第144話 忌具(いみぐ)と望具(ぼうぐ)


 「まあ医師ふくめ医療関係者とY-LABのスタッフはつねに患者さんのQOLクオリティ・オブライフ向上を考えているからね。そういえばさっきの能力者特有の反応って話にも繋がるんだけれど……」

 只野先生は机の上に置かれてるPCのマウスにそっと触れて右クリックした。

 ――ガチャと重い音がしてハードディスクが――ジジジっと鳴っている。

 今の今まで黒い画面だったディスプレイにある画像に現われた。

 その画像は誰もが一度は見たことあるくらい有名なものだ。

 髪がモサモサの裸の外国人が両手を真横に広げて円の中に立っていて、そのうしろにもうひとり「大の字」の態勢の外国人が重なっている図だ。

 「これはウィトルウィウス的人体図」

 只野先生はディスプレイに触れるか触れないかの距離で指さした。

 「ウィ、ウィトルウィウス的人体図?」

 噛みそうな名前だな。

 「この絵に名前があったんですね?」

 「うん。あの稀代の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたもの。最近じゃ医学のシンボルとしても扱われているしね」

 「そうですよね。健康番組でもよく見かけます」

 「僕らはこれを胸に日々医療と向き合う」

 ダ・ヴィンチか。

 なにげに「六角第一高校いちこう」の四階のモナリザもダ・ヴィンチが書いたんだよな。

 あれは日本全国どの学校でもコピーを使ってるんだろうけど。

 ってことはこの絵が四階にあれば……動く……かもしれない。

 ただ学校の七不思議でウィトルウィウス的人体図これが動いたなんてことは聞いたことはない。

 きっとアヤカシになってもそれほど脅威にはならないんだろう。

 負力もあまり溜まらなさそう……だし。

 ……ん? この絵ってどっちかっていったらいほうのものだよな。

 ということは……。

 「あの今ふと思ったんですけど。希力が物に宿ることもあるんじゃないんですか?」

 「ん?」

 只野先生はハッとした感じで目を細めた。

 ――そんなものはない!! ってことか?

 「あっ、いや、えっと、なんでもないです」

 ……そうだよな。

 「あるよ」

 えっ!? 

 あ、あっけなく肯定された。

 否定よりはいいことだけど。

 「望具ぼうぐと呼ばれる物が。希望のぼうに道具ので望具と書く」

 望具……か……。

 忌具とは反対の存在。

 「あ、あったんですね?」

 「うん。闇があれば光もある。ただ世の中に苦しみが多いのと同じで全世界の望具の数も圧倒的にすくない」

 

 負力が多いからアヤカシや忌具が産まれる。

 だから魔障の患者も増える、そしてここ国立六角病院のような場所が忙しくなる……仕組みとしてはシンプルだ。

 負力がなくなればぜんぶが解決するけどそれはすべての生物がいなくなることと同じ。

 永遠に解決できない循環サイクルか……。

 「望具ってたとえばどんなものが……」

 「そうだな。神器なんて呼ばれる物だね。たとえば草薙くさなぎの剣とかあとはこの世界の成り立ちのときに刺さっていたというロンギヌスの槍・・・・・・・とか。有名な神々の武器」

 「伝説の武器ですね?」

 でも近衛さんの使うあの柱もソロモン王のだし。

 あと忌具保管にはパンドラの匣もあったな。

 こっちは忌具ってことになるか? 神器も世界に散らばってるんだ。

 「そうだね。それとあくまでも噂だけど。望具保有者ぼうぐほゆうしゃ。セイクレッド・キュレーターという望具を扱える能力者がいるらしいよ」

 セイクレッド・キュレーター……。

 望具を扱う人。

 そんな能力者がいたのか。

 「沙田くん。その分だと能力者としての人体構造とか習ってないでしょ? 多少なりもと魔障医学にも通じるんだけど?」

 「えっ、な、なんですか? それ?」

 「たとえば火事場のバカ力ってあるでしょ?」

 「はい。あの極限状態に出せるあの力ですね」

 「そう。あれはふだん脳が制御してるんだけど緊急事態にはそのリミッターがはずれるために人間離れした力がだせるんだよ」

 「あれって科学的に証明されてるんですか?」

 「うん。理由もね。あの力を日常的に使用すると人体構造状上、肉体が耐えられない。だからここぞというピンチのときにのみ瞬間的な力として発揮できるんだ。まあ期限つきの力の開放だね」

 「へ~」

 「ただ、能力者といわれる人物は日常生活でも火事場のバカ力をデフォルト使用できる」

 「そうなんですか?」

 「きみの身体能力も相当だよ」

 

 只野先生はさっと立ち上がると診察ベッド奥のカーテンのさらに奥に一回引っこんだ。

 しばらくしてそこからホワイトボードを転がしてきた。

 ――ガラガラガラガラ。とキャスターの音とカツカツというナースシューズの音が混ざる。

 ――救偉人の先生が良い。って揉めてた患者さんの対応で診察室から出ていった看護師さんが診察室に入ってきた。

 「どうなったの? さっきの患者さん」

 只野先生はまるで日常会話のように訊いた。

 「それがですね、私が九条先生を呼び止めて――こちらの先生は厚労省から派遣されたすごいお医者さんです。っていうと患者さんの態度が急変しまして」

 「じゃあ九条先生が?」

 「はい。そうです。なにかのオペ映像・・・・を探しにいこうとしていたみたいなんですけどそれを中断して快く診察してくださいました。九条先生にはご迷惑をおかけしました」

 

 看護師さんは只野先生に頭をさげた。

 たぶん混乱してるんだろう。

 本当はその代役の”くじょう”先生って人に頭をさげるところを只野先生に謝ってしまったって感じか? 板挟みってやつだ。

 只野先生の机の上にある卓上カレンダーに「合同カンファレンス:九条」とあった。

 この名前の人が九条先生って医師ひとだろう、他にも何人かの医者の名前がある。

 「いいよ。いいよ。九条先生にはあとで僕からもお礼をいっておくから」

 「すみません。あの患者さんはなにか肩書のある医師なら誰でもよかったんだと思います」

 「そうみたいだね」

 

 只野先生は苦笑した。

 でもこの看護師さんの行動はたぶん正しいと思う。

 「ちなみにあの患者さんの魔障は?」

 「罰当ばちあたりです」

 「罰当たりか」

 さっき患者さん、ば、罰当たりだったのか。

 な、なんかなくなるべくしてなったような気もするけど……。

 「でもその罰当たりもほんのかすり傷ていどのあとだったんですよ。これが聖痕せいこんだったら大変ですけど」

 「でも、罰当たりだって大小さまざまだからさ」

 「すみません。私、看護師なのに」

 「大丈夫。ちょっと愚痴りたいってことくらいあるよ」

 「すみません。それに罰当たりは只野先生が魔障専門医になったきっかけですもんね」

 「まあね」

 えっ、只野先生が罰当たり?

 「けど僕は自らすすんで涜神行為とくしんこういを働いたわけじゃない」

 「そうですよね。そこを恩師である四仮家先生に救われたんですものね?」

 「そう。そう。四仮家先生がいなければ今の僕はなかったね」

 へ~、そういう経緯で魔障専門医になったんだ。

 別に神社とかで失礼なことをしたわけじゃないってことか。

 只野先生もどこかの魔障専門医に助けられて自分も魔障専門医になったんだ……ときどき耳にする良い話だ。

 医者、警察、消防士、救急救命士とかのように救ってくれた人に憧れてその人と同じ職に就く。

 只野先生の場合はその”よつかりや”先生って人が恩師なんだ。

 救偉人の医者の師匠か。

 その人もすごい人なんだろうな。

 「あっ、もう沙田くんの診察終わったからこれ受付に回しておいて」

 ホワイトボードにもたれていた只野先生は机に向かって軽やかに手を伸ばし俺のカルテを手にとり卓球の素振りのように勢いよくその看護師さんに渡した。

 ――ぶわっと空を切る音と一緒に白衣も揺れた。

 なんかかっけー。

 「あっ、はいわかりました」

 看護師さんはカルテを手に一礼すると俺たちに背を向けた。

 「あのすみません。金髪の女の娘ってまだ・・椅子に座ってましたか?」

 俺はそれを呼び止めた。

 「ああ、あの娘ならソファーに座って静かにあやとりしてましたよ」

 「あ、あやとり?」

 「はい」

 し、知らなかった。

 エネミーにあやとりの特技があったのか。

 意外に古風な趣味を持ってるな。

 「なんでもお友だちに教えてもらったとかっていってましたよ」

 お友だち……? ってことは社さんか? でもなぜあやとりを? ……社さんの【ドール・マニュピレーター】に関係あんのかな? まあ、大人しくしてるならいっか。

 「そうですか。ありがとうございます」

 「いえいえ。ではお大事に」

 「はい」

 「けど、あの女の娘なんだかかわいい女の子ですよね?」

 「えっ?」

 どういう意味だ?

 「えっと、いや、なんていうか高校生にしては幼さないっていうか」

 あっ、そっか生まれたての「シシャ」の幼稚さか。

 たしかに今のエネミーにはそういう部分があるんだよな。

 「まあ、それが、エネ」

 ここで名前を呼ぶとまた彼女とかいわれる。

 「エ、えっと、あの娘の個性なんです」

 「そうですか。まあ、高校生でもいるか~あんな感じの娘。う~ん。いるか~な~?」

 看護師さんは首をかしげてなにかを考えている。

 「そういえば私が高校生のときにもいたかもな~あんな雰囲気の子。赤ちゃんのみたいにみんなが集まってくるような妹系女子」

 「エネ、じゃなくて、あの娘もそんな感じです。あの、呼び止めてすみませんでした」

 俺がそういうとその看護師さんは嫌な顔ひとつせずに笑顔を返してくれた。

 「いえいえ」

 ただ、そう答えた言葉とは裏腹にすこしだけ疲れがみえた。

 ふつうの振舞いだけど、さっきのゴタゴタもあるしそりゃあ疲れもするよな。