第237話 メギドの丘


「顔。痛い?」

 沙田は辺りの景色が変わったことに気づいてはいない。

 さらにはそんなことはどこ吹く風で「50%」の堂流を気にかけている。

 理由は単純で顔に傷を負った人が目の前にいるからだ。

 (亜空間に入ったことにも気づいてないか?)

 「これはもう大丈夫だよ。知り合いのおねえちゃんサージカル・ヒーラーなおしてもらえるから」

 それでも沙田は心配そうに「50%」の堂流に近づいた。

 (怪我をしていればその心配ができる。たとえそれが年齢性別問わない他人であってもだ。きっとこれくらいの子どもはみんな同じなんだろう。毬緒でも美子ちゃんでも雛ちゃんでも。たくらみなんてない……。人は何歳いくつまで性善説に生きられるんだろうな? 善性の中にいる者に歴史の罪は教えられない)

 「きみを家に送っていかないと」

 「お家?」

 「そう。だからほんのすこしだけ」

 {{枕返し}}

 「眠ってくれないか?」

 沙田のうしろの沙田が気づかない場所でおむつをした半裸のアヤカシが出現している。

 見かけは人間の赤ちゃんにそっくりでキャンプ場のテントほどの大きさの「枕返し」というアヤカシだ。

 枕返しは自分の目の前にある真っ白な枕に手を置いている。

 (目目連もくもくれんとべとべとの召喚を解除したこの状態でもアヤカシの召喚はちょっときついな)

 枕返しは喃語なんごを話しながら枕を撫でてオモチャのように枕を半回転させた。

 とたんに沙田の口が半開きになって瞼が半分落ちた。

 枕返しがもう一回枕を半回転させると沙田の口元が完全に閉じてトロンと目をつむった。

 沙田はまるでぬいぐるみがコテンと倒れるように横になってスヤスヤ寝息を立てている。

 (あとは沙田かれの荷物と一緒に家まで送り届ければいい……)

 「50%」の堂流は亜空をさっと開く。

 (……ん? あたりの違和感が消えている。アウトサイドフィールドが消失したのか? もし沙田かれ入眠にゅうみんとともにアウトサイドフィールドが消えたのならさっきまでのアウトサイドフィールドは沙田かれのものだった確率が高い。……もっとも特異点の能力者だ。若すぎるとはいえアウトサイドフィールドを使えても問題はない。……ただ、この六角中央公園はなにかがおかしい)

 「50%」の堂流はよろけるようにして地面に手をつく。

 (この地盤……俺の専門外だな。俺が救偉人の勲章をもらったときに来賓らいひん出席きていた近衛さんならなにか解明してくれるはずだ)

 「50%」の堂流は林の中で無造作に置かれている虫取り網と虫カゴを手にして再度亜空間に戻った。

 (よし、あとは南町に亜空間を開き沙田かれを送り届ければいい)

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 「堂流、なんか疲れてない?」

 繰はどことなく堂流の変化に気づいた。

 「えっ、そうですか?」

 「50%」の堂流は沙田を家に送り届けてようやく張りぼての「1%」にすべての比率を戻した。

 「50%」たす「1%」。

 「51%」の堂流がこの時点で「九久津堂流」のすべてだ。

 つまりは「51%」の堂流が現在の「100%」の九久津堂流ということになる。

 ただし外見上は無傷な堂流のほうに戻ったために繰には堂流の外側の傷は見えていない。

 (疲労が顔に出てるか? もっと冷静に振る舞わないと)

 「だって私が韋駄天を使ってるとはいえ、ときどき私のほうが堂流の前を走ってたんだよ?」

 「いや、あの、こっちと六角中央公園あっちに気を使ってちょっと走る速度が落ちただけですよ。こんなに長い時間と長い距離で別々の分身じぶんを動かしたことがなかったんでいまいち要領がつかめなかったんです」

 「そう。ならいいわ」 

 「あの、繰さん。高校卒業後はサージカルヒーラーでもあるし養護教諭を目指すっていってましたよね? 」

 「そうだけど。なにこんなときに?」

 「ちょっとだけ訊きたいことが」

 「なに?」

 「たしか人の肝臓って何分の一かを失っても再生するんでしたよね?」

 「えっとね。元の大きさの三、四十パーセントあれば数週間でほぼ元に戻るわよ」

 「数週間でほぼ元にですか?」

 (今の俺は星間エーテルが抜け出す前の俺より自分おれを49%を失ってる計算だ……。まあ、俺自身が肝臓ってわけじゃないけど。でも希望はあるな)

 「ええ。どうしてそんなことを?」

 「いや、あの、仮にですけど鵺が完全に消滅していなかったらと思いまして。サル、タヌキ、トラ、ヘビのどこか一部分でも残っていたら鵺はどうなるんだろうかと無駄な心配をしてしまって……」

 「いやいや、あれはぜんぶ消滅してるわよ」

 九久津堂流・・・・・は話を逸らすことに成功した。

 「そうですよね? ちょっと考えすぎでした」

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 翌日、近衛は六角市の教育委員会経由の報告で六角中央公園に足を運んでいた。

 六角大池はすでに解析部の調査が入り現在はそれをY-LABに持ち帰っている途中だった。

 (九久津堂流と寄白繰が目撃したという報告書によればある少年がすでに六角大池の周辺にいて偶然出現した鵺を瞬殺した。とあった。ただ鵺の出現状況に疑問が残る)

 近衛は虚空を見つめ、そこから左右に視線を振って真後ろを見た。

 しばらくその場にたたずみ、また、正面を向き直す。

 そこは解析部がなにかの調査をしたとは思えないくらい静かな六角大池があった。

 (六角大池から北側に直進すると六角第一高校。さらにそのはるか先が不可侵領域。六角第一高校を六芒星の頂点としたとき対角線上にあるのが六角第五高校か。その直線上に鵺が出現した……)

 近衛は六角中央公園の地面に手のひらをぴたりとつける。

 (地下? 風穴ふうけつによって負力があらぬ方向に拡散しているのか? 国交省に持ち帰って新しい整備計画を立案する必要があるな。六角市は魑魅魍魎を強制発露させる国立六角病院の診殺室もある。それに六角市内の対安定ついあんてい。青龍、朱雀、白虎、玄武の四神相応との兼ね合いも考慮しなければならない。五カ年計画、いや、もっとかかるか? 十カ年計画……果して十年で可能だろうか? 太陽光を利用した浄化ももっと強化したほうがよさそうだな。六角市ここはもっとソーラーパネルの設置数を増さなければならない。となると官房長官に特別予算が下りないかの打診も必要か。無理なら国防費で……)

 近衛は慎重に事を運ぶ。

 百数十年前、近衛が六角市を整備していたころ近衛の身にゆいいつ意図しない出来事がおこった。

 それは六角市の北北西にある九久津家に隣接した忌具保管庫を造ったときのことだ。

 約千六百年の希力を蓄えた千歳杉が近くにあるため忌具保管庫を造る立地条件は完璧だった。

 だが、それはある日突然起こった。

 忌具保管をふくめた九久津家の直径、約二キロの地盤が一夜にして摩天楼のごとく隆起したのだった。

 そのご当時のできうるかぎりの調査がおこなわれたが理由はまったくの不明。

 近衛はその日から自戒の念めを込め自分の中でだけ・・・・・・・九久津家と忌具保管庫の周辺を「メギドの丘」と呼んでいた。

 メギドとはイエス率いる光の勢力とサタンなどの闇の勢力が最終決戦をおこなう場所のことだ。

 近衛は世界の終焉おわりの間際きっとそこが「終わりの始まり」になるだろうと思っている。

 あれから百数十年経過した現在「メギドの丘」に大きな異変もなくレベルファイブの忌具保管庫として正式に稼働していた。

 それから十年後。

 近衛は「動く忌具」の報告によってわずかに心を乱されはじめていた。

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