第371話 ヨルムンガンド


「思わぬ収穫でした。やっぱり残存個体、最後の一体のDNAは調べておきたいですから。これがあとでどんな役に立つかわからないですし。できるなら上級アヤカシ以外の中級、下級のアヤカシも退治後にはDNAを採取してもらいたいところなんですけど現場のことも考えるとそうもいかないかなぁ、と。ああ、これは官房長官・・・・の鶴の一声を待ってるわけじゃなくて本音ですから」

 「私が現場に中級、下級のアヤカシも退治のさいには解析部を動かすようになんて通達を出せば現場からものすごい突き上げをくらうだろう」

 「だからですよ。費用や人員なんかの観点からもやっぱり上級アヤカシにターゲットは絞ってるのは正解なんですよ」

 「すまんな」

 

 鷹司の腕の上にバサっと数枚のカラー用紙が翻った。

 蛇のモンスターと呼ぶに相応しいアヤカシが載っている。 

 「いいえ。じゃあ、俺はこれで失礼します」

 「こっちこそ。わざわざすまなかった。いつか礼をしよう」

 鷹司は同じ種類の紙を重ねていく。

 「いえ、あれっ?」

 「どうした?」

 鷹司が手にしているカラーの用紙に子子子こねしが目を細めた。

 「そいつ」

 「ん、ああ」

 「ちょっといいですか?」

 「ああ、これか」

 鷹司はカラーの紙を差し出した。

 「ヨルムンガンドですね?」

 「よくわかったな?」

 鷹司が感嘆の声をあげる。

 「ええ。こいつら・・・・にも簡単な見分けかたがあるんですよ。バシリスクの鱗は薄っすら青みががかっています。ヨルムンガンドの鱗は薄っすら白みがかっています。ミドガルズオルムは薄っすらピンクがかっています。魔獣医じゃないとこの色味の違いは見分けがつかないかもしれませんけど。でもこれ?」

 子子子こねしはその紙を顔の前に持っていったとたん別紙の項目が目に入り顔つきが変わった。

 「ヨルムンガンドって退治されてませんよね? なんすですかそっちの紙のJormungandヨルムンガンド Exterminationって一文は?」

 「いや。すでに退治されてるんだ」

 鷹司はこの期に及んで隠すことはせずに即答した。

 せめてもの礼の意味もある。

 

 「これって国家機密ですか?」

 「察しがいいな。十年前モンゴルのゴビ砂漠でバシリスクとミドガルズオルムとヨルムンガンドの三体が出現したということがあった」

 「さ、三体同時出現? そんな情報はどこにも。当局のサイトにだって……」

  言いながら子子子こねしも悟る。

 「政治ってことでしょうか? アヤカシの個体のこと以外深くは訊きません」

 「すまない。アヤカシなんて非公式な存在だ。職場の空気を読めない人間は往々にして居場所がなくなってしまうからな」

 「それもそうですね。警察とかも大変そうですよね? アヤカシ関連の事件ならアヤカシと能力者の存在が前提条件ですから。それで」

 「ゴビ砂漠に同系種の上級アヤカシ三体が出現したことで三体の個体識別を誤った。鱗のわずかな色味の違いに気づけるものがいなかったということだろう。最初に退治された”ミドガルズオルム”は本当は”ヨルムンガンド”だったんだがミドガルズオルムを退治したと公式発表してしまった。まあ、関係各国の秘密案件ということになるがその後たしかにヨルムンガンドも退治されていて正式な退治の解析結果もある」

 「わかりました。それだけ聞ければ十分です。バシリスクも最近、六角市に住む若い能力者によって退治されましたよね? 高校生でしたっけ」

 「ああ、そうだ。それが座敷童の元いた家だ」

 「えっ!? そ、そうなんですか?」 

 子子子こねしはそう返したあと無言になった。

 口元に手を当てて考え込んでいる。

 

 「六角市にいた座敷童は保護区域の危機を察し自分の頭に鋳型を乗せて首相官邸ここに避難してきたってことなんでしょうかね? でもどういう理由でここにきたのか正確に伝えるすべはないのか」

 子子子こねしは自分に言い聞かせた。

 「この子って話せないですよね?」

 「ときどき口を動かしたり身振り手振りで気持ちを表現しくれるからそれでこの子の意志を汲み取るしかない」

 座敷童は首を傾げた。

 

 「座敷童は口減らしに会った子や不遇な子どもの思念のアヤカシですから。魔障医学でいうなら専門的に星間エーテルってことになるのかな。そうなると話せない個体は多いも頷ける」

 子子子こねしはひとり納得する。

 唐傘お化けの子どもは座敷童の髪から飛び出した足先をまるで別の物体であるかのように物珍しそうにながめている。

 足の指が動けば動いたその指を凝視しては――バケ。バケ。と声をだす。

 

 「おっ、これってフットリガード?」

 「フットリガード?」

 「はい。人間の赤ちゃんが自分の手を認識するようになることをハンドリガードといいます」

 「ああ、赤ん坊がよく自分の手を見つめるやつか」

 「そうです。自分の手を発見するんです。それが足だとフットリガード。この唐傘お化けの仕草はまさにそれ」

 「なんでも知ってるな。魔獣医は」

 「それが俺の職業ですから。この写真にあるヨルムンガンドの犬歯、いわゆる牙にあたる部分に楔状欠損くさびじょうけっそんがあります」

 「く、くさびじょう? けっそん? 次から次に難しい単語を」

 「このヨルムンガンドの牙の付け根をよく見てください」

 「これか?」

 「はい。この凹みです」

 「ああ、たしかに斧で木を叩いたような窪みがあるな。ああ!! だからくさび。楔の状態をした欠損部位があるということか。これはなにを現わしてるんだ?」

 「これができるのはその部位に一定期間ずっと圧がかかっていたとき」

 「どういうことだ?」

 「このヨルムンガンドには左右の犬歯の同じ位置に楔状欠損くさびじょうけっそんがあります」

 「同じように圧がかかっていたと」

 「両牙に楔状欠損くさびじょうけっそんになるくらい均等な力がかかっていたってことです」

 「何者かに削られたということか?」

 「いえ。このヨルムンガンドは何者かの拘束下にあった可能性があります」

 「ば、ばかをいうな!? こいつは上級アヤカシだぞ。こいつをコントロールするなんて」

 鷹司の動きが止まる。――だが、と声をもらした。

 「子子子こねし。かつてフランス当局のヤヌダークがバシリスクを取り逃がしたとされる話をきいたことはあるか?」

 「ヤヌダークって最近トレーズ・ナイツに抜擢されたフランスの能力者ですね? その話はきいたことありますけど。たしかバシリスクの周囲にいた数体のゴエティアの悪魔の退治を優先したためだとか」