第204話 創世の神話 安定


それからまたしばらくの時間ときが流れた。

 俺が新約死海写本は書き終えたときの俺はもう俺だった。

 人と人との交流もはじまりつつある。

 俺はほんのすこし前人に「火」を与えおこしかたと使いかたも教えた。

 人の驚きようといったらなかった。

 けれどわずかなあいだにもう使いこなしている。

 知識の吸収力には目を見張るものがある。

 まあ、それは何度目でも同じか……いや繰り返すたびに学習能力は高まっていってるのか? 人類は火によって無数の脅威から保護される。

 たとえば寒暖差、細菌汚染、闇夜での活動時間の延長など恩恵は数え切れない。

 人は本能的に火を使う理由を知っているのだろう。

 辺りを見回すともう小麦が風にそよぎ金色こんじきの穂が収穫を待っているようだった。

 また時間が進んでいく。

 そんなときにあいつはやってきた。

 ――運命。同じことだ。

 八つの頭をしたがえ主人格の頭が問いかけてきた。

 「違う」

 ――……よかろう。

 「おまえだって世界に不必要というわけじゃないんだ」

 ――どんなことになってもか?

 「俺がどんなことをいっても、おまえはおまえのやりたいようにやるだろう?」

 ――当たり前だ。誰にも干渉はさせない。

 「俺にそれは止められない。それがおまえの存在理由だからだ」

 

 ――いずれくるその日を待っていろ。

 

 あいつは重い体をうねらせて去っていった。

 人はあいつを見ても驚かない、それは抽象概念「」の一種と捉えているからだろう。

 畏怖いふの対象であり命を脅かすような危険ではないという認識だ。

 それを証拠にあいつを壁画に書き残すらしい。

 俺のことも一緒に描いてもいいか?と訊かれたが断った。

 だが火をもらった礼として別のなにか・・・をくれるらしい。

 

 ちょうど太陽が沈む間際の空の色に似た稲穂の実が揺れている。

 これからの繁栄を願うにはちょうどいい。

 猫じゃらしという物に似た小麦も畑に列をなし揺れていた。

 猫……そういえば前回、俺のことをと呼ぶ者もあったな。

 そんな壮大な光景をながめていると宿やどみが世界を巡って戻ってきた。

 「運命。これを」

 宿の手には手のひらに乗るような小さな髑髏しゃれこうべが握られていた。

 ただそれはとても透きとおっていている。

 

 「……」

 俺は髑髏しゃれこうべを手にとり角度を変えて何度か見回した。

 その髑髏しゃれこうべは本来の骨よりも硬い材質でできたものだ。

 「十三個のうちのひとつだな」

 俺は宿に聞こえる聞こえないかくらいでいった。

 「では、前回のクリスタルスカルですか?」

 宿は俺の言葉をきちんと聞きとっていた。

 俺が手にしているものは本当の髑髏しゃれこうべではなく表面がつるつるとした人の頭蓋骨を精工に似せて造った水晶クリスタルだ。

 

 「いつかのオーパーツわすれもの

 これが前回のクリスタルスカルものなのか? あるいはその前のクリスタルスカルものなのか? もしかするともっと前のクリスタルスカルものかもしれない……。

 「宿。それでどうだった?」

 「ええ。ずいぶんと安定してきたようです」

 「わかった。つぎは人に貨幣の概念を与えようと思う」

 「わかりました。運命によって人類は早く進化しますね」

 「ああ。今回はもっと早く進化の促進を図る」

 人々は欲しい物があると別のなにかと別のなにかを交換して生活している。

 それでも魚一匹に対して木の実十個などの価値もすでにできあがっている。

 ただ、今回は丸い石・・・貝殻・・省略ばして早めに貨幣かへいを創造しよう。

 

 辺りから――ドンドンという打音がする。

 そこに筒の中を走る風のような音が乗った。

 他にも音色の違ういくつもの風の音が重なっていった。

 それぞれがそれぞれに調和をはじめる、これは音楽だ。

 ――ドンドンとなにかを叩く音はリズムだったのか。

 このとき人はもうすでに音楽を奏でていた。

 「音」を「楽」しむ、……自然発生したの、か? 人々はこれが雅楽ががくという名の音楽だと教えてくれた。

 今回もまた雅楽が生まれたのか。

 

 俺のために奏でる音楽。

 火を授けた恩を律儀りちぎに返してくれたようだ。

 俺はそこから「みやび」という一文字をもらい、俺が背負うべき俺の名前を決めた。

 それが「運命雅さだめみやび」という名前だ。

 俺は雅楽という名前の由来から、たった今「運命雅」となった。

 

 もう、いいだろう。

 俺は早巻はやまきの時間を捨てて現在進行で歩んでいく。

 これからの一秒はただの一秒。

 時間の速度領域と同化する。

 ただしその代償に俺の力は軽減され人に馴染んでいくはずだ。

 「ひ」

 俺は目の前にいる人物にそう声をかけた、いや声をかけるつもりはなかった。

 ただ口からそう言葉がもれていた。

 その人はすぐに反応して俺のほうへと振り向く。

 俺は――みこ。と、あとにつづく言葉をかけた。

 それは俺が運命雅さだめみやびになってから、わずか数年後の邂逅かいこうだ。

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