第234話 シュレンディンガーの猫


 (今度こそ歴史の罪を消滅させることができるのか? ざーちゃんのような、いや座敷童なんて種が生まれないような世界に……。なにもわからないままあやめられる子どもが存在ていいわけがないんだ。それにソシオパスの能力者ウスマ。あいつのようなやつが転生しない世界に……)

 堂流は体の力を急激に抜いた。

 両腕がだらりと落ちて強張っていた全身の筋肉も緩む。

 緊張感の抜けた体はどことなく軽やかだった。

 (心のどこかで恐れてる。……もういちど最初からだ。なんのための召喚憑依の力だ……)

 堂流はさいど体に力を込めていく。

 今度は体の中心を軸にして半身にすべての力を傾けた。

 比率で表すなら「十」対「〇」の状態だ。

 (当局のコードネーム【】。ぜんタームのときにはもう人々にそう呼ばれていたんだったっけ? どのみち前タームなんてのは俺のような人間の干渉できない途方もない過去むかしのこと。ときにそれは神話と呼ばれるようなものだ。世界は神罰によって幾度となく破壊と再生を繰り返してきた)

 「十」対「〇」の比率が変化していく「九」対「一」、「八」対「二」へと現在進行形で変わっていく。

 (有名なものであれば罪火つみびソドム。咎雷きゅうらいバベル。辜水こすいノア。原罪を消そうと何度も何度も世界は壊されてきた。でも失敗だった。人に宿るカルマが必ず罪を犯すから。ノアの方舟が失敗だったことは誰も知らない。水の引いた世界で虹はふたたびちた。無作為に選んだ動物のつがいにさえ悪意が紛れていたから。たったひとつ残ったウィルスが世界の隅々に伝播するように負力はまた世界に蔓延していった)

 堂流は恐怖ひとつない穏やかな表情になった。

 躊躇いがちだった動作も機敏になる。

 なにかの覚悟を決めた、いや、決まっていた覚悟が揺らいだからそれをなだめた。

 

 (罪が罪を呼ぶ。七つの罪を。そしてまた新しい七つの罪を犯す。だから七つのラッパは吹かれてしまった。沙田きみ人間しゅぞくの運命を束ねて何度も何度も世界を変えようとしてきた……。運命の選択者。因果律の改変者。シュレディンガーの猫)

 堂流は大きく息を吐いた。

 すでに力の配分は「七」対「三」に変化している。

 (俺がいなくなってからのことは毬緒と美子ちゃんと雛ちゃんの次世代の能力者たちに託そう。美子ちゃんも思春期になれば人並みに悩みはじめるだろう。いや、背負っている宿命を考えるなら人並み以上の苦悩か。そうなれば使者の生み出す負力も侮れない。同じ年齢としの死者である絵音未ちゃんの六角市を回遊する頻度も増やさざる負えなくなる)

 堂流は大きく息を吸う。

(それに合わせて俺が繰さん他みんなの行動や考えかたをコントールしないと……。いや、違うなこのコントロールさえ沙田かれコントロールいしによるものだろう。運命の派生概念。ラプラスを具現化させたその日からの計画。それはきたるべき世界の終焉おわりのため)

 堂流はもう一度大きく息を吐いてそのまま息を吸い込んだ。

 

 (有史とは人が認識できる歴史のひとつでしかない。歴史の創世はじまりから終焉おわりの単位をタームと呼ぶ。そして創世はじまりのあとには再度パンゲアから世界は拓かれる。破壊されずに残った前タームの遺物わすれものがオーパーツ。沙田きみをはじめとするミッシングリンカーのタイプCとタイプGの能力者たちはこんタームでさらに上の領域に干渉しようとしている)

 堂流のには強い光が宿っていた。

 それは希望と呼ぶにふさわしいだ。

 (……毬緒の夢魔の召喚憑依で沙田かれにラプラス判定を出させる。そうすることでみんなに沙田かれが仲間でありアヤカシを退治する能力者だと理解させことができる。ミッシングリンカーのタイプC。運命の擬人化体、それが沙田きみだ。俺は今から沙田きみの中に入る。祖先が能力者だったという意識づけも必要だ。たとえばむかし”がしゃ髑髏”を退治したことがあるというような……。俺が中に入った場合それは異物でしかない。もしかすると人体の拒絶反応によって魔障・・となってしまうかもしれない……)

 {{分身わけみ}}

 分身わけみによって出現したふたりの堂流が亜空間内で対峙している。

 七割の堂流と三割の堂流だ。

 「あらためて自分で自分を見るのは不思議なもんだな?」

 分身わかれた堂流であっても主導権を握っているのは七割の堂流だった。

 「鏡で見るのとはやっぱり違うな?」

 三割の堂流が答えた。

 「うまくやらないと俺は無駄死にだぞ?」

 七割の堂流は三割の堂流に問う。

 それはまるで具現化した自問自答だ。

 「繰さんと一緒にいるまでな」

 三割の堂流は躊躇わない。

 「そうなったらあっちにいる俺も消えるて繰さんに気づかれてしまう」

 七割の堂流が返した。

 現在「九久津堂流」はこの同時代、同世界に三人存在していることになる。

 繰と一緒にいる「九久津堂流」と沙田のもとで分身わけみを使った「七割の堂流」と「三割の堂流」だ。

 本来一体ひとりだった九久津堂流を100%とするならば繰のもとには30%の堂流がつき従って電話の通報先へと急いでいる。

 沙田のもとにきたのが70%の九久津堂流だ。

 この70%の堂流が亜空間で分身わけみを使ったことにより7割の堂流、全体からの割合「49%の堂流」と三割の堂流、全体からの割合「21%堂流」が存在していた。

 つまりは繰のもとにいる「30%の堂流」と「49%(七割)の堂流」と「21%(三割)の堂流」の三人の九久津堂流がいることになり、いちばん分配比率の多い「49%(七割)」の堂流が現時点での「九久津堂流」の本体だ。

 「そうならないように慎重に」

 三割の堂流は飄々ひょうひょうとしていた。

 「そうだな」

 七割の堂流も物怖じしない。

 「じゃあはじめるか? けど七割おまえは損な役回りだと思わないのか? 同じ堂流おれなのに?」

 三割の堂流は右半身を前に出して左半身を引き攻撃態勢をとった。

 「いや三割おまえが思ってるほどなにも感じないよ。しょせん俺はなんだから。未来のために命を削る。それも先に産まれた者の役目だろう? それより最近毬緒の様子がおかしいと思わないか?」

 七割の堂流は三割の真正面に回り込み、そこで両手を広げて無防備に隙をつくった。

 「世界の仕組みを知るが早かったとでも?」

 三割の堂流は七割の堂流の対面で片腕を高く振り上げた。

 {{混成召喚}}≒{{サラマンダー}}+{{カマイタチ}}

 三割の堂流の手には炎と風が螺旋状に絡まった剣が握らていた。

 「いや、ざーちゃん。……座敷童の話をしたことは後悔していない。毬緒があんなことで潰れるわけがない」

 七割の堂流は両手をうしろに回して組んだ。

 「だったら忌具保管庫の違和感と無関係じゃないかもな?」

 {{雪女}}

 三割の堂流が召喚した雪女によって七割の堂流の足元がピキピキと凍りはじめた。

 凍結が靴の表面をすべて覆い、さらに凍結は脛から膝へと上がっていく。

 「どっちみち七割と三割おれの弟だろ?」

 七割の堂流の体の半分はすでに氷で覆われていた。

 「それは揺るぎない事実。毬緒なら大丈夫さ」

 七割の堂流は安堵していた。

 三割の堂流も同じように顔を綻ばせたあとにまた顔を険しくした。

 「戦闘能力が高いとなまじ簡単に死ねそうもないな?」

 三割の堂流は腕を真後ろに引いた。

 「でも、刺すのも俺だろ? 迷うことなく心臓を貫けばいい」

 七割の堂流の腹部までが厚い氷で覆われている。

 {{韋駄天}}

 「こういう使いかたがあるとはな」

 三割の堂流は単発の開放能力オープンアビリティを使用した。

 「本来の俺のスピードプラス韋駄天。瞬殺してやるよ」

 三割の堂流の動きはもう七割の堂流をもってしても目では追えないほど速度だった。