第342話 レッドリスト ―唐傘お化け― 


六角市を囲むように聳えている守護山、その南東部、深い木々のなかで――カンカンとひとつ歯の下駄の跫音おとがする。

 下駄を履いているのは一本の太い足だ。

 足の上半身は傘と一体となっていてその傘からは両手が生えている。

 生地の下の大腿部にあたる部分にひとつの目があり口からは長い舌が垂れている。

 唐傘お化けは大きな舌を左右に揺らしトントンと飛んでいく。

 ――ひっ。

 「早く逃げないとおまえもこうなるぞ!!」

 鬱蒼とした守護山に山彦が響いた。

 山のなかで唐傘お化けを追っているのはフード付きの黒いローブの者だ。

 フード付きの黒いローブの者は、鷲掴みにしていた生地に穴がいた骨がむき出しの唐傘お化けを大木に向かって放り投げた。

 

 ――がん。と鈍い音がしてその唐傘お化けはだらりと舌を垂らした。

 太い幹にぶつかった唐傘お化けの大腿部せぼねはぐにゃりと曲がっていて目も飛び出している。

 「あーあ。脆いな」

 フード付きの黒いローブの者は跫音きょうおんを響かせてぴくりとも動かない骨だけの唐傘お化けに近づいていった。

 「そっか、こいつは両手がないタイプか。人の描く唐傘お化けにもいくつかパターンがあるんだ。唐傘お化けの種類もさらに細分化ができるな」

 フード付きの黒いローブの者のもとへ十センチほどの魔獣型妖精が飛んできてフードの真横で羽音を立てている。

 フード付きの黒いローブの者はくるりと向きを変えた。

 「ああ、あっちか」

 フード付きの黒いローブの者は地面を抉るようにして助走をつけた。

 戦闘機のようなスピードで前方の木々を薙ぎ払っていく。

 風の塊が周囲の木々を割いてフード付きの黒いローブの者は前にいる唐傘お化けに迫る。

 唐傘お化けの背後から一本の足を刈るようして足を引っかけた。

 唐傘お化けは勢いよくドスンと回転しながら草むらに倒れた。

 唐傘お化けの真正面にフード付きの黒いローブの者が立つ。

 

 フードの中は真っ暗な空洞だがフードの中央でブラックホールに似た渦がグルグルと渦巻いている。

 フードのなかを三等分したうちの下の部分では卵を横に半分割ったような半円形の仮面が浮いていた。

 仮面にも模様があってもし仮面が上下でひとセットだったなら仮面の中央には赤いアゲハ蝶の模様があったはずだ。

 「慎重っていうのは諸刃の剣だと思ないか? 慎重ゆえにボロがでたんだから?」

 本来は吸い込むだけで光さえ逃げられないブラックホールのなかから声がした。

 「な、なにがだ?」

 唐傘お化けは傘の生地をあちこち破きながらガクガクと震えている。

 「バシリスクがこの六角市にきた日、近衛あいつは守護山北部の結界を強めるため六角市まちの守護バランスを一時的に崩した。ところがどうだ。六角市の全方位から流れてきたはずの結界は北部と南部に大きく二分されていた。バシリスクによる被害状況を想定した場合、当然、結界の使用量は北部が多くなるはずだろ? 南部に流れる結界の量と北部に流れる結界の量が同等なのはおかしい。あの緊急事態で近衛が六角市南部、この守護山付近の結界を強めたのはなぜか? 近衛あのおとこなら本来ヤキンを使わずとも六角市の結界のコントロールはできたはずなんだ。だが高次結界まで使った」

 「……」

 「俺はこの六角市まちの結界の偏りを探っていくうちにあることに気づいた。それは六角市南部守護山ここが完全な国有地になっていることだ。一部双生市にまたがっていた守護山も国がまるごと買い上げていた。なぜ国がそんなことをするのか?」

 「人間ひとの世界の難しいことはわからない」

 「六角市にある守護山は外部から流れてくる瘴気から市内を守り市内で発生する負力は内部に留め六校の六芒星や太陽光で浄化させている」

 フード付きの黒いローブの者は唐傘お化けににじり寄っていき唐傘お化けを見下ろしている。

 黒くて深いブラックホールの中央点が唐傘お化けのつぶらな瞳とぶつかる。

 唐傘お化けは吸い込まれそうな黒い渦と真っ二つに分かれた赤いアゲハ蝶に狂気を見た。

 「守護山ここはもうひとつあるモノを守護まもる意味があったんだ」

 「な、なんの意味が?」

 「それはおまえらのようなアヤカシだ」

 フード付きの黒いローブの者は倒れていた唐傘お化けの傘の先端を掴んで持ち上げた。

 景品を掴むゲーム機のようにパッと手を放すと唐傘お化けは垂直落下しその場にストン立ち上がった。

 「ぼ、僕ら?」

 直立不動の唐傘お化けが答えた。

 「そう。守護山ここはアヤカシの絶滅危惧種、ちょうどおまえらのようなレッドリストの保護区域ってことさ。ジーランディアから流れる負力は市内で浄化されるものもあれば地下を通ってくるものもある。ここはその負力をエアーポンプのように地上に放出しおまえらが住みやすい環境を整えている。ここの周囲はジーランディアのカモフラージュシステムまで使われていた。おそらくはここの上空。つまりは領空権も国が押さえてるだろう。国にとっては相当な経費なはずだ。レッドリストおまえらはいたれりつくせりだな?」

 「人間の偉い人が僕らをここに避難させてくれたんだ」

 唐傘お化けは――トン、と一歩後退した。

 「へー。人間の偉い人、か?」

 (内閣官房長官、鷹司高貴。一条空間、二条晴、近衛嗣、九条千癒樹ともども五摂家はじつに忌々しい。それでも藤原茜は……ふふ)

 「でも、なんでこんな酷いことを?」

 「一所懸命に働き納税もして正しい手続きで得た一千万円のミンクの毛皮のコート。でもそれは虐殺された動物の毛だったとしたらどうする?」

 「あんたがやってるのも虐殺だ。僕の仲間をつぎつぎと殺した」

 「それは歴史の循環サイクルとして大きな意味を持つ微弱な犠牲だよ。買った人間はあくまで法的なものは破っていない。それにどういういきさつでそのミンクが毛皮になったのかも知らない」

 「ど、どういう意味だ」

 「そんなときどうすればいいと思う?」

 「し、知らないよ。そんなこと」

 「一千万円あるなら五百万で他のコートを買って残り五百万は保護団体に寄付すればいいんだよ。これが正しい循環だ。完全のなかにある不完全、そしてそのなかにある完全、わかるかな? 幾何学模様に紛れた上下左右の非対称が」

 「わかるわけがない」

 「鏡の前で自分が上げた右手は鏡の中でも本当に自分の右手なのかって思わないか? 対掌の世界なんだから。鏡の中の俺は鏡像異性体きょうぞういせいたいなんだから左手を上げてるはずなんだよ。おまえならわかるだろ? 両手のある唐傘お化けだろ?」

 唐傘お化けはフード付きの黒いローブの者からさらに遠ざかろうと――トン。と一歩下がった。

 「なにをいってるのかわからない」

 「自然が生み出した人工だって結局、自然からの派生なんだよ。反対に人工が生み出した自然も結局は人工ってこと」

 「うぅ」

 「俺はバカが嫌いなんだよ。せっかくさ、ここは危険だって教えてやったのに仲間なんか気にせずに自分のためだけに逃げればよかったんだ。けど危険を望まないのはもっと嫌いだ。リダは俺のこの支離滅裂な部分に影響されてるんだよ。意味のないことをいかにも意味のあるように言えば相手の思考あたまだっておかしくなるだろ?」

 「わからない。どうして僕らを」

 「江戸時代のころおまえらもまだ・・人間ひとと共存共栄してたな? おまえだけじゃないもっとたくさんの種のアヤカシは人間にとって畏怖であった。親のいうことのきかない子を驚かせて感謝されることもあっただろ? そんな風情や人情はもうないんだ」 

 「たしかに人間はもう僕らを必要としてない。僕らが存在いてはいけない存在なのもわかる」

 「まあ、そう卑下するなよ? 次があれば人間の恐怖の対象としてアンゴルモアの鋳型の一部にでもなればいい。そもそもリコールの対象は人間だと思わないか? 失敗作がここまで繁殖するなんて。使い捨てられた傘がおまえらの根源だ。なら人間もインスタントに使ってもいいだろ?」

 「わ、わからない。頭がおかしくなりそうだ」

 唐傘お化けは両手を傘の生地に当てて体をぶんぶんと振っている。

 

 「俺が今まで言ってきたことに意味なんてないんだよ。意味のないことを意味のあるように言って意味のあることを意味のないように言う。結果、おまえは錯乱する。それでいい。ああ、でもひとつふたつ意味のあることを言ったかもしれない、な?」

 {{災禍カラミティーアロー}}

 フード付きの黒いローブの者のブラックホールの中から真黒なクロスボウが現れた。

 「当局あいつらが”歴史の罪”と呼んでいるもの。俺が欲しいのは……まあ、それはいい。”歴史の罪”とは正式には重層累進クロニクル悲嘆グリーフ。この世界が創造できてからの悲嘆が積み重なったもの」

 「ぁあああ!!」

 唐傘お化けは傘の骨の先端で頭突きするようにフード付きの黒いローブの者に突進していった。

 「醜い悪あがきはいさぎよい諦めよりきれいだ。いいよ。おまえ」

 黒いローブの者がブラックホールの前で手のひらをかざした。

 クロスボウの左右の弓が羽ように開く。

 矢はいったんブラックホールのなかに吸い込まれていった。

 「ああああ!!」

 フード付きの黒いローブの者は唐傘お化けの慟哭混じりの体当たりを後方に飛んで躱した。

 一度引っ込んだ矢はブラックホールのなかからボーガンのように飛び出し唐傘お化けの目を貫き、唐傘お化けの体を引きずったまま――ドスっと幹に刺さった。

 大木にはりつけにされた唐傘お化けはだらりと舌を垂らしたままぴくりとも動かない。

 「ひとつの種の滅亡……」