「佐野いつもこれ持ち歩いてるの?」
「うん。無念だっただろうなって……。人って死んでから四十九日経つと次の”生”を受けるらしいんだ」
「えっ、そうなの?」
「それが四十九日。よくきくだろ? 輪廻転生って話」
「四十九日って四十九日目に生まれ変わるって意味だったのか? あれにもちゃんと理由があったんだ」
人は死んでから百年後に生まれ変わるって話も聞いたことあるけど日本では「四十九日」の法要が一般的だから四十九日目に生まれ変わるってのが正しいのかもしれない。
ただ「四十九日」って言葉は知っててもその意味はあんまり知らないよな。
只野先生が書いてくれたホワイトボードには書いてあったかもしれない。
だとしても日本の文化に根付いてるんだから、この思想はずっとむかしからあったんだろう。
もしかして星間エーテルの行き先ってこの仕組みと関連してるんじゃ? この四十九日のあいだにどこに行くかを決める。
場合によっては信託継承、忌具になるって道もあるかもしれない。
とにかく選択肢は多い。
でもその行き先は誰が決めるんだ? 自分で決めれるのか?
社さんの話から考えると開放能力の多くは亡くなった劣等能力者の人たちの能力のこと。
そうなるとある程度、行き先を決めることができるのかもしれない。
「仏教では人間が生まれてから死んで次の”生”を受けるまでのあいだに四つの期間があってそれを四有っていうんだって。数字の四に、有る無しの有りって漢字で四有」
「四有……」
さすがにそこまで深い話は知らなかった。
「その四つの期間っていうのが生有 、本有、死有、ああ、こっちの死有は死が有るな。そして最後が中有。生有 は生まれる瞬間のこと。 本有は生まれてから死ぬまでの期間で今の俺らのような生きてるあいだ。人生かな。死有は死ぬ瞬間のこと。中有は死んでから転生するまでの期間」
なんか日本らしい死生観だ。
佐野はそこから自分のスマホを出して保存されていたPDFを開いた。
「この内容ってうちのばあちゃんが檀家してたときの寺の教義なんだけど」
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有情=心の働きや感情を持ったものを有情という。
生きているものの総称として使われる。
別名衆生とも呼ばれる。
迷いの世界で有情が輪廻転生するとき、どのように存在するかの状態を四つに分けたものを四有という。
四有も輪廻転生のワンサイクルにすぎない。
●生有
魂が母親の胎内に入った時点を「生」を受けた瞬間とする。
(仏教では、この時点を生まれた瞬間と考える)
ゆえに母親の胎内にいる十月十日も年齢に加算されるため母親から出たときに一歳になる。
●中有は中陰や中蘊とも呼ばれる。
期間は七日を一期とした、第七期の四十九日。
中有の期間すでに体は次に生まれる姿をしているが、ごく小さいため肉眼では見えない。
中有の期間は乾闥婆とも呼ばれ香りのみを食物とする霊的な存在になり食香とも呼ばれる。
仏壇などに線香をあげるのはこのため。
●心を持つものは輪廻転生で三つの世界(三世界)を行ったり来たりしている。
少しでも良い世界へと生まれ変わるようにと死有から生有まで中有の期間に七日ごとに供養が行われるようになった。
七期目の「四十九日」が重要な供養日となり満中陰と呼ばれる。
●三世界
無色界、物質的制約から離れた高度な精神的な世界。
※無色界では精神的に高度な世界なので中有が無いといわれている。
色界、淫欲と食欲から離れた生物が住むところ。
物質的な制約は残る。
欲界、淫欲・食欲の二つの欲望を持つ生物のが住むところ。
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有情って主に人のことか?
ってことは人の輪廻転生、四有もワンサイクルとして次のサイクルに移る。
只野先生が言ってたことをあらためて思い返してみる。
――レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の職業は芸術家、発明家、画家、建築家、数学者、彫刻家、音楽家、地質学者、解剖学者などさまざまあるよね?
――ダビンチは転生を繰り返し、その都度、各分野のスキルを積み上げてきた。それがこれだけ多岐に渡る突出した才能と知識。
って言ってた。
単純にレオナルド・ダ・ヴィンチの職業だけを四有のワンサイクルだと考えると芸術家、発明家、画家、建築家、数学者、彫刻家、音楽家、地質学者、解剖学者。
計九サイクル、九回の四有を繰り返してきたことになる。
前世でピアノが弾けたら今世でも案外簡単にピアノを弾けるんじゃないかって俺が思ってたことと同じだ。
これは単純に二回の四有を繰り返しただけ。
人が漠然的に持ってる輪廻転生の思想っては、すでに細胞の中に刻まれてるのかもしれない。
魂のすべてなのかどうかわらないけど、二十一ミリグラムの中に初めから入ってる思想? だとしたら多くの人間は二十一ミリの中の一ミリくらいは共通項として持ってるもので、例えば瓦礫の中から救われた赤ちゃんに人が歓喜できるのも同じ理由か? 人間は本能で小さいものやか弱いものを守るようになってる。
これがなければ子孫が繁栄していかない。
そっか……本能、これが二十一ミリグラムの根底にある部分。
社さんが言ってた「原始反射」。
――幼児が特有の刺激に対して起こす反射行動で、成長する過程で消えていくもの。赤ちゃんの手に指をおくと握り返してくれたりする行動もそれよ。
赤ちゃんが生まれてすぐに肺呼吸に移行するのもそういうことだ。
人が人として生きていくうえで基礎になるものは「本能」というカテゴリーで引き継がれていく。
――これれはすべての人間に当てはまる、ある種の統一規格。また他の生物との互換性もあり、箱の大きさはその個々の生物の体積に見合った容量に変化する。箱に入るものとはその人の性格、嗜好、思想、技術などさまざま。つまりその人の個性の詰め合わせ。
なら「本能」をベースにして、そこに「技術」なんかが上乗せされてくのかもしれない。
魂の二十一ミリグラムの中にも階層があるってことになる。
只野先生いわく他の生物とも互換性があるんだから海月になって四有をゆったり過ごすってのもありか。
あっ!?
シャインマスカット農家の息子とダークチェリー農家の娘が駆け落ちしてクラゲ漁師になったってあのアニメも海月の側からするととんでもない話だ。
あの夫婦に海月の本有が握られてる。
やっぱり世の中の動植物は大事にしなきゃいけないってことか。
無益な殺生を禁じてるのも納得だ。
基本的にこの世界では一週間のうち土日が休み。
輪廻転生を七日に例えてみる。
人間として月火水木金の人生を全うする、そして土日の二日間を動植物として過ごす。
丸一日を生物の一生と考えると一生なんてのはあっけないもんだ。
日曜が終わったから、また明日から人間だよ、みたいな。
今日の俺らみたいに臨時休校で人間休みますってことと一緒。
PDFの内容は難しい話だったけど俺も山田もすんなりと受け入れらた。
もともと日本は寺社仏閣が多いし、各家庭にも神棚と仏壇がある家も多い。
それでいえば六角神社も特殊だ。
除夜の鐘は一般的には寺にあるものだけど六角神社には境内に鐘があって大晦日には百八の鐘を打つ。
六角神社は寺社仏閣が一体化してるみたいだ。
四有の話は仏様のほうの話だけど日本人にとっては馴染のある話だった。
なんとなく神様と仏様のツートップがいると心強い。
俺って佐野からも知識をもらってるじゃん。
一般的な生活をしてても能力者に関係する知識は得れるんだな。
中有ってのが魔障医学でいうところに星間エーテルが抜け出た状態だ。
むかしから四有って概念があってこういうのが日本文化として伝承で伝わってきたんだからそりゃあ転生もあるわな。
中有のときすでに次に生まれる姿をしてるってことは、中有の期間にも色々と行動できるのかもしれない。
でも七期にあるうちのどこで次に生まれる姿を得るのかによっても話が変わってくるな。
九久津の兄貴もこの中有の状態でなにかをやったってことなんだろうな。
条件反射で星間エーテルをコントロールできる能力者がいるっていうんだから天才、召喚憑依能力者の九久津の兄貴ならやれそうだし。
最近は目薬効果で啓示する涙の症状が出ないけど……。
――『ときがきたら君の力を貸してほしい』
九久津の兄貴はきっとその「とき」を待っている。
俺の中に九久津の兄貴がいるってことは中有のときの行き先も俺を選んだってことになる。
でもなんで俺はそれを受け入れたんだろう。
そこがわからない。
あのホワイトボードの中で考えると「星間エーテル移動(外側)」の可能性が高いかも。
ならどこで能力に目覚めたのかわからないミッシングリンカーのタイプCとタイプGもこの中有に関係してるのかもしれない。
まだまだ謎が多い。
能力者として知らなければいけないことはたくさんあるな。
「うちのばあちゃんもそうだけど。この人もまだ中有だろ。駅前にくるたびこの人は次はどんなところに生まれるのかなって思って」
俺が初めて国立六角病院に行った日、社さんとエネミーと一緒だった。
バスの中で佐野の話題が出たあの日はちょうど佐野のばあちゃんの初七日くらいかなって思いながらバスに乗ってたんだよな。
なにげにあのビラを撒いた川相総さんと佐野のばあちゃんは命日が一日違い。
気になるか。
「そっか」
でも俺は川相総さんは希型星間エーテルになって川相憐さんの傍にいるんじゃないかって勝手に思ってる。
寄白さんが言うように親なら子どものためにどんなことでもできる。
子どものために死んでもなおタクシーに乗って家に戻っていた音無霞さん。
音無霞さんは中有の期間、生身の体を失くしても現世に留まりつづけたんだ。
中有の期間にそういう選択を選んだんだろう。
子どものために死んでも死にきれないって話は世界中でたくさんある話だ。
やっぱりある程度自分の意志で動けそう、いや、そんな簡単な話じゃない……。
子どもを残して死んでしまうってのは、とてつもない悔いや未練が残る。
よっぽど強い思念によってでしかできないのかも……。
音無霞さんは寄白さんの手によって現世から消えた。
もう次の生を受けたのかな? もしかしたら音無さんはその後、希型星間エーテルになって子どもの守護霊になってるかもしれない。
人だって生有のあと様々な道に進んでいくように死有のあと中有の期間に進んでいく道も様々だ。
「俺もう時間だからそろそろ行かないと」
佐野は右上のバツ印をタップしてPDFを閉じた。
「そっか。佐野、ところでこのたくさんの人ってなにかわかる?」
「アイドルがどうのこうのって言ってる人がいたな。献血のところにも人が多いし」
ああ、啓清芒寒が献血のCMやってたからその影響もあるのか。
世間では血液不足で大変らしいし。
「そういうことか。俺らは臨時休校だけど、平日なのになんでこんなに人いるのかって不思議だったんだよ」
「そうなんじゃないか。じゃあ、行くわ」
「ああ」
「なあ、沙田。オバケって本当にいるの? 六角市のシシャっていわゆるオバケってやつなの?」
「えっ?」
なぜそれを今ここで俺に訊く? お寺の教義になんか関係があるのか?
「まあ、そ、そんな感じなんじゃない。シシャは天使とか魔物とか妖精、妖怪とか言われてるんだから」
「ふーん。そっか」
佐野は平温のままスマホをしまい俺と山田に片手を上げてそのまま駅に向かって進んでいった。
佐野の今の言葉に深い意味はないのか。
六角市にいれば「シシャ」なんて一般的だし、怪奇現象にも慣れてるっちゃ慣れてるし。
「七不思議製作委員会」なんて六角市じゃなきゃ通用しない。
「沙田殿。佐野殿のおばあちゃんは戦争で学校に行けなかったんでしゅよ?」
「ああ、その話は知ってるよ。山田も知ってたんだ?」
「でしゅ。でも今日世界はまたひとつ平和に近づいたでしゅよ」
「どういうこと?」
「アメリカの武器を作ってる会社が倒産したでしゅ。そして社長と船も行方不明でしゅ」
グリムリーパーのことか。
山田も朝のニュース見てたのか。
たしかに軍事企業が一社潰れたってことは平和に一歩近づいたってことかもしれないけど。
「お互いに話が通じなくても人と人が殺しあうのは絶対にダメでしゅ」
「山田。良いこと言うな。でもほとんどの人は人が争うことなんて望んでないよ。ほんの一握りの人がしてることだ」
戦争の犠牲になった人も中有の期間の人もいれば、次に進んだ人もいる。
中には憎悪だけを二十一ミリに載せてしまった人もいるだろう。
アヤカシの鋳型に流れる負力と負型星間エーテルもイコールなのかもしれない。
がしゃ髑髏だって戦死者や野垂れ死にした者などが元になってるアヤカシ。
俺はジーランディアのことやアンゴルモアのことを含め、能力者としてさらに世界の仕組みがわかってきた。
でも、疑問がある。
人や生物は輪廻転生を繰り返して何をするのか? その先は? 三世界のいちばん上の無色界に辿りつくことが最終目的なのか。
たしかにその世界になら争いごとや悩みなんてのはなさそうだけど……。