二条の足元にある小さな雲の切れ端が風になびく綿ごみのように小さく転がりはじめた。
それと同じ現象があちらこちらで起こっている。
二条の足元の近くで雲の切れ端たちは沸騰したお湯のようにポコポコと浮かんではその場をコロコロ転がり雪だるま式に体積を増やしていく。
雲たちはそこでさらにひとつに合わさり注連縄のような一本のロール型の雲になった。
何本もの縄状の雲が二条を中心とした地点から外に向かって移動をはじめる。
そんな雲が一本また一本と転がっていきやがて防御壁のような雲の壁ができあがった。
雲は自立走行して今もなお壁の厚みを増やしている。
「二条。俺らがいるここを外側から見たらどう見えるんだ?」
「真っ暗な積乱雲よ。まあ、よくいうスーパーセルね。誰かが雲の中を見ても単純な気象現象にしか思わないわ。日常に存在していても誰も不思議に思わないただの雲よ。アヤカシに関連する部署にいれば別だけどアヤカシや能力者のことを知らない気象庁職員なら中に人がいるなんて予想さえできないわよ」
二条が一条にそう答えたときでさえ綿飴を製造する機械のように新たな縄状の雲が生成されている。
{{ボール・ライトニング}}
二条は一条と会話をしながらつぎの行動に移る。
二条たちの頭上で雷鳴が轟くと小さな松明のような球電がたくさんそこに集まっていた。
二条が右手を上げて空気を押すように手のひらを前方に差し出すと球電たちの群れはユラユラと周囲に散らばっていった。
球電はあらかじめ配置場所が決まっていたかのようにアンゴルモアを四方八方から照らしている。
それはアンゴルモアの隅々を露わにするようなライティングだった。
一条の目の前にあるアンゴルモアの「眼」もそのあまりの眩しさに思わず目をつむった。
「おっ。二条の意図しない目つぶし攻撃。って俺らはこれで開放能力の解除ができるな」
「ええ、これで夜目を使う必要はないわ」
一条も二条も今日はじめて照明の中でアンゴルモアの体躯を目にした。
まばらに散っていった球電の光はアンゴルモアにわずかな死角をも生み出さないように様々な角度からライトアップしてアンゴルモアの全体像を浮かび上がらせている。
球電は照明機器の代わりとして明度を強めたり弱めたりいまだに明るさの微調整をしていた。
「やっぱ、あらためてアンゴルモアを見てみてもメイドインジャパンだよな~?」
一条の眼前にあるアンゴルモアの「眼」の上瞼と下瞼がゆっくりと開かれた。
だがすぐに目をつむり、また目を瞬かせを繰り返して周囲の明るさに慣れようとしている。
一条は今日はじめてアンゴルモアの赤い蜘蛛の巣のような血走った「眼」から視線を逸らした。
アンゴルモアの「眼」はそれでも片想いのように一条の一挙手一投足を追う。
(ご丁寧にそんなに俺を凝視たいか?)
一条は一条のいる位置からずいぶんと勾配のきつい角度までアンゴルモアを見渡した。
当然、視覚から見切れている場所にもアンゴルモアの体躯は存在している。
「ああ、俺も注射は嫌い。わかるわ~」
一条は友だちとでも意気投合したような声を上げ、自分の視野に収まるギリギリの範囲のアンゴルモアを指差した。
アンゴルモアは悪魔のようにギョロギョロの目と鋭い牙を持つ単純な怪物ではなく一言では形容しがたい姿をしている。
一条を見ている「眼」もいわばアンゴルモアの体躯の一部分でしかない。
「××××年七月。空から『恐怖の大王』がくるだろう。『アンゴルモアの大王』を蘇らせマルスの前後に首尾よく支配するために」
今、二条がいったのはあの有名なノストラダムスの大預言の一節だ。
「そう、それ!!」
一条はまるで失くしていた物を見つけたように声を上げ二条を指差していた。
「結局、預言だなんだかんだっていってもよ抽象的すぎなんだよな。ふつうの人間にとっちゃ恐怖の大王だアンゴルモアだいっても、これだっていう絶対的なパブリックイメージがねーんだからよ」
いい終わったあと一条の指先の延長線上にはアンゴルモアの「眼」があった。
「だからこんな体躯になったんだよな?」
(まあ、それがプラスに働いてるわけだけど)
「ええ。人それぞれの恐怖イメージが合体した姿がアンゴルモアよ。たとえば私の前方のすこし右端も誰かの恐怖イメージが体躯の一部分として具現化した物」
二条の細くしなやかな指先はアンゴルモアの体躯を指していた。
その場所は先ほどまで一条が睨み合っていたアンゴルモアの「眼」ではない。
透明な太い円柱の中に目盛りがあって押し子と細い針のある物体、そうアンゴルモアの体躯の中にある注射器の部分だ。
必然的にその個所は一条の目線と二条の指先の交差地点でもある。