第338話 純米大吟醸酒(じゅんまいだいぎんぞうしゅ)


 部屋にひとりになった社禊やしろみそぎは真新しい筆を懐に忍ばせると神棚の下まで歩いていった。

 金色の板の上にある白い壺の縄紐をクルクルと解きはじめる。

 

 (エネミーちゃんの、あの太もものうしろの痣……杞憂、か?)

 途中で縄を解く手が止まった。

 (たった一カ所の痣だ。気にしすぎかな)

 社禊やしろみそぎはふたたび時計回りに縄を回すと縄紐と一緒に紙垂しでもするすると畳の上に落ちる。

 (儀式のときから今日、初めて会った、成長の過程を見てきたわけじゃない。本人が言うように今日スーパーYSの椅子で擦ったんだろう)

 そのまま幾重にも半紙を重ねた壺の蓋をとって壺に鼻を近づける。

 (匂いに違和感はない、な)

 筆先を壺の中に浸してから自分の手のひらに走らせ、そのまま口元へと運び舌先をちょんとつけた。

 (こ、この味!? 純米大吟醸酒じゅんまいだいぎんぞうしゅじゃないかもしれない……。いや、でもエネミーちゃんが誕生うまれてから一週間経過しているんだ。それでこの風味なら。……ただ、あの儀式で使ったお神酒が純米大吟醸酒じゅんまいだいぎんぞうしゅじゃなかったとしたら)

 社禊やしろみそぎの脱力した右手とは反対に顔全体が強張っていた。

 (……私は不完全な死者を生み出してしまったのかもしれない……。エネミーちゃんがどこかに体をぶつけて痣ができるならそれはもっと目立つ場所じゃないか? たしかに椅子で擦ったのなら太ももの裏側もあり得る。でも、ふつうは前方にある物にぶつけることが多い。そうなると痣のできる位置は脛や膝やふとももの表側だろう)

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 戸村伊万里はいまだ2in1のPC前から離れられずに分厚い青のパイプ式ファイルを広げ六角市の情報を頭に叩き込んでいる。

 戸村伊万里はPCの画面を一瞥する。

 (この本流の資金が四仮家に流れていたら証拠としては十分。オムニポテントヒーラーともあろう能力者が対価で命を救ってるのかどうか……。結果が待ちどおしい)

 戸村伊万里は次のページに手をかけた途端にスマホの画面に同僚の名前とともに「応答」と「拒否」メッセージがでた。

迷わずに「応答」をタップする。

 「もしもし」

 『ああ、伊万里。いくつかの資金の流れが先がわかったわよ』

 「早いわね。どこ?」

 『えっとね。まずは六角市のYORISHIROヨリシロ LABORATORYラボラトリー。通称Y-LABワイラボ

 「YORISHIROヨリシロ LABORATORYラボラトリー? ちょっと待ってね。それこのファイルのインデックスにあったな」

 戸村伊万里は手もとのパイプ式ファイルのインデックスから「YORISHIROヨリシロ LABORATORYラボラトリー(Y-LAB)」の項目を見つけてそのページを開いた。

 「ああ、この六角市まちの名家である寄白家と国の第三セクター。事業内容は能力者、アヤカシ、魔障、忌具などに関する研究、技術の開発など、か」

 『そう、そこ。そのYORISHIROヨリシロ LABORATORYラボラトリーに官房機密費が三億』

 「三億?」

 『そう。でも伊万里。それってじゃないと思う」

 「どういうこと?」

 『適正額どころかすくないかな。今は社長が交代して株価も下がってるし。株主総会では社長の責任はそうとう重く問われると思うけど』

 (社長交代って、ああ、なぜか妹の伊織と馬が合う寄白繰)

 「株式会社ヨリシロヨリシロが資金難だから公的資金を注入せざるえなかったってこと?」

 (そうなのよね。能力者やアヤカシ相手だと、補正予算の申請も難しい。それもこれも能力者やアヤカシは非公式の存在だから)

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 社とエネミーは廊下を歩いてまた授与所まで戻り社禊やしろみそぎがエネミーに術を施す準備を待っていた。

 (四仮家さんが堂流くんの最期を……。流麗りゅうれい、か。堂流くんは本当にいろんなことを知っていた。沙田くんのなかにいる堂流くんが沙田くんに伝えたいことってなんなんだろう……? ”歴史の罪”、あのころ私たちには難しいって言ってたっけ。その前に堂流くんはいつどうやって沙田くんのなかに入ったんだろう? ただ、堂流くんならなにをやってても不思議じゃない。それくらいすごい能力者だった)

 社は壁にもたれながらスマホのなかにある【Viper Cage ―蛇の檻―】という四つ角が丸い正方形のアイコンをタップした。

 

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 【寄白繰】:

 ・1、蛇は真野絵音未を唆したかもしれない。

 ・2、蛇は人体模型をブラックアウトさせたかもしれない。

 ・3、蛇はバシリスクを操っていたかもしれない。

 (バシリスクは不可領域を通ってきた)

 ・4、蛇は日本の六角市にいるかもしれない。

 ・5、蛇は金銭目的で暗躍しているかもしれない。

 ・6、蛇は両腕のない藁人形(忌具)を使って、モナリザをブラックアウトさせたかもしれない。

 ・7、蛇は二匹(ふたり)いるかもしれない。

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 【Viper Cage ―蛇の檻―】の電子共有ノートは最後に更新した「繰」のところで止まっている。

 社は横目で授与所のガラスの小窓のところを見るとエネミーが絵馬と格闘しているのが見えた。

 (悩んでるわね)

 社はスマホの画面を上にスクロールしていく。

 (一の真野絵音未を唆したかもしれない、か。可能性は低いけど四仮家さんは元一校の校長で魔障専門医で当局関係者。真野絵音未は死者である以上、魔障があったかもしれない。四仮家さんが蛇と仮定して一番を行った可能性を大中小でいうなら中? 二の人体模型をブラックアウトさせたかもしれない。これも四仮家さんは一校の元校長で当然、四階の存在を知ってる、それにL側の非常階段の存在も知っている。四仮家さんがなにかしらの能力者なら扉を開く条件も揃ってるわね。人体模型と顔見知りだった可能性は高い、でも、バシリスクがきたあの日に人体模型をブラックアウトさせることができたかどうか。可能性でいうなら小か)

 社はまたエネミー気にかける。

 エネミーの手にある筆ペンが動いているのがわかった。

 (なにか願いごとがみつかったのかな? 三のバシリスクを操っていたかもしれない。これはまったくわからない。ただ別の視点から考えると、四仮家さんがバシリスクを操れるなら堂流くんの怪我の状況さえコントロールできたはず。自分でバシリスクを操り自分で治療にあたることも簡単。ただ今回のバシリスクの上陸まで十年のブランクがある。これは項目の四とセットで考えてみる。蛇は日本の六角市にいるかもしれない。四仮家さんはさっきまでたしかに六角市にいた。さらに項目の五もここに加えてみる。蛇は金銭目的で暗躍しているかもしれない。お父さんが言ったように百万円あっても子どもの食費はあれだけしかもたない。ただNPOの子どもの食費を寄付するような人が人を傷つけるのは矛盾してる)

 ――雛。エネミーちゃん、用意できたよー!!

 社禊やしろみそぎの声がきこえてきた。

 ――はーい。社もそう返す。

 (六、両腕のない藁人形(忌具)を使って、モナリザをブラックアウトさせたかもしれない。一校の校長で能力者なら四階に仕掛けはできるけど……。それをいつ仕掛けたのか、か? 七の蛇は二匹(ふたり)いるかもしれないだけど。四仮家さんは蛇の一匹の候補にはなりえるけど、どれも決定打には欠けるな。あまりに状況が薄すぎる。蛇ならもっとこうコレだっていうの条件が合わないと。総合的に判断しても四仮家さんが蛇の可能性は小)

 エネミーはようやく筆ペンを置き、目の前で絵馬を掲げていた。

 社もスマホから視線を外す。

 ――エネミー書けた?

 ――書けたアルよ。

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