第337話 社禊(やしろみそぎ)


「お父さんいる?」

 社は抑揚なく障子ごしから声をかけた。

 部屋の奥で人影が大きく揺れている。

 「ああ、いるよ」

 布地が擦れる音とともにそう返ってきた。

 「開けてもいい?」

 「いいよ」

 「もう、とっくに終わってるかと思ってたのに」

 社は両開きの障子の扉の取ってに手をかけ右の扉を開いてから左も扉をサーっと開いた。

 中から井草の匂いが漂ってくる。

 社は袈裟けさと着物姿の父を確認してから、七福神の乗った宝船と左右の神花と神酒口みきのくち、そして女蝶めちょう男蝶おちょうの神具が置かれた神棚を見た。

 神棚の中央には左から順番に米と水と塩が供えられている。

 真下には畳よりも一段高い場所に置かれた黄金の板の上に紙垂しでとともに縄紐が巻かれた真っ白な陶器の壺がある。

 「なにがだい?」

 付喪師つくもしである社の父、社禊やしろみそぎは、右手に筆を持ったまま這いつくばるような態勢で開かれた障子を見やった。

 「だってこの時間なら、もうお父さんの作業しごとが終わってるだろうと思って帰ってきたんだから」

 「そっか。ちょっとこだわってしまってね」

 社禊やしろみそぎは、筆を自分の額の位置で留めた。

 社とエネミーのふたりが目にしたのは自分体よりも大きい白い紙の上に書かれた文字だ。

 

 墨汁もないのに紙には「封」という漢字が書かれていた。

 社禊やしろみそぎの筆は「封」のつくりである「すんづくり」の最後の点を打った延長線上にある。

 

 「お邪魔するアルよ」

 社の背中越しからエネミーが社禊やしろみそぎに声をかけた。

 「おっ、エネミーちゃんもいたんだ?」

 社禊やしろみそぎは体を起こし、その場に正座して紙の右隅に筆をそっと置いた。

 「はじめてきたアルよ」

 「ここはきみの生家いえだしゆっくりしていきなさい」

 「そうさせてもらうアル」

 「うん、そうしてね」

 社もエネミーに声をかけた。

 「うちはここで産まれたアルか?」

 エネミーは畳を指差した。

 「そう、まさにこの部屋だよ。真野さんご夫婦と寄白さんご夫婦、そして九久津さんご夫婦。六角市の歴史に名を馳せる三家が立ち会った。まあ、本当の誕生の瞬間だけはエネミーちゃんのお父さんとお母さんのふたりだけど。でも、まだ一週間なのにどこからどう見ても雛と同じ高校生だ。髪は金色になってしまったけど」

 「それより雛パパ?」

 エネミーは他人との距離を縮めるのが得意だ。

 「ん? なんだい?」

 「お賽銭箱に一本いっぽん入ってたアルよ」

 「一本いっぽん? 一本いっぽんってなんだい?」

 ――お父さん。社の声がふたりに重なった。

 「どうしたんだ、雛?」

 「このことよ」

 社は黙って持ってきた茶封筒を差し出した。

 「ん? なんだろう?」

 「封筒の裏によん。えっと」

 社は特殊な名字に戸惑う。

 「どれ? こっちに見せて」 

 社が封筒を裏返した。

 「ああ、それは四仮家よつかりやって読むんだ。だから四仮家さん」

 「お父さんんこれに心当たりあるの?」

 「あるよ」

 「この封筒を置いて行った人ってスーツ姿でロマンスグレーの人じゃない?」

 「雛。なんで知ってるんだ?といってもお父さんは今日、四仮家さんの服装は見てないけど」

 「だって石段かいだんですれ違ったもの」

 「そうなんだ。スーツかどうかはわからないけど髪はそんな感じ。じゃあ今日、授与所に寄っていったんだね」

 「……知り合いなの? なんとなく私もどこかで見たことがある気はするんだけど」

 「四仮家さんは脳神経外科の医師だし、国立六角病院の魔障診療医いしだったこともある。そのむかし六角第一高校の校長もしていた」

 「ああ、そっかだからか」

 社は妙に納得し、そのまま父である社禊やしろみそぎに封筒を手渡した。

 「ああ、ありがとう。それに」

 社禊やしろみそぎは封筒を受けとったと同時に何かを確認するように社の目を見た。

 「それになに?」

 「堂流くんの最期を看取った人でもある」

 「そ、それって堂流くんがバシリスクとの戦いで重症を負ったときに治療した魔障専門医いしゃってこと?」

 「そうだよ」

 「そ、そんな人がなんだって六角神社うちにこんな大金を置いていくの?」

 「四仮家さんだっていろいろ事情があるんだ。誰にだって神仏にすがりたくなることがあるだろ。それは雛にだってわかるはずだよ?」

 「そうだけど、それとこれとは話が……」

 「違うっていいたいのかい?」

 「うん」

 「雛がそう思うなら思えばいい。でも人の世はそんなに簡単じゃない。大きく分ければこの世には善人の皮を被った悪魔と悪人の皮を被った天使がいる」

 「じゃあ、四仮家さんは悪人の皮を被った天使ってこと? お父さんの言い回しならそういうことよね?」

 「大きく分ければだよ。ただ後ろ指さされるようなことをしてしまったという四仮家さんの懺悔のお金なんだよ。それは」

 「四仮家さんはいったいなにをしたの?」

 「それは宮司であるお父さんからは話せない。ただこの世界には四仮家さんのことを敵視している人もいるってことさ」

 「そういう立場の人なのね。それでお父さんは大金これをどうするつもり?」

 「雛はすでに知ってると思うけど宗教法人は非課税だ。そのお金を六角神社うちが受け取っても法的に罰せられることはない」

 「マルトはこないアルか?」

 「エネミーちゃん。マルトって?」

 「特捜部アルよ」

 「それは検察庁の特別捜査部のこと?」

 「そんなようなものアルな」

 「エネミーちゃんおもしろいね。お姉ちゃんの絵音未ちゃんとはまるで別だね?」

 「絵音未お姉ちゃんのことはいいアルよ」

 「そっか、ごめんごめん。まあ、その百万円では特捜部もマルサも警察の捜査二課もこないよ」

 「そうアルか」

 「でも六角神社うちが捜査対象にならなくても、こんな大金を授与所あんなところに無造作に置いておくなんてふつうじゃないでしょ?」

 「どこにあったんだ」

 「授与所の賽銭箱」

 「そっか。まあ、不用心といえば不用心だけど、うちは神社だからはじめから猜疑心を持って防犯に力を入れることはしない」

 「そんな時代でもないでしょ?」

 「雛。祀られてる神様はそんな混沌を望んでなんていない。もっと人が人に優しくできる世界を望んでるんだ。神様はそういう人の願いを叶える。雛。小学生の一カ月の食費は平均、一万四千円ほどだ。百万円だと七十人弱の子どもの一カ月の食費になる」

 「どういう意味?」

 「その百万円はね。四仮家さんが六角市のNPO法人幸せの形に寄付するお金なんだよ」

 「じゃあ、どうしてあんな授与所ばしょに置いていったの?」

 「それはお父さんがあとで祝詞のりとをあげるから」

 「それにしても置きっぱなしにしていくなんて」

 「六角神社の授与品に囲まれた場所に置いておきたかったってことなんだと思うよ。神仏からの授与品っていうのは系統でいえば望具ぼうぐだ。それにお父さんの能力は付喪師。それなりに念や想いを入れることができる。これがその証拠だろ」

 社禊やしろみそぎは目の前にある大きなしょを指差した。

 「でも雛のいうことももっともだね。こんな大金をお父さんに一言もなく置いていくなんて」

 「お父さんは四仮家さんが訪問たのに気づかなかったの?」

 「しょに没頭していて、呼び鈴が鳴ったのかどうかもわからない。お金だけ置いて帰っていったということはなにかあったんだろうね。持ってくる時期も早いし。四家仮さん今、総務省にいてその仕事関係でなにかあったのかもしれない。四仮家さんもアヤカシや能力者と関係が深い。繰ちゃんと面識もあるくらいだし」

 「繰さんとも?」

 「そう」

 「そ、そうなんだ。繰さんとも」

 社の言葉が柔らかくなった。

 「繰もさっきの人知ってるアルか?」

 「そうだよ」

 社禊やしろみそぎはエネミーにそう返すと、おもむろに立ち上がり足袋たびのまま摺り足で神棚の斜め前まで歩いていった。

 その場で二礼にれい二拍手にはくしゅ一礼いちれいし、紙垂しでと縄紐が巻かれている白い壺がある金色の板の上に【四仮家元也】の署名入りの封筒を置く。

 

 「なんにせよ人には事情がある。雛。お父さんもそろそろ国立六角病院びょういんにでかけないと」

 「これはなにアルか?」

 エネミーは「封」と書かれた紙を指差した。

 「ああ、これはね国立六角病院びょういんでおこなう診殺・・というものの助けになる」

 社の頬がピクリと引き攣った。

 「国立六角病院には診殺室しんさつしつといって院内の負力を強制的に魑魅魍魎アヤカシに変化させ退治する部屋があるんだ。おじさんも微力ながらそれに協力させてもらっているんだよ」

 「雛パパすごいアル!!」

 「これを診殺室しんさつしつの最終ゲートの外に貼っておくんだ。付喪師つくもしは文字に念を込めるのことができる能力だから微弱の負力が上がってきてもそれなりに浄化できるんだ」

 「雛パパ。うちのちっぱい治せるアルか? 只野先生がいってたアルよ。型紙を作った人にいえばいいって」

 

 「えっ、えっと、ちっぱい? エネミーちゃん只野先生のこと知ってるんだ?」

 「沙田の付き添いで会ったアルよ。うちの胸はぺったんこアルから繰みたいにしたいアル」

 

 「えっと、ああ、それは思春期にとっては悩みどころかもしれないね? でも生まれてしまってからの型紙の変化は無理なんだ」

 「ダメあるか?」

 「うん、ただ成長の過程でそうなるように促進を高める術の施しはできる。そういう意味ではできる・・・かな」

 社はいまだに顔をしかめたままでいた。

 それはエネミーがしている話題とは別な理由だ。

 「じゃあ、それをやってほしいアルよ」

 「わかったよ。じゃあ、すこしだけ時間をくれるかい? それと一度この部屋からでてくれる? 雛も」

 「わかったアルよ」

 エネミーは障子の扉の前でクルっと振り返った。

 社も奥歯を噛みしめながら「封」の文字の書の近くからきびすを返した。

 「ねえ、エネミーちゃん、その痣どうしたの?」

 「これアルか?」

 エネミーは太ももの裏の痣を指差した。

 「そう、その痣」

 「こ、これはスーパーYSにある椅子の角でこすったアルよ」

 歯切れ悪く答える。

 「ふ~ん。そう、痛そうだね?」

 「痛くないアルよ」

 エネミーは今までのテンションとはうってかわって素っ気ないままだ。

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