第295話 美子の友だち


 終わり? 終わりなのか? でも九久津のいってたとおりだな。

 あのブラックアウトしたモナリザの出現は、忌具である藁人形の腕で負力がブーストしただけ。

 寄白さんの経験則はいっさい鈍ってない。

 

 俺は寄白さんにいわれるがまま寄白さんと一緒に音楽室に向かう。

 俺たちが音楽室に入ったのと入れ替わりに人体模型が廊下を走っていくのが見えた。

 やつは今日も元気だ。

 人体模型は戦闘が終わるまで、また廊下のどこかでショートターンを繰り返してたんだろう。

 

 寄白さんって四階に出現した音楽家のときは無感情のままイヤリングに吸い込むな。

 それはなんとなく寄白さんとアヤカシが一緒に過ごしてきた時間が理由なんじゃないかと思えた。

 人体模型は早朝から放課後までは動かないけど、それは人間でいうところの睡眠時間のようなもので、結局は断続的に存在していることになる。

 けど、肖像画の音楽家たちは絵を介して出てはくるけど、ほんのわずかな時間で退治されてしまうから情もなにもない。

 だからそれぞれの平均寿命も違う。

 音楽家たちは一期一会で退治されていく。

 人体模型はなんだかんだ顔なじみで情が湧いてしまうのかもしれない。

 いや、それって今の俺も同じ状態じゃん。

 地味に人体模型の行動、気になってるし。

 

 ――ダンダン、ダンダン。ダンダン、ダンダン。

 そして今、俺の目の前で音を鳴らしているピアノもずっと居る(?)、あるいはずっとる(?)。

 俺が転入してきてから「六角第一高校いちこう」の七不思議のゆいいつの生き残り。

 負力が入り込むタイプの七不思議はみんな入れ替わってしまって、このピアノは一期生みたいなものだ。

 今、廊下を走っていった人体模型は二期生だし、つぎにモナリザがでてくれば三期生。

 ヴェートーベンは四期生、まあ、音楽家はバッハとも一回遭遇したし今日はシューベルトだったから音楽家の肖像画の括りでいうなら五回出現したことになる。

 そう考えると、音楽家の肖像画にはわりと負力が集まりやすい、いや、近衛さんがそうしたんだろう。

 

 ――ダンダン、ダンダン。ダンダン、ダンダン。

 廊下で聴いていたよりも、いっそう大きな低音が耳に響いてくる。

 音楽室のなかを進んでいく寄白さんは、ある音楽家の前で立ち止まると、ふわっとポニーテールをなびかせてこっちを向いた。

 開放能力オープンアビリティの夜目を使っているのに、寄白さんの表情が陰ったのがわかった。

 耳の黒い十字架が揺れている。

 「どういうわけか……出てくるヴェートーベンがいつも同じタイプの理由がこれだ」

 寄白さんが指差している音楽家の肖像画は【ヴェートーベン】だった。

 俺も肖像画の近くで【ヴェートーベン】をながめてみる。

 あっ!?

 七不思議製作委員会のときに九久津は黒板に間違えて【ヴェートーベン】という字を書いてたんだと思ったけど、ほんとに【ヴェートーベン】って綴りだったのか。

 へー、って、物の見事に【ヴェートーベン】髪の毛にも落書きされてる。

 ああ、これが《ストレートパーマのヴェートーベン》の髪型がストレートパーマに見える理由か。

 【ヴェートーベン】の本来のあの乱れた感じの上から縦線を引いてるから、ストレートパーマふうに見えてたんだ。

 だから出現時はいつも《ストレートパーマ》なのか。

 今回は赤いスカーフを頭に巻いていて、さすらいギター弾きみたいになってたけど。

 なるほどね、だから《ストレートパーマのヴェートーベン》。

 ……ん? おっ? あっ、違う。

 【ヴェートーベン】の「ヴ」をよく見てみるとカタカナの「ベ」の左端に「たてせん」の落書きがある。

 それに「へ」の左側の真ん中にも「たてせん」の落書がある。

 これで「べ」が「ヴ」というカタカナっぽく見えてたのか。

 その横にもみっつの線がカタカナの「エ」のようになっている。

 やっぱり本来の【ヴェートーベン】は【ベートーベン】なんだ。

 ネイティブ発音なら「べ」が「ヴ」になるのか?って思ってたけど、そういうわけじゃないのか。 

 寄白さんは俺になにを伝えたいんだろう?

 「こんな日常だ。私も九久津も雛も、それに前死者の真野絵音未も友だちがすくないわけさ」

 「ああ。そ、そう、だ、よね」

 なんか妙な間合いで返事をしてしまった。

 でも、そうなんだよ、寄白さんたちは、むかしからアヤカシのいる世界にいて一般社会と表裏一体の生活をしている。

 それりゃあ、いろいろと制限はあるよな。

 そのころの俺ときたら、ふつうに一般の子どもやってたんだ。

 みんなはそのころから、すでにいろんなものを我慢していた。

 友だちを作ることや、友だちと遊ぶこともそうなんだろう。

 「私にはむかし”しーちゃん”って友だちがいたんだ」

 「なるほど」

 へー、寄白さんに、そんな友だちがねー。

 あっ!?

 し、しーちゃんって、寄白さんがときどきしてる髪飾りの……。

 「小さかった私は、九久津や雛、真野絵音未とすぐに会うってわけにもいかなくてさ」

 「小さいころってなにごとも親と一緒じゃな行動できないしね? そもそも子どもなら移動自体ひとりでできないし」

 「楽しかった想いがそのまま肖像画に入ってしまったんだろうな」

 「どういうこと?」

 「そのベートーベンの”ヴェ”は私としーちゃんがいたずらで書いた字なんだ。というか結果的に”ベ”が”ヴ”に見えるようになってしまっただけだけど。ついでにストレートパーマに見える髪の毛もそう」

 うそっ!! 

 そのカタカナの「ベ」の左端にある「たてせん」と「へ」の左側の真ん中にある「たてせん」も、カタカナの「エ」に見える字も、ストレートパーマに見える髪の毛も、ぜんぶ寄白さんと、友だちのしーちゃんが書き足したものだったのか……。

 ああ、でも子どもがペンを持つとそんなこともあるかもしれない。

 「じゃあこの落書きは寄白さんと、そのしーちゃんが書いたもの?」

 「……字に込める想いってのは相当、強いんだろうな」

 ……ん?

 

 「それって、どういうこと?」

 あっ!?

 ……さ、察してしまったぞ、俺は。

 でも、訊けない、これは絶対に訊けない。

 あくまで俺の憶測だが、その、しーちゃんはもう……。

 九久津も校長の九久津の兄貴のことを、寄白さんは寄白さんで、しーちゃんのことを。

 そうなった理由はわからないけど、寄白さんたちが身を置いている世界のことを考えると当然アヤカシが原因だろう。

 アヤカシは年齢性別なんて関係なく危害を与える存在だ。

 

 寄白さんのしている髪飾りを見た校長が――へ~まだつきあいがあったんだ?っていってたけど、それは今でも思い出す?的な意味合いだったのかもしれない。

 その古い髪飾りは、むかし、しーちゃんからもらった物を最近になって発見したってことだろう。

 だって、もし今、同世代になった女子が、そう、しーちゃんが、寄白さんにプレゼントを渡すとしたらそんな古いデザインじゃなくて今風のものを渡すはずだ。

 まるで時が止まってしまったようなデザインの髪飾り、しーちゃんはもう、すでに……。

 俺にはそうにしか思えなかった。

 だからこの肖像画のなかには落書きした当時の楽しかった想いが閉じ込めれている。

 ――時間は不可逆ふかぎゃく。因果の組紐を。

 頭のなかに響く声、これは死者の反乱のときにきいた声だ。

 ラプラス。

 でも、この言葉に似たセリフをきいたことが……。

 あれはたしか創生の神話。