――タン、タン、タン、タン。
規則的なリズムの足音がどんどんと近づいてきた。
でも、それはどこか軽くてまるで子どものようだった。
現実的に考えて座敷童でもないかぎりこんな時間に子どもが四階にいるわけがない。
――タン、タン、タン、タン。
全体重をかけて廊下を走ってもこんなスッカスカの音しかしない。
座敷童ならもっとペタペタと足を鳴らして歩いてきたはずだ。
この音はなんつーか骨や内臓の密度が小さいそんな感じだ。
あいつ……。
バシリスクが現れた日に消えた人体模型とは別固体の人体模型が様子をうかがうようにして走ってきた。
走ってきたというより体を揺らした早歩きか。
さすがにモナリザとの戦闘中は廊下を走ってこれないか? へたしたら自分も巻き添え食うしな。
俺らの戦いが終わるのを見計らってたんだ。
違うな、俺たちがふつうに廊下を歩いてればそれはおのずと戦闘終了の合図になるから俺たちが廊下に出てくるのを待ってたんだ。
この人体模型は人間のように空気を読む力があるみたいだ。
今日、四階にきたときも一礼してすれ違っていったし。
廊下の奥まで走っていって俺らの戦闘が終わるまではそこで小さく周回してたんだろう。
四階で鳴り響いているピアノの低音も店のBGMのようにもう気にならない。
「お疲れ様です」
人体模型は俺たちひとりひとりに頭を下げて通りすぎていく。
この軽い足音は当然人体模型の素材によるものだ。
多くの人体模型はだいたい二十から三十キロくらいの重さだと理科の授業で習った。
ただ、四階の人体模型はもっと軽量化したものを使っている。
それはなぜか? 授業で使用するような精密な物は必要ないからだ。
四階の備品はただ負力の容れ物でいい。
いずれ能力者によって退治される運命にあるから。
前に校長が学校の備品は驚くほど高いといっていた。
黒板が約十万円、教卓は約四万円、教壇は約十万円、バレーボールの支柱、約十五万円、サッカーのゴール約四十万円などなど。
そして人体模型も数十万円が相場で最高級の人体模型になると百万オーバーらしい。
ただでさえ今日のような異常事態で美術室を修理しなきゃならないこともあるんだからそこに経費はかけられないって話。
エネミーは人体模型に敬礼すると人体模型もクルっと振り返って敬礼した。
よくわからんけど人体模型とエネミーがシンクロした。
「お疲れアル」
「お気遣いありがとうございます」
――お気遣いありがとうございます。か……。
人体模型の言葉遣いがぜんぜん違う。
「なあ、おまえ。一週間くらい前にここで誰かの姿を見な……いや、わるい」
寄白さんは立ち止まった人体模型にそういいかけ、そのままつぎの言葉を飲み込んだ。
「頑張れよ」
「はい。ありがとうざいます」
あいつは前の人体模型じゃない。
バシリスクが六角市にきた日、藁人形と同一空間にいたのはたしかに人体模型だけど人体模型じゃない。
こいつになにか訊いたところで無意味だ。
あの日こいつはまだこの世界にはいなかったんだから。
「では失礼いたします」
ほら、話しかただってまるで違う。
あいつは江戸弁で話していた。
人体模型は寄白さんにも敬礼してまた軽い音を立て小走りで廊下を進んでいった。
――ごめん。
寄白さんが人体模型の背中に消え入るような声をかけた。
なにに謝ったのかその言葉だけじゃわからなかった。
人体模型がブラックアウトた日に仕掛けられた罠が今日発動した。
それとは別で模型は同じだけどまったく違う人体模型がぐんぐんと廊下を進んでいく。
【七不思議その一 走る人体模型】は四階の端に辿り着くとそこからまた引き返してくる、それを朝になるまでずっと繰り返す。
生徒が登校してこない日以外はいつもいつも。
生徒がいない日は学校の七不思議という世界が発動しないために四階は静かなままだ。
「六角第一高校」の四階はそういう摂理で成り立っている。
あいつにとってはそれが世界のすべてでなんの疑問もなく呼吸するように廊下を走りつづける。
四階に強制的に造り出された都市伝説の世界はある意味偽物の世界だ。
そう、ここは虚構の世界……地球にある世界は本物の世界なのか? 四階の虚構を何億倍、何兆倍に拡張すればそれは世界になったりするんじゃないか? ……この人体模型とはなんの接点もないのに俺はまた蛇に踊らされているような気持ち悪さを感じた。
踊っているのは俺ら全員か? それも蛇が用意した世界で。
蛇が踊り子をながめる動機はなんだ? 怨恨、異性間トラブル、金銭目的やっぱり快楽目的で動いてるってのがしっくりくるな。
人が苦しむことに快感を覚えるのがいちばんやっかいなタイプだと思う。
「思想も大義名分もなく人を傷つけるのがいちばん面倒だな」
そういった九久津からふだんは抑えているようなかすかな苛立ちがみえた。
シリアルキラー気質の蛇……俺たちも細心の注意を払っていかないと。
人体模型の背中はもうだいぶ小さくなっていた。
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