第404話 通報


 俺の視界に「警察官立寄所」の看板が過った。

 そのまま校長の後について銀行の真正面から入口の自動ドアをくぐる。

 銀行独特のニオイがしていた。

 人が多く集まるからなのか市役所も似たようなニオイがしてるよな。

 空間そのモノのニオイとか空調とか整髪料とか香水とか、かな。

 建物の中ではみんなとある場所を凝視している。

 山田の言っていた揉めごとは証券会社内のことじゃなく銀行の中での出来事だった。

 山田には社員が話してる話の内容がなんとなく耳に入って証券会社内での揉めごとだと思ったんだろう。

 

 証券会社の社員の人が言っていたようにカウンターを挟んで銀行職員と言い争っている人がいた。

 天井から吊るされている札には「融資課」とある。

 言い争っている客の左右にある衝立がずれていて、そこにどんな人がいるのか一目瞭然だ。

 見た感じだと六十代くらいのホリの深い男だ。

 ホリと同時にシワも刻まれている。

 濃紺を何百回、あるいは千回も洗濯すればこんな色になるだろう。

 そんな薄い青色のツナギを着ている。

 どことなく川相総かわいさんが持っていた雰囲気と似ていた。

 でもこの人はそれを隠すこともないようだ。

 

 「だからもう貸せないってなんなんだよ!!」

 「ですが……」

 「そっちが一方的に切ったんだろ?」

 「と申されましても」

 「誰の指示だよ。うちの工場にはもう用はないってのか!!」

 その人はみるみるうちに顔を赤らめていった。

 なんで左右の衝立がズレているのかもわかった。

 意図的なのか偶然なのかわからないけど、興奮したこの人の手が当たったからだ。

 何度か同じことがあったんだろう。

 

 俺のすぐ横で校長がその場所へ身を乗り出そうとした。

 でも制服を着ている行員がすぐに校長の腕を掴んだ。

 「社長。わざわざ行かれなくても」

 「これでも私は社長よ。お父さんがどんなやりかただったのか知らないけど私は私のやりかたでやるわ」

 行内の視線がいっせいに校長に向いた。

 同時に入口の両開きの自動ドアがサーっと開く。

 あっ、こんなときに入ってくるなんてお気の毒に。

 いま、けっこう修羅場ですよ。

 今度はみんなの視線が自動ドアにほうへと注がれた。

 

 えっ!? おおー!?

 銀行に足を踏み入れたその人は店内の隅から隅に目を配り、すぐに融資課の札の下のゾーンに睨みをきかせた。

 この空間全体を把握したのか? その瞬間、俺がここにいることに気づいたかもしれない。

 なんせ俺はさっきと同じ六角第一高校いちこうの制服のままだ。

 今日は市外から多くの人が駅前に来ているとはいえ平日の日中に銀行にいる高校生なんてめずらしいはず。

 この状況を見かねて誰かが通報したんだろう。

 その男の人は声を荒げていた薄い青色のツナギの男の背後に回り込んだ。

 「あの。すみません」

 まるでコンシェルジュのように静かに声をかけた。

 「なんだ? ああ、おまえか。融資課の課長ってのは? 課長ならもっとビシッとしたスーツ着てこいよ。なんだよそのネクタイ。客に失礼だと思わないのか?」

 完全なるクレーマーだな。

 「まことに申し訳ありあせん。私は班長・・ですので」

 たしかに部下には班長って呼ばれてた。

 「班長? 課長の下か? 上か? ああ、まあ、なんでもいいわ。だから急に融資打ち切るってどういうことだよ」

 融資化の窓口で対応に当っていた行員がきょとんとしている。

 「あの、すみません。申し訳ありませんがそのかたは銀行うち行員ものではありません」

 「あん? じゃあ誰なんだよ。こいつ」

 「ぞ、存じ上げないのですが……」

 受付の人、いやここにいるすべての人がその人のことを知らなくても俺はその人が誰なのか知っている。

 ついさっき俺たち・・・と会ったばかりだから。

 班長と名乗ったのは嘘偽りない本当のこと。

 本物であればあるほど権力を盾に威圧するようなことはしない。

 でもやっぱり目が違う。

 その人は六角中央警察署のどこかの「班」の「えらいひと」なんだから。

 「ああ、まあ、じゃあ。名乗るか」

 その人は名乗ると言いながらも口で名乗ること・・・・・はなくヨレたスーツの中からメモ帳くらいの真っ黒な物を出して薄い青色のツナギの男の目の前でかざした。

 重なっていた手帳の上部がパタンと下に開くとそこに金色の桜の紋章が光っていた。

 相手に自分の身分を示すためにそういう構造になっているんだ。 

 

 「こいうもんだ」

 それがなんなのか中学生くらいからならみんなだいたい想像がつく。

 同時に安堵の顔を浮かべている人もいた。

 いや、そこら中でそんな顔をしている。

 この状況になにかしらの決着がつくことがわかったからだろう。

 班長さんは気持ちていど客のみんなにも手帳それを見せた。

 階級と名前。

 なにより金色の桜の紋章のなかにある「POLICE」という文字。

 頼りがいがありすぎる。

 銀行はそもそも「警察官立寄所」だ。

 「くそっ!!」 

 薄い青色のツナギの男は一度、手元の机を叩き勢いよく立ち上がった。

 その衝撃で衝立がグラっと揺れる。

 衝立の位置がまたズレた。

 「サツ呼びやがったな」

 薄い青色のツナギの男は誰が警察を呼んだのか、その人物を捜すように行内にいるすべての人を順番に睨みつけていった。

 多くの人が手にスマホを持っていて誰が通報したのは見当はつかないだろう。

 俺だってわからない。

 ただひとつ言えることは俺と校長がここにきてから誰も電話はしていない。

 

 となるとこの揉めごとが発生したときに行員の誰か、あるいは同じ系列の証券会社の社員が通報したと考えるのがふつうだ。

 でも銀行のイメージもあるだろうから、それなりに大事になってからじゃないとそうそう通報なんてしないとは思うけど。