第214話  残忌(ざんき)


九久津はモナリザの額縁に両手をかけて持ち上げるようにして壁から外した。

 絵画の表面をながめながら上から下へとなでていく。

 モナリザの絵を中心に寄白さんと社さんも集まってきて一緒にその様子をのぞき込んでいる。

 校長はエネミーの両肩に手を置いて、俺らがいるここから二、三歩引いた場所でこっちを見ていた。

 このモナリザは危険な感じがするからそれくらいの距離をとったほうが安全だと思う。

 今の社さんは結構、九久津に接近してるけどこういう場合だと、あの、その、なんつーか好きとかの感情が薄まるの、か、な? まあ、そんなの意識してたら戦いに身は入らないか。

 あっ!?

 そうだ。

 社さんに流麗って単語を知らないか訊いてみよう。

 ……と、思ったけど、今はそんな状況じゃないから後日あとにしよう。

 そんなときだったエネミーもわくわく顔でモナリザの絵をのぞいてるし。

 好奇心旺盛かよ!! 

 さっきまで――おっかないアル。って騒いでたのに九久津が安全確認したからか安心したのか? おっ、校長がエネミーの肩を掴んで軽く引き戻した。

 まあ、そうなるよな。

 九久津は表面を一通りなでてから額縁をグルっと裏返しにした。

 心なしかモナリザの絵の裏ぶたが盛り上がってる気がする。

 九久津はモナリザの絵画を左脇に挟むように抱えてから、おもむろにトンボをずらしてパカっとふたを開いた。

 「あっ!?」

 九久津より先に俺が声を出してしまった。

 絵を裏返した額縁の裏には美容室の床のように髪の毛ような物がへばりついていた。

 なんだこれ? 散乱どころじゃないな敷き詰めてるっていったほうがわかりやすい。

 呪いの人形の髪みたいだ。

 「これが原因だ」

 九久津は俺の声なんてまるで聞こえなかったとでもいうように冷静沈着だった。

 ここでも俺と九久津の場数ばかずの違いを感じた。

 九久津はこんなことが日常茶飯事な日々を生きてきた。

 まあ、寄白さんも、社さんもだけど、俺とは経験年数がまるで違う。

 「九久津。それには直接触るな」

 寄白さんはそういうと手のひらを掲げて触るなのジェスチャーをしてから十字架のイヤリングをさっと外した。

 これでもう寄白さんの耳には左右でひとつずつのイヤリングしか残っていない。

 両耳に一対一のイヤリング、これが本来の装飾アクセサリーの数なんだよな。

 呪符と梵字ぼんじのリボンをしているとはいえ負力の入ったイヤリングを左右に三つずつつけるなんて体の負担は大丈夫なのかな? 寄白さんが手にしている十字架がどんどん大きくなっていった。

 

 それはちょうど鸚鵡オウムが入るくらいのサイズだ。

 形もふつうの鳥カゴに似ているけどカゴの左右は布地ぬのじで覆われている。

 鳥カゴというか砂漠の中のテントのような形? でもそのカゴの入口には鉄格子てつごうしのような柵は見当たらない。

 出し入れ自由なのか?

 

 「寄白さんのイヤリングにこんな力もあったんだ?」

 不意に口をついていた。

 

 「そっか。沙田は知らなかったんだっけ?」

 「えっ、ああ知らない。てか死者のときにこの技使ったっけ?」

 「いいや。あのときにこれ・・は使ってない。戦闘向きの技じゃないから」

 

 「へーそうなんだ」

 あっ、そっか、あのとき俺と校長が四階に着いたときにはもう戦闘たたかいがはじまっていてイヤリングは残りひとつだけになってたんだ。

 ってことは死者の反乱のときはこの技を除く五個のイヤリングで戦ってたのか。

 「ちなみに沙田。美子ちゃんの左耳の左端のイヤリングがグレアで、中央のイヤリングがルミナスに対応してるとかって思ってない?」

 「ち、ち、違うのか?」

 「美子ちゃんのイヤリングは、今、持ってるイヤリングを除きひとつのイヤリングにつきひとつの技が使えるってルールなんだよ」

 「そ、そ、そうなの?」

 「ふたりとも静かに」

 「ごめん。美子ちゃん」

 「はい、すみません」

 反射的に謝ってしまうという俺のこの下僕センスよ。

 てか知らなかったー。

 イヤリングの耳の位置とそれに対応してる技はイコールだと思ってたわー。

 またまた新たな知識を得ることができた。

 {{オレオール}}

 

 モナリザの裏で散らばったていた髪の毛のようなものが光に包まれまるで真空の袋にパッケージされていくようだった。

 そのイヤリングはこうやって使うのものなんだ。

 

 「美子。美子がオレオールを使うってことはそれ忌具?」

 校長がそういってから一呼吸おいた。

 あの髪の毛のような物の正体はわからないけど忌具だったのか。

 「な、なんなのそれ?」

 校長が遠巻きで指差した。

 「藁だ」

 寄白さんが校長の顔を見た。

 その表情はどこか意味深だったけど、なにかを隠しているわけでもないしなにかをはっきりといったわけでもない。

 

 「わ、藁……って、じゃ、じゃあまさか」

 校長の驚きかたはすごかった、やっぱりなにか心当たりがあるのか?

 「そう。おそらくあの藁人形の腕に当たる部分がこれだろう」

 藁人形……? ……ん? 藁人形ってたしか人体模型がブラックアウトしたあとに四階に現われたんだよな……? それと関連ある忌具がその藁なのか。

 モナリザの絵の裏に隠されていた物は髪の毛じゃなくて藁人形の腕をほぐした物だったんだ。

 だからあんなに散らばってたのか? たしかに藁の断面はまるでむしりとったようだった。

 「私ははっきり覚えてる。あの藁人形には両腕がなかった」

 その藁人形の腕だったものは光にパッケージされたあと寄白さんの出したカゴの中にゆっくりと吸い込まれていった。

 どことなかくカゴの中に収納している、そんな感じだ。

 よく映画なんかで見かける細菌兵器を収納する特別な容器を思い出した。

 九久津はそれを見届けてパチンと指を鳴らす、その音で美術室と廊下のあいだを警戒していたぬりかべの召喚が解除された。

 異変の原因がわかったから危機は去ったって判断だな。

 「ま、また裏をとられた……。このやり口って……」

 校長が愕然がくぜんとしている。

 それほどの出来事だったのか?

 「繰さん大丈夫ですか?」

 社さんのあとにエネミーも――繰……。と心配している。

 「時差式じさしきの罠……」

 校長はだいぶショックを受けたみたいで声が一段と弱弱しくなっていった。

 寄白さんが髪を掻き上げて美術室から廊下をながめている。

 なんとなくその藁人形のが出現した日を思い返しているようだった。

 「どうりで……。あのときあまりにあっさり撤退しすぎたと思ったんだよ。結局あの日対処できなかった私のせいだ」

 寄白さんはポニーテールを振り乱して悔しがっている。

 「でも美子。あのときは二条さんが……」

 「いや、二条先生のせいじゃない」

 二条さんって文科省の役人で救偉人。

 だからといって寄白さんがひとりで背負うことでもないはずだ。

 校長の寄白さんへの配慮も効き目なしか。

 「誰のせいでもないよ」

 九久津はそういってモナリザの絵の裏ぶたを戻しまた額縁のトンボを留めた。

 寄白さんはいまだずっと押し黙ったままだ。

 

 「最近の六角市の異変を考えればいきなりブラックアウト体のアヤカシが出現してもそれはそれで想定の範囲だったけど、今回の四階の異変はこの藁が負力の増幅装置ブースターの役目を担ってたんだ」

 九久津はいいながらモナリザの絵画を元の位置にかけ直した。

 九久津の言葉はブラックアウトしたモナリザの出現理由を俺に教えてくれているようだった。

 「カタストロフィーが起こったわけでもないのにブラックアウトしたモナリザが連続で出てくるからおかしいと思ったんだよ」

 なるほどな~。

 寄白さんも、社さんも、九久津もとっくの前に気づいてたのか。

 完全に経験の差だな。

 ブラックアウトしたアヤカシの固体数かずが多すぎるから逆に焦らなくていいなんて今の俺じゃ絶対に気づけない。

 ブラックアウトしたアヤカシが大量に出てきたらふつう混乱パニるじゃん。

 

 エネミーはポカンとしている。

 ふふ、エネミーめ、俺と同じだな。

 おまえがいてくれるから俺の取り残された感が薄れていく。

 助かるぜ!!

 「ということでここでひとつ良い報告。さっきまでの異変は忌具が原因なんだから美子ちゃんのアヤカシの出現予測が使えなくなったわけじゃない」

 おお!! 

 そっか、今回が特殊なだけだから寄白さんのアヤカシの出現予測はいまだ有効ってことね。

 起承転結である段階予測の法則はまだまだ活用できそうだ。

 ……と、思ってたら寄白さんが九久津に詰め寄っていた。

 なにがあった? 九久津なにかしたっけ?