第307話 再生


 俺たちはいったん川相さんをビルの壁にもたれさせて、俺は制服のブレザーをかけた。

 そのころにはもう獏の姿も消えていた。

 九久津ってエネミーを護衛するアヤカシも現在進行形で召喚してるんだよな。

 キャパ無限か?  

 「それでこれからどうするの?」

 俺は寄白さん、社さんのどっちかわからない距離に訊いた。

 

 「どうするの?」

 俺の質問を受け取ったのは社さんだった。

 でも、またすぐにそれを寄白さんにパスした。

 「まずはお姉に連絡。ただ結局のところ六角市の福祉課が川相さんのこれからの生活について相談ってことになるんだろうけど」

 「私たちって基本消費税くらいしか払ってないけど。税金はそのためにあるんだしね。でも私、書籍の数でいうならけっこう税金納めてるわよ」

 社さん、どれだけ本読んでるんだ? 市役所って市民の生活のためにあるのは知ってたけど、いまいちなにやってんだかわかんなかったんだよな。

 福祉課ってのは川相さんのような人を担当する部署だったのか。

 小学生のころ山研、じゃなくて、Y-LABとかみたいに市役所の見学にもいったけど、役場の人は机に座っててそれがどう人の役に立つのかわからなかったし。

 

 「毎日の暮らしのなかで、ものすごく悩んでてどうしていいのかわかないって人でも役場がセーフティーネットになってくれるから。ただ、みんないくのをためらってしまうんだろう」

 寄白さんはそういいながら、俺と社さんが返したイヤリングを耳に戻していた。

 これで寄白さんの両耳に六つの十字架が揃った。

 「そうなんだけど。市によっても待遇の落差が激しいから。六角市ここには『幸せの形』があるでしょ」

 

 「いろんな境遇の遺児たちの生活を守ってるNPOだな」

 「川相さんは成人しているとはいえ、三十代の半ばで両親を亡くしたわけだし、ちょっと早いわよね」

 リアルな公民の授業だな。

 これは教科書より、よっぽど実感湧くわ。

 

 「お父さんが亡くなって、日も浅いけど贈与税とかもあるだろうし、持ち家なら固定資産税、車があって車庫もあれば車庫にも固定資産税がかかる」

 や、社さん、社員の待遇とか税金となんでそんなに詳しいんですか? 公民の授業枠を飛び越えてるんですけど。

 ま、まさかその歳で、それ系の史上最年少資格を持ってるとか? いや、さすがに十七、八歳じゃ受験資格さえないか。

 「雛、それで犯人は?」

 はい? 寄白さんなにを突然? は、犯人とは? なんの話? 

 「今回の場合、単純にアパレルの社長でしょ。そうとうピンハネしてるし」

 「そこで社長が殺され真っ先に社員が疑われるわけだ」

 「そう。そこからはじまって結局、四百ページ。最後は予想もしなかった人が真犯人よ」

 ああ!!

 さっきも話題にあがってたけど社さんの趣味は読書。

 しかもミステリや推理小説が好き。

 別にリッパロロジストじゃない。

 たまたまそれでシリアルキラーのデスマスクと妖精の関連に気づいただけで、もともとはただの読書好きだ。

 「ミステリ、推理小説にも本格ミステリ、警察もの、密室もの、安楽椅子探偵アームチェア・ディテクティブ、クローズドサークルとか、ほんとも様々な種類があるんだけど企業系もけっこうあるし。そういうのだとだいたい労働基準法とか待遇とか、それに伴う労働基準監督署ろうきしょとの攻防。そこに保険、年金、脱税、マネーロンダリング、横領、背任なんかが核になった話が多いから」

 な、なるほどすぎる理由だった。

 基本給とか詳しかったのもそういうことか。

 俺がどこかに入社しても、そのままなにも知らずに終わりだな。

 父親にたまたま完全週休二日制の話をきいてただけだし。

 知らないってのは本当に損だ、一生を左右するくらい大事なことだ。

 川相さんも俺と同じだったんだろう。

 「川相総かわいそうさんは結局、会社に傷つけられた娘をかばうシェルターだっただけ」

 

 そうだ。

 さっき川相さん本人もいってたけど「逃げたっていい」なんて嘘だよな。

 本当に逃げた人に向かって世間は石を投げる。

 だからみんな動けなくなる。

 「今回の川相さんのように会社にいづらくさせて追い込んあげくに自主退社させる手口もよくあるの。会社って社員を解雇するのは大変だけど自己都合の退社だと会社側のメリットが大きいから。本当はそれくらい正社員っていうものの特権は大きいんだけどね」

 「ノートのひとも、もしかするとスーサイド絵画の犠牲者だったのかもしれない。にしてもスーサイド絵画は希死に訴えるのか? 悪夢を増長させるのか?」

 

 「ああ、ノートの忌具になってしまった人のことね」

 前に寄白さんがいってた話だ。

 どっちだろうな、スーサイド絵画は心の弱いところ抉ってくるから。

 やられた本人からすれば、悪夢を増長させてるような気がする。

 「結局、私は彼を止められなかった。彼を知ったのは亡くなったあとだったから」

 「その人は川相さんのお父さんが気にかけてたっていう若い社員なんでしょ」

 えっ!?

 それって川相さんがさっきチラっと口にしてた人のこと。

 「そう。電車に飛び込んだ」

 電車に飛び込んで本人が忌具にまでなるって。

 相当な負力。

 只野先生が書いたホワイトボードにあった負型星間エーテルってパターンか。

 でも、忌具にまでなってしまったケースは初耳だ。

 ただ忌具自体がもともとそういう物だから、その成り立ちの一種類を知っただけかもしれない。

 ああ、こうやってみんながあまり知らないCランクの情報を知ることがあるんだ。

 やっぱり現場に顔をだすのが手っ取り早い。

 俺はなにか目に見えない繋がりを感じた。

 ……黒杉工業という接点? それでいながらやっぱりあいつの存在も気になる。

 金銭で動いてる。

 金銭と怨恨が混ざった動機っても考えられる。

 まあ、すこし株とお金に執着してた鈴木先生が蛇じゃないのは俺らのなかで確定してるけど。

 あれから【Viper Cage ―蛇の檻―】に追加された項目はない……。

 

 「人の生き死にか。でも、美子の、人はみんな百年かけて自殺してるって言葉、川相さんにすごく届いたみたいだね。私でも目が覚めるほど強い言葉だった」

 

 社さんでも、か。

 人は百年をかけて死んでいく、なんのためだろう。

 九久津の兄貴はそれを打破するなにか方法を知っていた?

 「人、いや、生命ってのは生と同時に死を与えられる。生まれた瞬間から死に向かって進んでいく。人間の各能力のピークも十八歳くらいで、そこからは衰えていくだけなんだ」

 そこに卑弥呼の影響があるのかどうかはわからないけど、寄白さんはやっぱり達観している。

 

 「俺たちを創ったひとはなんでそんな若く設定したんだろう」

 俺は両手の手のひらをながめてみる。

 俺のこの体もピーク手前、まだ二十歳にもなってないんですけど。

 「この世界がVerバージョンいっ.てんぜろだから、たぶんその数値は正しいんだ。幅あるけど江戸時代の平均寿命は三十から四十。それが初期設定デフォルトで命を永らえさせる術が発展しすぎただけ」

 「じゃあ、だいあたい十八歳をピークに落ちていくので辻褄は合うんだ」

 Verバージョンいっ.てんぜろの次期バージョンはそこが改良されてるってことか。

 「癌は細胞のコピーミス。Verバージョンいっ.てんぜろ以降は修正パッチが当てられているはず」

 

 修正パッチって、なんだろこのIT感。

 そうなると、Verバージョンいっ.てんれい以降は癌がなくなるってことか。

 しかも鮫のように何度も歯が生えてきて、トカゲのように欠損部位が再生する。

 これが最初から人間の自然治癒能力に含まれていたら、それはきっと幸せだろう。

 幸せになると負力が減る、アヤカシも忌具も魔障も減る。

 まさに次期Verバージョン待ち。

 この世界からアヤカシの存在を消すには世界を創りかえる必要があるんだ。

 でも「創り変え」と「バージョンアップ」って意味が違うよな。

 

 「そう考えるとVerバージョンいっ.てんれいの地球の本当の住人は動物たちで人間は正当な住人じゃなかったりするかもな。手抜きされた人間の居住世界はまた別にある」

 

 「美子。ブラックユーモアすぎる」

 

 「なあ、雛。むかし堂流くんが空の上を指さして、あそこに苦しみのない世界があるかもしれないってたよな」

 「それは子ども私たちに向かって、空のうえなら理想郷ユートピアとかがあるかもしれないってことでしょ」

 「だよな」

 「じっさい空の上って宇宙だし」

 宇宙か。

 「あの、ふたりはUFOって見たことある?」

 「俗に言うUFOは見たことはないわね」

 「私もだ」

 で、ですよね。

 「さだわらし、なんでそんなことを?」

 ここは隠さずに本当のことをいおう。

 「いや。俺はときどき見るから」

 社さんは、一度、唸ってから――目の魔障が関係あるかもね。といった。

 

 なるほど、見るってことは視界、目か。

 一理ある、が、本当に存在してるパターンは全否定。

 まあ、九久津もそんなの見たことないっていってたし。

 「ところで亜空間に入れないとき、今回のような場面を誰かに目撃されたらどうするの?」

 「私がいとを使えたらいとでカモフラージュするわ」

 「あとは映画撮影とか。画像があってもディープフェイクでごまかす」

 「そっか」

 現代ならそれでごまかせそうだな。

 「本格的にヤバいときは当局がなんとかするだろ」

 く、国が動いたらそりゃあどうにでもなるか。

 「けど沙田くん、ツヴァイだとしてもスーサイド絵画の手づかみは危ないわよ」

 「雛。自分の戦いかたを持つのは正しいと思うぞ」

 「ふ~ん。美子は沙田くんの肩持つんだ」

 「か、肩を持つとか、そ、そういうわけじゃ」

 「なるほどね~」

 「ひ、雛、なにがなるほどなんだ」

 そんなときこのビルの下に車が止まった。

 すぐに寄白さんのスマホが鳴る。

 校長、経由で派遣されてきた市の職員だった。

 と、いってもアヤカシの存在を知ってる当局関係の部署の人たちだけど。

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