第311話 昭和の刑事


 「この部屋のにおいってこんな付け焼刃な対応じゃ消えませんよね? すみません」

 女性警察官は六波羅を凝視した。

 「おい。まるでにおいの元が俺たち・・みたいないいかただな?」

 六波羅は部屋のなかを見回し黄色みがかった量産品の壁時計を見て顔をしかめた。

 もとは透明だったカバーも今や濁っていて、なかでは針たちが時を刻んでいる。

 その場所からさまざまな事件を見下ろしていたであろうアナログ時計はどんなことがあっても一秒は一秒として進む。

 「班長。たち・・ってみんなを巻き込みましたね?」

 「いや、だってよ」

 「そのころみんなこの部屋にいましたっけ?」

 「いや、まあ、ほとんど、いない、な」

 「パタンナーじゃないですか?」

 戸村はそんなふたりとはべつの空気感で答えた。

 女性警察官も――あっ。っと納得しながら自分の席に戻っていった。

 「おっ!! そ、それだ。さすがは警視庁」

 六波羅は戸村を指さす。

 「班長」

 「バカ。いちおう階級は俺のほうが上だぞ。警視庁からきてようが階級がすべてだろ?」

 「班長。捜査二課の課長って警視総監の登竜門ですよ? 戸村刑事もそのルートですからあと数年で班長は戸村刑事に頭が上がらなくなりますね?」

 「昭和をいじめるな。でもそれまでは俺が上だ」

 「六波羅さんのいうとおり階級がすべてです。ですので私はなんと呼ばれようがかまいません。ただ、そのかたパタンナーで採用だったのなら服を作る基礎を認められたようなものじゃないですか? ゆくゆくはデザイナーにだってなれたかもしれないのに……」

 この部屋に馴染まない戸村が感心しながら、また2in1のノートPCのほうに向いた。

 手もとにある紙をめくり止めていた手をふたたび動かす。

 「警視庁から出向中の戸村さんよ。資料に目をとおしながらキーボードを打ちつつもこっちの話を聞いてるとはさすがは捜査二課の刑事デカだね。母親が気に病んだ挙句、心まで病んだのはまさにそれなんだ」

 「どういうことですか?」

 女性警察官は興味津々で六波羅に訊き返す。

 「娘は六角市の南町にあるビルの服屋。もといショップに就職したんだけどよ」

 「けど?」

 戸村の手元から無機質な音が消え、女性警察官と視線が交差したまま見合っている。

 ふたりの視線は同時に六波羅へと向いた。

 「川相憐かわいれんが就職して二年が経ったころ急に仕事にいかなくなっちまったんだとさ。当時の川相総かわいそうがいっていたことなんだけど。母親わたしが娘の人生のアタリを捨ててハズレの人生に進ませてしまったって」

 「人生なんてどうなるかわからないじゃないですか? 自分しだいです」

 戸村の声の熱量が変わる。

 それは茨の道を歩んできたものにしかわからない口振りだ。

 「そうだけどよ。有名ブランドに就職したのとこの六角市まち服屋・・に就職したのとじゃ天と地の差だろ? 現にそのあと引きこもって人生を棒にふっちまったわけだし」

 「班長。また口すべってますよ? ただ有名ブランドのパタンナーだったなら人生楽しくやってたかもしれないのはたしかですね。希望職種とはすこし違うとはいえ有名ブランドに才能を認められたわけですから。ただ班長。三十五歳なんてまだまだこれからですよ」 

 女性警察官は六波羅に目で再度、注意する。

 「三十五で、か?」

 「昭和の価値観でいわないでください」

 「俺は昭和に誇りを持ってる。良くも悪くもあの時代ほど未来に希望を持てた時代はない?」

 「発展途上のピークですもんね」

 「昭和の後期といえば定期預金の金利が年に八パーセントだったこともある時代ですね」

 

 戸村は捜査二課の刑事らしく数字に強い。

 「そう!! そうだった。あのころは宝くじでも当てりゃ、その利息だけで食ってけれるって時代だった」

 「だとすると。一億円で一年の利息が八百万円ですか。なんですかその時代? 夢ですか? 私、利息なんて数十円しかついたことないですけど」

 女性警察官は目を丸くしている。

 「だからそれが高度経済成長の好景気。いざなぎ景気なんだよ」

 「ITも普及してないのに信じられない時代ですね?」

 まだ丸い目のままだ。

 「そのころはまだ人は優しかったぞ。今ほど猜疑心もないし、こんなに殺伐とはしてなかった。懐かしいな。おまえら若者がバカにする古き良き時代」

 「若い子だって結構、人の優しさっていうのには憧れるんですよ」

 「昭和の終わりのつぎの元号、ただ頭文字が”S”だから実現しなかった時代、修文と正化」

 戸村も話にのってくる。

 「別の時間軸である修文がこの時代を救いにきた、とか? どうですか?」

 「おまえ、また、あっちの世界にいったな」

 「へへ。でも、どんな世界なんでしょうね? 別の元号の世界線は」

 「昭和の延長のような世界かもしれませんし。今よりも生存競争の激しい時代かもしれませね? 私も留置場の件は知っていますから」

 当然、警察組織にいる戸村も修文の偽造通貨のことは知っている。

 「俺は昭和の後期生まれだけどよ。一億総中流のどおり今ほど格差なんてなかったな。少年犯罪だって今じゃふうつ・・・のことだけど。あのころは連日ワイドショーがその話題で埋まるくらいめずらしい出来事だった。今じゃ防犯ブザー鳴らされるやつも昭和は地域がその存在を許してたからな」

 「今はみんな警戒心を持って生きてますからね」

 戸村は2in1のノートPC液晶前にあるボタンを押してドックとタブレットに分割した。

 「まあ、川相総かわいそうの妻はじょじょに思い詰めるようになって。それもこれも窮屈な時代の犠牲なのかもしれねーけど。川相憐かわいれんが引きこもって四年目、家のなかで首の頸動脈をバッサりだ。六畳の部屋で生き埋めになっている娘に対して自分が死んで償うだとさ。死んだって償いになんかならねーってのにな。そんなもん家の壁でもドアでもぶっ壊して引っ張りだせばいいだけだろ」

 「班長」

 「わかってるって。俺は古い人間だ。時代にそぐわないのも知ってる。無理にこじ開けるのは逆効果かもしれねー。でもな。世の中には壁を壊してでも親が手を伸ばしてくれるの待ってる子どもだっているんじゃねーか?」

 「班長。なんだかよくわからないけど古い人間のその案もありです。でも気をつけないと足元すくわれますよ?」

 「いいんだよ。古い人間には古い人間の終わりかたがあるんだから。炎上するならするで燃え尽きてやるよ。むかしなんてこの部屋一面、タバコの煙でもっくもくだったんだから。俺は煙のなかで生きてたんだ。誘拐事件のときなんて主食がタバコのようなもんだ。イライラを解消するには良い食べ物」

 「班長、食べ物って。だからこの部屋にそれが沁みついてるんですね? なんたって今も戸村おきゃくさん用の空気清浄機と除湿器がフル稼働してますから。班長ってザ・刑事みたいじゃないですか?」

 「いや、だから俺は刑事だったんだよ。いや、バカ、今も俺は刑事だ」

 六波羅の目が刑事・・になっている。

 戸村はそんなふたりを横目に2in1から取り外したタブレットの画面をスライドさせていた。

 「班長。なんで昭和の刑事って太陽に吠えるんですか?」

 「あのころの刑事は野性味あふれてたんだよ。それぞれが拳銃を手に持ち署長ボスはブラインドの隙間からライフルを構える」

 「署の拳銃保管庫は常に鍵かかってますよ。しかもじっさいに使用するときは警察手帳を提示したうえ課長以上の許可がないと拳銃に触れることさえできないじゃないですか? ライフルってSITシットですか? しかも署長ボス自らライフル構えるって警察署占拠してるじゃないですか?」

 「リアルをいうなよ。パトカーは車道でカーチェイスを繰り広げ。各車両との衝突もものともしない。横転するパトカーから這い出て、一般人が運転する車を脅すように借りそのまま犯人を追う」

 「ものともしてくださいよ。警察が脅すように車を借りたらそれは脅しですよ。そんなことしたら懲戒免職ですよ。違反車両を追跡して相手が事故を起こしただけでも監察官聴取なのに」

 「リアルをいうなよ。でもあれは俺よりも一回り上くらいの刑事デカだけどな」

 「だいたい刑事デカってなんですか?」

 「刑事デカ刑事デカだろ」

 「刑事デカとは明治時代に生まれた言葉で、もともとは犯罪者たちの隠語です。 当時、和服を着ていた刑事のことを角袖かくそでなど呼んでいて、その角袖カクソデのはじめと終わりの”カ”と”デ”を逆にしたのが刑事デカです」

 戸村は涼しげなまま、いまだにタブレットを操作している。

 「戸村さん。あんたも刑事デカだね。明治か。昭和の俺でもわからん時代だな~。なあ、あんたのような人がわざわざ警視庁とうきょうからこの六角市まちにくるくらいだ。相手は政治家か? それとも上場企業の社長か? 大物の有名人か?」