょうど人の顔のようだった。

 あれが両目で、あの小さい縦長のが鼻、そしてすこし右に吊り上がってるのが口……か? 俺は自分の勝手な想像で女の子の膝の窪みに人の顔のパーツを当てはめていった。

 「これどうしたの?」

 ほんのすこしだけ沈黙があった。

 俺は戸村さんに目で助けを求めたけど、ただ笑顔を返されただけだった。

 黙ってその女の子の話を聞くしかなさそうだ。

 「葵の膝もう治るの」

 ”あおい”ちゃんっていう名前なのか。

 ”あおい”ちゃんが言葉を溜めていたのは、どうやら悪い沈黙じゃなく良いほうのだったみたいだ。

 「な、治る。なにが? 膝がなにかの病気なの?」

 「葵ちゃんはね。人面瘡じんめんそうっていう魔障なんです」

 戸村さんが車イスの車輪にロックをかけて今度は助け船を出してくれた。

 「パレイドリアってご存知ですか?」

 「パ、パレイドリア? それもなにかの魔障ですか?」

 「葵ちゃんの膝を見ていてくださいね。ここと、ここと、ここ。それにここ」

 戸村さんは葵ちゃんの膝の窪みを順番に指さしていった。

 俺が見たときと同じで人の顔に見える。

 「パレイドリアっていうのは壁のシミが人の顔に見えたりする現象です」

 「あ~!! あ、あれに名前があったんですね? 知らなかったです」

 「覚えておくと今後なにかの役に立つかもしれませんよ?」

 「わかりました」

 「葵の膝、もうすぐ治るの」

 ”あおい”ちゃんはさっきと同じ言葉ながら、心の底からの笑顔をみせて自分の膝を指さした。

 「そうなんだ。良かったね」

 『怪怪ケケ…………』

 うぉぉ!! 

 俺の良かったねのあとになんか声がした。

 ”あおい”ちゃんの、ひ、膝から声から謎の奇声が……? けど力なくてものすごく弱弱しい。

 ”あおい”ちゃんの膝の四つの窪みのひとつからそんな声が聞こえてきた。

 『怪怪ケケ…………』

 その声は窪みの中でもちょうど口にあたる部分から発せられていた。

 へこんだ部分が上下に動いていて、ほんとうに口が動いてるみたいだった。

 「世の中にはパレイドリアに似たアヤカシもいるから気をつけてくださいね? 油断してると壁に食べられたりしますので?」

 ――本当? 

 俺が口にするより早く”あおい”ちゃんがそういった。

 今までの向日葵のような笑顔が一瞬でドライフラワーのように乾いていった。

 ”あおい”ちゃんは明らかに怖がっている。

 戸村さんは――うそ、うそ、そんなのいない、いない。と声をかけながら俺に悪びれたように頭をさげてきた。

 ”あおい”ちゃんが怖がるからうそってことにしておいて、そんな意味の会釈だろう。

 「よかった~」

 ”あおい”ちゃんは戸村さんの言葉に安心して枯れた花がまた咲いたような笑顔になった。

 「ここの診察室の只野先生は葵ちゃんのような症状。つまり人面瘡じんめんそう剥離術はくりじゅつをY―LABと共同開発して救偉人の称号を授与されたんですよ」

 「えー。救偉人の医者ですか。すげー」

 あっ!?

 それってバシリスクのときに近衛さんがいってた「ただの医師」って人か。

 「人面瘡は根の張りかたが複雑でひどい場合だと動脈を巻き込んでしまうこともあるんです。でも只野先生は人面瘡の根にいく養分を遮断して乾涸ひからびさせて剥がす方法を考案なさったんです。もっとも人面瘡を剥がす術式はむかしからあったのですが血管を巻き込んだうえに肥大化した人面瘡の根を枯らすのは至難の業だったので人面瘡の根を枯らす薬品の生成は大発明ということになりますね」

 「さすがは救偉人の先生!!」

 「それによって苦痛から解放された人も多いんですよ。今では世界の標準治療に採用されていますし」

 ”ただの”先生ってさっきの病み憑きの先生でもあるよな。

 そうやってひとつの発明が多くの人を救うんだ。

 そりゃあ救偉人の勲章ももらえるだろうよ。

 俺があげる側なら絶対に贈るし。

 歴史的にもそういう発見や発明で人は救われてきたんだ。

 たとえばペニシリン。

 それに日本初の全身麻酔手術を成功させた花岡青洲はなおかせいしゅう、あの人は奥さんの視力と引き換えに麻酔を完成させたんだよな。

 これもぜんぶ学校で習ったことだ。

 日本史、世界史ふくめて誰かの犠牲に現在いまがある。

 アンゴルモアのときとすこしだけリンクする。

 「葵ちゃんの人面瘡ももうすぐ剥がせそうなんです。葵ちゃんもうすこしの辛抱だね?」

 戸村さんはそういって”あおい”ちゃんの頭をなでた。

 「うん。葵、がんばる」

 「只野先生もうくると思いますので、もう、すこしだけお待ちください? よかったらそこの彼女さんも診察室なかどうぞ?」

 「か、彼女じゃないです」

 

 さっきからみんなでエネミーを彼女、彼女って。

 「そうなんですか。一高の制服と二高の制服でカップルなのかと?」

 「まあ、うちは彼女でもいいアルよ」

 寝てなかったのか? いや、いまだにエネミーは眠たそうに目を擦ってる。

 瞼も半分以上下がってるし首だって壁にギュイーンってなってるし。

 「そ、それはいろいろと問題が……ある……かと」

 とりあえず誤解されないように否定はしておく。

 否定しなければあとで寄白さんにコールドスプレーをくらうことになるかも……ってなんでここで寄白さんの名前が出てくるのか。

 「じゃあ私たちは病室に戻りますので失礼しますね」

 戸村さんは一礼して車イスの車輪のロックを外し車体をグルっと百八十度回転させた。

 間際に――お兄ちゃん。金髪きんいろのお姉ちゃん。ばいばい!! と今の”あおい”ちゃんからは俺らは見えていないのに大きく手を振っている。

 「ばいばい」

 「ばいばいアル」

 ”あおい”ちゃんの背後しか見えてないけどその顔・・・から希望が見えた。

 車体から発せられるギシギシという音もタイヤのキュルキュルという音も同じなのに心なしか軽く感じた。

 それは乗っている人の心の重さなのかもしれない。

 せめてちいさな子どもの病気だけでも、この世から無くなればいいのにと思う。

 それは魔障であっても魔障じゃなくても。