誰もなにもいわないまま、いくばくかのときが流れた。
優でさえこの空気を読んだように静かにしている。
ときおり不思議そうに優志を見て玄関を見て、寄白を見るというルーティーンを繰り返した。
優志は突然、腰が抜けたように壁にもたれてしゃがんだ。
自分の足と足のあいだに優を入れて背中から手を回して抱き寄せる。
優は優志に見せびらかすようにハンカチを掲げて揺らす。
「花に囲まれた霞はきれいな眠り顔だった……」
優志はむかしを懐古する。
「でも化粧の下にはいくつも痣があったんだ」
つい耐え切れずに寄白に愚痴をこぼした。
「言葉できくだけもでも辛いね」
「誰かあいつに天罰を……」
優志はそういって自分の前髪を毟りとるように握りしめた。
「美子ちゃん。すまない。こんなこと本当なら高校生に聞かせちゃいけないのに」
「別に構わないよ。でも私はあると思うよ、そういう目に見えない罰ってのはさ」
「ンママ」
優は喃語でそういいながらハンカチを振っている。
「私が聞くかぎり優くんは”ママ”っていってるんだよね?」
「そう。”ン”をためてるけどね」
「優くんは霞さんが消える最後最後に霞さんを視たのかもしれない。タオルを落としてハンカチをずっと見ていたとき優くんは霞さんに気づきはじめていた」
「でも未練を残した霞から優の守護霊が優を守っていたんじゃないの?」
「霞さんが自分の死を受け入れ成仏する心を決めたとき、霞さんからの優くんへの悪影響が軽減されて守護霊が霞さんを弾くことをやめたんだ」
「じゃあ、あのとき霞は優の母親でいれたんだ」
「だと思うよ」
「そっか。美子ちゃん、これ」
優志は手のひらを広げて十字架のイヤリングを寄白に差し出した。
「たしかに」
「なんだか最後まで美子ちゃんに助けられちゃったな」
「ううん。法で裁けなくても因果による報いってのはあるんだから」
寄白がそう答えたとき優志は優の描いた絵をおもむろに広げた。
優はオレンジ色のハンカチを持ったまま何度も何度も――ンママ。といいながら絵の中の霞をバンバン叩くように指さしていた。
優志の嗚咽がもれたとたん、寄白は「音無家」の玄関をそっとあとにした。
※
寄白は日が落ちてしまった夕暮れの中で独りスマホを手にした。
【自分から還ってくれた。 寄白美子】
(生ある者と命を失くした者か。私とエネミーに近い関係。でも私はある種の特権によってシシャという対局の存在を許されている。とはいえ死者だけが転校しないといけないのはフェアじゃないよな。真野絵音未。あんたとあんまり交流はなかったけど、人知れない苦悩を抱えていたんだろうね。蛇はそんな弱みをついてきたのかもな)
寄白は優志から受け取った十字架のイヤリングを耳に戻すと、六つの十字架が共鳴するように寄白の両耳で凛々しく輝いていた。
(イヤリングに忌具を格納した場合は別の使いかたもできるみたいだ……それでももっと検証が必要か)
【美子ちゃん。お疲れ。 九久津毬緒】
九久津からの返事はすぐにあった。
【やけに早い返信だな。スマホの前で待ち構えてたんだろ? 寄白美子】
【だって俺と美子ちゃんはバディだし。 九久津毬緒】
(人はいったいどんな時代のどんな場所に生まれたら幸せでいられるのかな? 霞さん来世ではもう二度と私に出合わないようにね? アヤカシを退治してる私に会うってことは不幸以外のなにものでもないんだから)
【体は大事にしろよ? 寄白美子】
【俺は大丈夫。 九久津毬緒】
【ならいい。生きてさえいれば。 寄白美子】
【いつか美子ちゃんがいってたよね。現世とあの世、まあ此岸と彼岸の関係性かな。この世での死があの世での誕生って話、あれって人によってはすごい救いになると思うんだ。だってさ誰かの死が辛いのは”もう二度と会えない”からでしょ? てことは自分の死もあの世での誕生であって先に還っていった人たちとの再会なんだから。 九久津毬緒】
【みんな還る場所に還っていくってことさ。まあこれは私なりの死生観なんだけどね。 寄白美子】
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