「川相さん。その手首の傷は躊躇い傷でしょ。だからあなたは躊躇ったぶんだけ生きたいって思ったはずなんだ」
「えっ?」
「”死にたい”と”生きていたくない”は違う!!」
いつにもなく寄白さんが声を荒げた。
誰も誰かに死んでほしいなんて思わない。
それが目の前で苦しんでる人ならなおさらだ。
寄白さんは人体模型にだって優しい。
逆に俺へ当たりのほうが強いくらいだ。
「……死にたいとは、別?」
川相さんは初めてそんな言葉をきいたというように驚いている。
「そう。”死にたい”であればそのあとに待つのは死だけ。生きていたくないであればまだまだ無限の選択肢がある。あなたは無意識でもこの十三年間、死を回避しつづけてきた。あなたが手首を傷つけても古い傷から順番に塞がっていく。あなたの体は生きることを諦めていない。礫を投げ合うような世界だけどさ、あなたはずっと外の世界で生きることを求めてたはずなんだ」
川相さんは手首をさすっている。
自分が意図しなくても皮膚は再生し傷を塞いでいく。
心がどんなにボロボロでもそんな思いとは別回路で細胞は肉体を癒す。
「棺のなかは暗くて寂しくて苦しかったな。十三年ぶりの夜風。この顔を駆けていく風、なんて気持ちいいんだろう。風にも特有の匂いってあるんだね」
川相さんは空を見上げている。
もうぽつぽつと星が見えていた。
川相さんの”当たり前”があの高い場所にあるのかもしれない。
なら俺たちはあの空の上で、眠すぎるとかいって朝起きて、朝のホームルームをして昼には誰かと弁当を食べて、午後からが意外と長いんだよなーって思って、掃除の時間には丸めたテストをほうきで打った。
俺らにとって学校にいくなんてことは、ほんとにふつうのことだ。
それがどれだけ奇跡的なことなのか気づいてなかった。
「私はまだ十七歳で、十三年間、部屋にいつづけるなんて想像もできないけど……それでも川相さんには、もういちど歩いてほしい」
俺もそう思った。
だって十三年もあいだこの世界から隔離した場所にいたのに、これからもそこにいなきゃならないなんて辛すぎるから。
「十七歳か。私がいちばん夢を見ていて、どんな将来が待ってるかなって希望に満ちてたころかな~。専門学校のパンフレット取り寄せて、体験入学にいって卒業生がどこどこのブランドにいるんだってきいたら、私まで、まるでその人と見えない糸で繋がって知り合いじゃないのに知り合いな気がして」
本当に夢だったんだ、服飾デザイナーになること。
「私、何年無駄にしたんだろう。専門学校にいかせてくれたお父さんに申し訳なくて申し訳なくて。今日、外にでてみると止まっていた時間がいっきに流れてきて怠けてた自分へ罰だと思った。でも車のクラクションを聞くとなんだかつい最近まで私は外を出歩いてたんじゃないかって錯覚するの。私もむかしはこんな世界でお父さんに手を引かれてたなって」
川相さんの顔つきがなんだか柔らかくなってきた。
話てすっきりしたのか? スーサイド絵画をイヤリングに収納したからなのか?
「あの手を思い出す。私をずっと守ってくれたお父さんはなにを思ってビルから飛び降りたんだろう……。それも六角駅なんて人目につくところで。やっぱりあの若い社員のことかな……」
はっ!?
そ、それって、まさか、こ、この人は俺が九久津の家にいくときにバスで見かけた顔に大きな黒子があった、あ、あの人の娘。
六角駅前のビルから飛び降りた事件なんてそうそうないはずだ。
社さんがスーサイド絵画を初めて見たのも、その場に居合わせたのもあの日だった。
じゃあ親子二代でスーサイド絵画に狙われてたのか? 社さんが俺の肩をとんとんと叩いた。
俺が振り返ると社さんはスマホを自分の腰あたりまで下げて液晶をタップした。
……ん、川相総。
あの頬に黒子があった人の顔写真だ。
川相さんのお父さんは川相総っていうんだ。
今まで名前も知らなかった。
ただ特徴的な顔の黒子と、あとは着ていた【黒杉工業】という刺繍の入った作業着が記憶に残ってる。
それにあの事件の数日後にアップされた六角市の新聞社のサイトの記事も。
川相さんのお父さんはたしか運転席のすぐうしろの座っていて鷹司官房長官の発言にイライラしていた。
たぶん官房長官その人にいらだっていたというより国? 世界? なにもかも、か? 会社への不満があったらしいし。
娘さんのことも悩みだっただろうな。
川相さんも、父である川相さんにも誰か悩みを打ち明けられる人がいたら違ったかもしれない。
そこをスーサイド絵画につけこまれたんだ。
あの絵は心の弱みを抉ってくるから。
にしても寄白さん、なんだかこういう説得に慣れてる気がする。
そっかアヤカシだけじゃなく、忌具も対処しなきゃいけないからか。
友だちのしーちゃんのことも関係あるかも? それで寄白さんはこんなに強くなったとか。
いや、寄白さんの強さは生まれ持ったものだ。
アヤカシと闘う運命を背負った時点でそうなるしかなかったんだ。
「まあ、にわかに信じられないかもしれないけど川相さんとあなたのお父さんが見た黒い絵の影響は大きいと思うよ」
「えっ!? お、お父さんもあの絵を見てたの?」
「私が説明するわ。私、偶然その場に居合わせたから」
社さんがなにひとつ隠さずにいった。
「なんだか夢見たい。私がいつも見ていた悪夢とも違う。結局あなたたちは何者なの?」
「まあ、あの絵のようなものから人を守ってるってかんじかな」
「ごめんなさい。私があのときなにかできていれば」
社さんが謝ることじゃないのに。
「あなたのせいじゃないわ。でも、あなたたちを見てると六角市の不可侵領域とか”シシャ”の噂もほんとなのかもって思えてくる。お父さん、ごめんね。ずっと脛をかじってばかりで。ずっと出たいと思ってたんだよ、あの六畳の棺から」
使者は川相さんのような人を救うためにいるんだよ。
「世間がなんていおうが親は脛がなくなるまで齧らせると思うよ。親って子どもが生まれた瞬間にその子を一生かけて守ろうとするじゃん。それは二十年経ったって、三十年経ったって変わるはずないよ。だって親なんだもん。生まれた瞬間赤ちゃんが命のすべてを手渡すのがお父さんとお母さんなんだから」
寄白さんも校長もそんな親の愛情で育ってきたんだろうな。
まあ、寄白家って家柄が家柄だけど。
「私はずっと甘えるって自分を責めてた。世の中もそれを許さないと思ってる。逃げたっていいなんて逃げつづけたさきに何があるかわからないから言えるのよ。逃げたさきには苦痛しかない」
「私、思うんだけどこの世界を創った人ってだいぶ手抜きしたと思ってるんだ。鮫はなんどでも歯が生えてくるし。トカゲの尻尾もなんどでも再生する。象は癌になりにくいし。それを人間に適用してくれれば人もっと幸せになるのに。だからこの世界ってVer1.0なんだよ」
バージョンってなんかそれIT系の響き。
あっ!?
でも寄白さん【能力者専門校】にいて、ITに強いんだった。
「九久津の受け売りなんだけどさ。努力が報われるなんていえないけど、昨日できなかったことが明日できるほうに近づくのは確かだよ。それに川相さんは努力したと思うんだ。だけど百にならないからそれを許せず無為にしてしまった。完全な自堕落とも違うと思う。また、戻ってきてよ。こっちの世界に。んで、私に似合う服でも探してよ」
寄白さんの私服はちょいダサだから、それはいいかもしれない。
「だいたい人なんてみんな百年かけて自殺してるようなもんじゃん。私だって現在進行形の自殺未遂だよ。そこにいる友達の雛と沙田も自殺の途中だよ」
おお、”さだわらし”じゃなく”沙田”になった。
TPOは弁えてるな。
ただ、寄白さん、なんて発想をするんだ。
たしかに今は人生百年時代で、人は約百年をかけて生から死に向かってるけどさ。
その考えかたって仲間のなかにいる安心感で川相さんの孤独感や疎外感も消えるかも。
「そんなこと初めていわれた。みんな自殺の途中ってなんかすごい刺さった。今ふうにいうならエモいだっけ?」
「川相さん、まだ、大丈夫だよ。若いんだし」
「若いっていってくれるんだ? でも私あなたの倍の歳だよ」
「ううん。大丈夫」
俺がはじめて見たときも若いって思ったし。
「川相さん。川相さんが私に会ったことがあなたの死の選択を回避する出会いだったんだよきっと。お父さんが守護ってくれたんじゃない? 生きてさえいれば嫌なものは嫌と思えるし。それをこえる対策もとれるから」
只野先生が書いたホワイトボードにあった。
希型の星間エーテルが誰かの外側に及ぶと守護霊になる。
年齢なんて関係なく、死んでなお親は子どもを守護るもの。
川相さんの亡くなったお父さんが寄白さんに助けを求めた、と、か? ありえるかもしれない。
なんか能力者って誇らしくなる。
俺らのこの力はやっぱり困ってる人のために使う能力なんだ。