鈴木先生は若干慌てたように二年B組の教室を出ていった。
ちょっと話すぎたってやつか。
すぐに一時間目理科の授業がはじまり、俺はいたってふうつに授業を受けている。
それは寄白さんも同じだった。
なにげないこの理科の授業もあと五分で終わる。
「みんな、雨の降りはじめってどんな感じだ?」
理科の先生はクイズっぽく俺らに訊いた。
「ぽつぽつとかですけど」
雨ってやっぱりぽつぽつだよな? ザーザーもあるけど最初はまあ小粒がほとんどだろう。
「それっておかしいと思わないか?」
「なにがですか?」
俺も”なにがですか?”と思う。
その答えのどこにおかしい点があるのか?
「だって考えてみろ。雨雲をバケツにたとえたならそこから雨が降ってくるんだぞ?」
……ん?
どういうこと?
えっと、あっ!? そっか、それなら雨は滝のようにザバザバとまとまった水の塊で落ちてこないといけないのか。
「雨粒は一滴一滴、落ちてきますね」
俺がいいたいことを誰かに先にいわれた。
「じゃあ、これは次回までの宿題。ネットで調べるのは禁止な。それと先生、しばらく双生市に研修にいくことになったから、答合わせはそのあとになる。ごめん」
くー引っ張って”次回につづく”か。
むしろ『中華ファンタジー・異世界ガンマン』がつづけよ!!
双生市は六角市の隣にある町で九久津の従弟がいるんだよな。
六角市の隣にも九久津なみのイケメンがいるのかよ、って従弟だし。
九久津、今ごろなにしてるかな? 昨日の電話越しの声は元気そうだったけど。
ふつうに戦える状態でもあるから、あの黒い風がどう影響するかか? あとは主治医の許可しだいってことになるか。
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人工の光が差す窓辺に置かれた新聞に毛筆のフォントを筆頭にした今朝のニュース記事が並んでいる。
――”GDPの改善が喫緊の課題。鷹司官房長官談”
他にも経済新聞の下にはいくつかの新聞が重なっている。
窓辺にある無機質な花瓶の花たちも、まるでその記事を読んでいるように傾いていた。
九久津は目をそらし右手の指先に気流をおこす。
小さな竜巻はちょうどミックスソフトのように白と黒の螺旋を描いていく。
(ふつうの風と毒の風を均等に配分できるようになってきた)
――トントン。
九久津の病室がノックされた。
「どうぞ」
九久津はそう答えるとドアのほうを振り返ることもなく――戸村さん。と答えた。
戸村も顔色ひとつ変えずに病室に足を踏み入れる。
「九久津さん。お加減はどうですか? 右腕の化石化は完治したみたいですね?」
戸村はまるで一昨日のやりとりが無効になったような距離間で話をはじめた。
九久津も物理的かつ心理的な距離を保っている。
「はい。体にはなにも問題はありません」
九久津はクルっと戸村のいるドアに向き直す。
「そうですか」
「あの国立六角病院のVIP階ってどんな人が入院んですか?」
「いえるわけないですよね。VIPなんですから」
「戸村がいうわけがないから訊いたんですよ?」
「私の表情の変化でわかることがあるからですか? まあ、そんな簡単に読まれませんけど。みなさんがあっ、と驚くかたが入院されているかもしれませんね」
「……総理はずっと入院してるってテレビでいってますよね? その代わりに鷹司官房長官が国の指揮を執っている」
「それが?」
「他意はありませんよ。ただの世間話です。そんな話、日常会話ですることもありますよね?」
「そうですね。しますね」
「国立六角病院に入院する患者は漏れなく魔障由来の患者。総理がいるわけがない」
九久津は戸村の目の動きを見ている。
「逆張りですか? 反対に総理が国立六角病院いるならなにかしらの魔障が原因ってことになりますから。でも魔障に対応できる病院は都内にもありますけど」
「知ってますよ。でも国立六角病院はY-LABが併設されている。Y-LABが隣にあれば都内ではできない検査なんかもできる」
「あいかわらず深読みしますね。九久津さん?」
「俺はつねに先を読んで生きていますんで」
「らしいですね。青への発作の原因も早く分かるといいですね?」
「ええ」
「午後からの九条先生の診察すこし遅れるんですけどよろしいですか?」
「ええ、俺はかまいません。九条先生も忙しいんですね?」
「昨夜も”しんさつ”でしかたら」
「そんな遅くまで診察を?」
「違います。診るに殺すと書いて”診殺”といいます。それは能力者のみがおこなえる、とあるアヤカシとの戦闘行為を示します」
「それって?」
「国立六角病院は院内と市内の負力を診殺室に送り半ば強制的に負力を魑魅魍魎に変えて九条先生が退治なさってるんです。ですので九条先生のライフワークのひとつです」
「まるで六角第一高校の学校みたいですね。けどそれって秘匿情報じゃんないんですか? 医療関係者の守秘義務は?」
「それなり、の、ね」
戸村は抑揚をつけて答えた。
「俺にそんなことを教えてもいいんですか?」
「九久津さんなら、と、いうよりもこれはCランクの情報です。私も昨日知ったことですし。九久津さんならいつか知ることになると思いますよ。社さんはとっくの前に知っていたかもしれません」
「なんで雛ちゃんが?」
「診殺室は国立六角病院地下にあり気圧を減圧した陰圧室になっています。仮になんらかの理由でその負力が上昇してきても防御壁で一時的に防げる仕組です」
「付喪師である雛ちゃんのお父さん。いや社宮司の”文字”の力ですか?」
「ええ。まさに職人の域、梵字だけでもそうとうな抗怪効果があるそうです。付喪師の筆の術はすごいですね」
(美子ちゃんのリボンを作ってるくらいだし、死者を生み出す儀式の仕切り役だからな)
「なるほど付喪師の娘である雛ちゃんなら親の職業としてそれを知っている可能性があるということですね?」
(おそらく雛ちゃんがそれを知っていてもなにに使うかまでは把握はしてないってところだろう……。ただこの人はどうして俺にそんな情報提供を。しかもこの情報は昨日知ったっていったよな? 繰さんにもジーランディアの存在も教えている)
「はい。九久津さん……どうしてそんな情報をペラペラとしゃべるかのか?って顔してますよ?」
「俺はまさにそう思ってますから」
「麻酔の注射で痛み麻痺させて手術をする。これって近代医療の基本です」
「大きな苦痛を軽減させるためなら小さな痛みには耐えろってことですか?」
「私もこれでもれっきとした魔障専門看護師。誰かの苦痛を願うわけなんてないじゃないですか?」
(回りくどくいってるけど、誰の苦痛も望まないってことか?)
「でも俺にはそれがあなたの本心かどうかたしかめるすべはない」
「言葉は見えないですからね? これをいって信じてもらえるかどうかわからないですけど、私、むかし姉と一緒に大地震に遭遇したことがあるんですよ。ドンという大きな衝撃のあとに周囲が爆発したような音とともに私は部屋の壁から逆の壁に飛んでいきました。ほんの数十秒後で家が倒壊です。なんとか瓦礫から這い出してみるとあたりはひどい惨状で」
「……それでこの医療に?」
「そうですね。でもそれだけじゃない」
――かな。戸村の語尾が小さく消えていった。