二時間目は美術で俺は今、三時間目の授業、歴史上の人物の漢字の小テストを受けている。
「武者小路実篤」読みかたは、なかなかムズいけど竹冠に馬で「篤」さえ越えればわりと簡単だ。
よし、書けた。
「武者小路」、う~ん、あらためて考えると「道路工事」と同種だな。
「武者小路中」「道路工事実篤」違和感なさすぎる。
これならイラストのきれいさに惹かれたエネミーの偽歴女が爆発してもおかしくはない。
そしてつぎの問題は、「ほうぞういんいんしゅん」か。
「ほうぞういん」は宝に蔵と、病院の院だよな。
ほ、宝蔵院は書けるけど、「いんしゅん」が書けねー!!
「いん」ってここも病院の「院」か?
なら「宝蔵院院しゅん」?
だ、だめだ。
「いんいん」が「院院」の字面になったとたん頭の中で「インイン」というワードが響きパンダが笹、食ってるイメージしか浮かばねー!!
俺の記憶がたしかなら「いんしゅん」は激ムズな漢字だったはず。
※
なんやかんや漢字の小テストを乗り越え、四時間目の数学を終えて現在は昼休み。
弁当を食べる前に俺と寄白さんは軽く山田の様子を見にいくことにした。
「でっくしゅん!! でしゅ」
山田はくしゃみをしていて風邪でもひいてるみたいだった。
それでも食欲はあるようで『保健だより』をおかずに、し、してない。
今日は……な、なんだ? あれは? 俺が目を凝らして、よくよく見てみると、それは啓清芒寒のメンバーをフルカラーでコピーしたものだった。
えーと? これはどういう状況だ。
あっ!?
たしかに啓清芒寒のメンバーに校長似の娘はいた。
おそらく山田は昨日の深夜に啓清芒寒に出会い「でしゅ」った(?)んだ。
テレビのCMを写メり、その画像を家のプリンタで印刷して、昼のお供にしてるってのが現在の状況か。
寄白さんはすこし”おこ”になっている。
ほっぺたが――むぅ。ってなったまま偵察を終えた。
なぜ”おこ”になったかというと、『保健だより』が印刷しただけの啓清芒寒の紙に完敗したからだ。
ただ俺は思う。
山田の本命は校長なのに校長に似ている娘にいったらそれは遠回りなんじゃ? それとも啓清芒寒の娘に申し訳ないが校長に手が届かないから啓清芒寒に、って啓清芒寒はアイドルだから一般人の山田に手が届くわけがない。
どういうことだ、山田、また俺を攪乱させはじめたな。
こんなことを考えたくはないが若いほうを選んだのか? 校長ごめんなさい。
そんなことを考えながら教室に戻る途中、雨が廊下の窓が弾いていた。
午後からは雨か……。
ああ、理科の授業の雨の問題ってどういうことだったんだ? スマホで、あっ、スマホで調べたらだめだっていわれたんだ。
くぅ、検索してー!!
サーチエンジンが俺を呼んでいる。
が、耐える。
同じくエネミーに訊くまで啓清芒寒の意味も調べない。
俺というやつは律儀だな、うんうん。
なら、ここぞとばかりに「ほうぞういんいんしゅん」の漢字を調べてみることにした。
俺は激早で「ほうぞういんいんしゅん」とひらがなを打つ。
あっ!!
「宝蔵院胤舜」、そ、そうだ、「胤」は、この漢字だ。
けど、なんだよこの「胤」ってムズすぎる。
てか、この漢字、他になに使われてるんだ? 参考漢字の一覧をのぞくとそこには「宝蔵院胤栄」とあった。
宝蔵院流槍術の創始者。
一族かい!!
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昼休み、繰も寝不足ながら眠気を飛ばす意味でテレビをつけっぱなしにしていた。
――その女性は悪びれる様子もなく修文333円硬貨を三枚だしたということです。
つづいては天気予報ですが、その前に現在アメリカを北上中のハリケーンアンドロメダの状況をお伝えいたします。
アンドロメダは依然、897ヘクトパスカルの勢力を保ったまま北に向かって進んいる模様です。
繰の机の上のスマホが小刻みに震えている。
断続的な振動は、メールのようなものではないとわかる。
(……ん? 着信? 電話。あっ、株式会社ヨリシロからってなんだろ?)
繰はスマホの液晶をスワイプして耳にあてた。
「はい、もしもし、繰です」
「社長。”GR”というブランド名でアウトドア用品を展開しているアメリカの老舗軍事企業のグリムリーパー社の経営が傾き近いうちに連邦破産法を申請するようです」
電話の相手は株式会社ヨリシロの財務部長だった。
「えっ? ほんとですか?」
(ニューヨークダウが下がってたのはハリケーンだけの影響じゃなかったのね。アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひくとよくいったものだわ)
「はい」
「株式会社ヨリシロでも商品も扱ってますか?」
「はい、それなりの量は仕入れています」
「そうですか? 利益に響きそうですか?」
「現在、急ぎで同価格帯の別メーカーのアウトドア用品を仕入れるように株式会社ヨロシロの営業部が交渉中です。しばらく混乱はあるかと思いますが、一時的だと思います」
「そうですか。前もって動いてくれてありがとうございます」
「いえ」
繰は電話を終えたその手でスマホを操作して日本市場をチェックをした。
(日経平均の前場見事に下げて終わってる。……株主総会が思いやられるわ)
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同じく昼休み、佐野は鈴木を呼び止めていた。
「先生、朝のホームルームで本当はなにをいいたかったんですか?」
「おお。佐野、いや、あれはな」
鈴木はすこし狼狽えるようにしている。
「先生の話が途中で終わったように思えました。たぶん生徒の心が揺らぐことですよね? でも俺は叶わない願いがあることを知っています。だから大丈夫です」
「……おばあさんのことか?」
「はい。ばあちゃんは俺が平日に見舞にいくことを決して許しませんでした。俺が授業を受けない選択を絶対に認めなかった。結局、亡くなったその日だけ俺は最初で最後の早退をしました」
「佐野のおばあさんは戦争で学ぶ機会を奪われたんだったな? その世代の人ならそんな人は大勢いただろうな。佐野のおばあさんは学習という行為をなにより重んじていたんだな」
「ばあちゃんは文字を読むことはできても書けませんでした。”ま”や”を”を鏡文字で書くんですよ。信じられますか? 俺が保育園児のときにばあちゃんが俺と同じを書いていたことに驚いたくらいです」
「先生が朝いえなかったこと。……残酷なことだけど先生の教えた生徒のすべてが幸せな人生を送れるわけじゃないんだ。詐欺をくいとめた朝のコンビニ店員の彼はメガバンクに就職したと風の噂できいていた。もちろん現在は銀行に就職したからって一生安泰ってわけじゃない。銀行は激務だときくから今のほうが幸せなのかもしれない。教え子のなかには病気になって先生よりも早く亡くなってしまった生徒もいるし、犯罪に手を染めてしまった生徒もいる。生きていて元気で生活しているそれだけでこの上ない幸せだろう。それでも教師の欲目で、安定という意味では就職のほうがいいと思ったんだ。いや思ってしまったんだ」
「そういうことですか」
「……前時代的だな……。佐野。先生が教卓から全員を見渡しとき本当に十人十色でこのなかの誰が不幸になるかなんてからないんだ。でも先生の今までの教え子の全員がずっと平穏無事な生活を送れるわけじゃないこともわかっているんだ」
「教師やってて虚しくならないですか? だって教え子の中で必ず誰かがドロップアウトしていくことがわかってるわけですよね?」
「ならないよ。だから教師は問題に対しての答えを教えるんじゃなくて、その解きかたを教えるんだ。一時的に答だけを教えたってその場しのぎにしかならない。だからずっと使える方式を教えるんだ。困難に遭ったときに使える公式や、考えかたや、忍耐力、仲間や信頼を」
「先生、俺は鈴木先生が誇れる生徒になりますよ。どうしてもやりたいことがあるんで」
佐野は陰と陽を混ぜたように答えた。
「ああ、佐野。高校生はそれでいい。暗い未来なんか考えるな」
「歴史からそれを学びました。俺が有名になったら嬉しいですか?」
「まあ、それは嬉しいよ。朝のニュースじゃないけど、教え子が有名になるなら、な」
「そうですか。それをきいて安心しました」
「佐野、最近、勉強に積極的らしいな? 他の先生方も感心してたぞ」
「なにかを知ることは楽しいですから。世界にはまだ悪魔を崇拝している人もいますし、呪術で病が治ると思っている人もいます、それに天動説を信じている人もいるし、ダーウィンの進化論を信じない人もいます」
「そうだ。だから教育は大事なんだ。といいながらこんなことをいえる時点で幸せなんだろうな? 世界にはまともな教育を受けられない人がごまんといる。アルコールと名がつくからという理由でメチルアルコール、いわゆるメタノールを飲んでしまう人もいる」
「俺らが簡単に理科で習うような知識です。メチルアルコールは目が散るほど危険だって語呂で覚えられるくらい、の」
「そう。日本だろ単純に硫酸なんかの”酸”って漢字を見るだけで身構えるだろ」
「はい。酸性ってだけで良いイメージはありませんから」
「そう。それさえ考えることができない国もあるんだ。佐野、おまえはおまえのやりたい道に進むんだ。進路の相談ならいつでもきくから」
(道。たとえ斬られた首の転がる険しい道だったとしても俺はそこを進んでいく)
――和紗。か弱い者のために役立つ人になりなさい。もしもそれを邪魔するものがいたなら薙ぎ払ってでも、あんたの信念を貫きなさい。
佐野の脳裏に祖母の言葉が木霊する。
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