第381話 棄教(ききょう)


――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。 

 異音を目前にしながらツソンとロべスは左右の二手に分かれた。

 招かれたようにウスマがふたりのあいだを黙々と進んでくる。

 ウスマはレッドカーペットを歩くように直進しその物体の前に立った。

 

 吹き込んできた浜風がウスマのマントを揺らした、と、同時にツソンとロベスのマントも同じ方向に流れていった。

 終末時計が示している現在の時刻は「11時56分19秒」。

 「四秒、進んでる」

 ウスマは落胆するでもなく達観したようにつぶやいた。

 「ええ。そうですね」

 ツソンはフルートを持ち歌口うたぐちにそっと唇を当て指でいくつかのキィを押し息を吹き込んだ。

 フルートからノイズのような音が鳴る。

 ――ザザッ。

 ツソンが指先で押すキィを変えていくとチューニングされたように明瞭化した。

 フルートの音色が人の声に変わる。

 声は単純な単語ではなく、いくつもの文節の集合体つまりは話声だった。

 ――休戦交渉は決裂した模様です。

 ツソンがふたたび運指うんしを変える。

 ――ザザッ。

 ――少数民族同士の土地を巡る争いだと思われていましたがじっさいは宗教観の違いによる武力衝突だったと専門機関は結論づけました。

 ツソンはまたフルートの指の位置を変える。

 ――ザザッ。

 ――国境線近くで大規模爆発がありました。この紛争で犠牲になった子どもの数はすでに千を超えており国際社会の動向が注視されています。

 ――ザザッ。

 ――反政府組織のテロ未遂をきっかけに軍隊は一部暴徒化した市民に対しても武力鎮圧を行っています。民間人の犠牲者も数百人規模だと言われています。

 ――ザザッ。

 ――早朝の爆発はパルチザンによるものとの情報が有力です。非武装を装ってはいますが水面下で特殊部隊の暗躍も囁かれています。

 ツソンが指の位置を変えるたびに世界情勢のラジオの情報が流れてきた。

 「ウスマさん。どうです?」

 ツソンがフルートを口元から離した。

 「グリムリーパーを潰しても焼け石に水だったようだ」

 ロベスはほら見ろと言わんばかりの態度で人差し指を立てて指先に火を灯し遊んでいる。

 「俺の炎なら焼けた石だって燃やせるけど、くく」

 ロベスはそのまま手を広げて五本の指一本一本に手品のように小さな火を宿している。

 ロベスの五本の指の先が蝋燭のように燃えていて時折風に揺れるがいっこうに消える気配がない。

 その炎たちはまるで指を燃料に燃焼しているようだった。

 「ジーランディアごみばこの中にもゴミ箱がある。ウスマ。片付けの後の・・・・・・後片付け・・・・は俺に任せな」

 ウスマは無言のまま目で合図をした。

 ウスマの目の動きでは肯定なのか否定なのかわからない。

 「グリムリーパーの最後の社員やつらと同じように燃やしてやるよ」

 ウスマとロベスのあいだに言葉はなくともそれが「肯定」だと理解できる関係性がある。

 ロベスのそれぞれの指の炎は小さな炎の柱になった。

  {{曲芸する焔フレイム・サーカス水棲竜リヴァイアサン}}

 指の先の小さな火種だったはずの火の柱はさらにボッっと大きく燃え上がる。

 赤く燃えていた炎は燃焼温度が上がるにつれ赤が蒼褪めた「青い炎」へと変わっていく。

 青い炎は風の流れに関係なく、生き物のようにうねりながら細長い海蛇のようなシルエットの焔になった。

 

 「船の藻屑は燃やせばいい」

 ロベスは己の右腕を食いちぎるような青い炎を飼いならしている。

 右腕を大きく振りかぶり青い炎を海岸線に放つ。

 細長い青い炎は海上を滑るように飛んでいった。

 約一キロ先で急上昇してそのままいっきに急下降して海の中へと沈んでいった。

 高温の炎は一部の海水をジュワジュワと蒸発させて霧のような水蒸気を発生させた。

 数秒の後、海面はいくつも飛沫を上ならがパンパンと破裂音を立てている。

 同時に泡立っている大小様々な水泡も一緒に破裂していた。

 「船の中にまだ武器残ったままだったっけ? まあ、どうでもいいか、くく」

 三人の後方からコツコツと足音がする。

 「チープな花火だな」

 気配に気づいた三人はいっせいに振り返った。

 刹那、三人は儀礼的にマントを翻して三者三様地面に片膝をつき己の態勢を屈めた。

 忠誠を示すそんな意味合いで頭を下げている。

 「かしこまらなくていい」

 フード付きの黒いローブの者がいる。

 ブラックホールの深淵から吐き出した声に三人は委縮している。

 三人は首を垂れたまま地面を見ていた。

 「ウスマ?」

 「はい」

 ウスマは素早く顔を上げた。

 「グリムリーパーを潰してなにか変わったか?」

 「いいえ。なにも」

 「老舗の軍事会社を潰せば終末時計の死針が少しくらい戻ると思ったんだろうう?」

 「はい。自分の考えは間違っていました……」

 「信念を変えると?」

 「はい」

 「順応が早いな。間違っている信仰は棄てるにかぎる。俺が平和の作り方というものを教えてやる」

 「はい」

 「単純なことだ。誰もいなくなれば恒久的な調和が訪れる。それを平和と呼ぶんだ。わかるな?」

 「すべての人類を消滅させればいいということですね?」

 ウスマは迷いなく答えた。

 「自分たちだけ現状維持を望むくせに、他の生物の生存環境を奪うのが人間」

 ロべスが口を挟んだ。

 「リダ」

 フード付きの黒いローブの者がロベスに本当の名前・・で呼びかけた。

 「は、はい」

 さすがのロベスも口数が減っていった。

 「この世界には新七つの大罪と社会的七つの大罪という考えがある。知っているか?」

 「変わって私がお答えします。新七つの大罪は遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困、過度な裕福さ、麻薬中毒。社会的七つの大罪は理念なき政治 、労働なき富、良心なき快楽 、人格なき学識 、道徳なき商業 、人間性なき科学 、献身なき信仰 です」

 ツソンがロベスに助け舟を出した。

 「良い関係性だ」

 フード付きの黒いローブの者が手を叩きながらツソンを褒め讃えている。

 「新七つの大罪と社会的七つの大罪を消すための完全解は平和・・。ツソン?」

 フード付きの黒いローブの者はツソンの前で自分の身を屈め視線の高さを同じにした。

 「レッドリストを滅ぼしたんだが絶滅時に発生する莫大な負力がでなかった。どう思う」

 フード付きの黒いローブの者は急に話題を変えた。

 「お言葉ですが。生き残りがいた可能性があるのでは、と」

 ツソンは身を竦め畏まっている。

 「日本当局の策略か……。おもしろい。重層累進クロニクル悲嘆グリーフ、歴史の罪。クリティカルパスの経路の一部を封鎖されたか」

 フード付きの黒いローブの者はさっそうと立ち上がり踵を返し何もない場所に手をかざした。

 景色に裂け目ができて、それが左右に大きく広がっていった。

 フード付きの黒いローブの者が亜空間へと入っていく。

 「ついてこい」

 「はい」

 

 三人も従順に歩みを進める。

 黒い仮面に深紅の蝶を施した仮面を被る者たちは、そのままフード付きの黒いローブの者に帯同し亜空間の中へと消えていった。

 ――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。 

 置き去りのままの終末時計の時刻「11時56分19秒」

 秒針が重力に引かれるようにカチ、カチっと動いた。

 「11時56分21秒・・・

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