第407話 任意同行


 六波羅は自分が乗り込んだ後部座席のドアを閉めた。

 隣には薄い青色のツナギの男、与捨よすて太人たひとが静かに座っている。

 「任意ですがご協力いただき感謝いたします」

 六波羅が頭をさげると与捨よすてもさっきまでとは打って変わって物静かに首肯した。

 銀行から車内に移動して頭が冷えたのか感情の起伏が感じられない真顔に戻っている。 

 「いや」

 「吸いますか? こんな時代だけど俺はヘビースモーカーなんですよ」

 六波羅はまるで来客者をもてなすような態度でスーツの内ポケットからクシャっとなっている青い紙パックの煙草を出した。

 与捨よすてに嫌味を言われたシワシワのスーツもよれたネクタイ健在だ。

 「班長だめです」

 運転席で検美石が振り返る。

 「検美石。堅いこと言うな」

 「車内は禁煙です」

 「これだから今の若いやつは」

 「これに老いも若きも関係ありません」

 六波羅と検美石が言い合ってるなかで与捨よすては仲裁するように――もう、やめたと言った。

 「そうですか」

 六波羅は出した煙草をゆっくりと引っ込めた。

 「銀行内での話なんですけどちょっと詳しく訊かせてくれませんか?」

 六波羅はこれでいいだろうというようにミラー越しに検美石に合図し与捨よすてへと視線を移した。

 「たしかに警察は正義の味方ではないかもしれません。でも自分の立場を利用して弱い者を追い込むやつには法の裁きを受けさせなきゃいけないと思ってます」

 「じゃあ六角市中央警察署あんたのところの署長はどうなんだ? いち市民の感想とすれば権力者が同じ権力者とつるんでるとしか思えないけどな」

 六波羅は一度口を開きかけたがすぐに口を噤んだ。

 数秒の沈黙が訪れる。

 「六角市中央警察署うちの署長のことですけど、署長が黒杉と接近してるのは内偵に近いものだと考えてください」 

 「捜査ってことか?」

 与捨よすては眉をひそめる。

 「そこはお答えできません」

 「それはあれか? 捜査に影響するからってことか」

 「そう思ってもらえるとありがたいです」

 六波羅は言葉の意図を汲んでほしいという考えから無言を貫く。

 「わかったよ。それで俺に訊きたいことってのは黒杉の労災隠しだったな?」

 「はい。あらためてましてもう一度お願いいたします」

 六波羅はまたルームミラーから検美石に視線を送る。

 検美石もその視線に気づき手元にあるボイスレコーダーの再生ボタンを押しメモ帳とペンを手にした。

 

 「ああ」

 「では黒杉工業の労災隠しについて知ってることをお訊かせ願えますか?」

 「いつだったかうちの工場に面接にきた人がいてな」

 「ええ」

 「機械の知識もあるし経験年数も申し分なくて雇ってやりたかったんだけどな」

 「はい」

 「その人は右腕があんまり動かないんだとさ。肩より上に腕をあげることもできないって言ってたな」

 「それは黒杉工業で働いてるときに負った怪我が原因ってことですか?」

 六波羅はここが重要だということを目で訴える。

 検美石もそれを受け取り、無言でうなずいた。

 「そうだってよ。まあ、こっちも気の毒になってどこでそうなったとかまでは訊かなかったなけどな。あっちから黒杉にいるときに負った怪我だって言ってきたんだよ。まあ、面接だからあれこれ話したほうが面接に有利に働くって気持ちは理解できるけどな」

 「そのときに労災の話を?」

 「そう。仕事中に負った怪我なら黒杉工業で労災申請すればって言ったんだけど。黒杉側の弁護士に言い包められて時間外の怪我にされたそうだ」

 「あくまでプライベートな時間に負った怪我だということですか?」

 「そう言ってたよ。大手ってそんなもんなのかって思ったね。その人の話をきくかぎりじゃ黒杉工業の社長ってのは圧迫面接だなんだってとにかく自分の権力を誇示したい人らしいし。むかしの不良みたいに踵をズリズリ擦って歩くから職場に顔を出してきたときもすぐわかるんだとさ。あまりにわかりやすくてその足音が聞こえてくるだけでみんなあからさまに仕事の態度を変えるってよ」

 「社員たちは真面目に仕事をしているふうにみせると」

 「そう。社員がビクビク社長の顔色窺ってようじゃもう終わりだな」

 六波羅はあらたてめてルームミラーを見た。

 検美石は阿吽の呼吸で後部座席を見ることもなくビニールに包まれたA四のビラを六波羅の前に差し出した。

 「あの。これご存じですか?」

 六波羅はビニール中の物の確認もせずに与捨よすての目の前でそれを掲げた。

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黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

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黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

黒杉工業 代表取締役社長 黒杉太郎 己の罪を償え!!

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 「ああ、これってあのロータリー前のビルから撒かれたビラか。実物は初めて見たよ」

 「警察発表はしてませんがネットではだいぶ拡散されてます。これを見てどう思います?」

 「鬼気迫るものがある。それに相当な憎しみもかんじる、けど……」

 「けど。なんですか?」

 「なんとなく抽象的なかんじもするな」

 「そうなんですよ。俺も同じ意見です。己の罪を償えが何に対して罪を贖うのか曖昧なんですよね。ビルの屋上に遺書も残されてたんですけど中身は家族を心配する内容で黒杉工業の代表取締役社長である黒杉太郎については書かれていなかった。ちなみに遺書はその筆跡から本人のものだと断定されています」

 「じゃあ、黒杉工業の労災隠しが原因で抗議の身投げをしたってことか?」

 「それを調べたいと思ってます。じつのところこの件は自殺で決着がついていて本来はもう捜査は終わってるんです。けどいま、運転席にいるその検美石わかいのがどう考えてもおかしいって」

 「そこのお嬢さんが?」

 「ええ。そいつは俺に対しても説教が多くて、いまじゃ俺の性格まで矯正されちゃいましたよ」

 「仕事が増えるわかっててさ若いのに偉いね。捜査が終わってんのに見て見ぬふりすれば早いのに。まあうちにもそういう若いのが何人かいるな」

 「私だって信念があって警察になったんです」

 「ああ、悪かった。それでいま再捜査ってやつをしてるのか?」

 「署内にいる数人の個人行動です」

 「警察ってそういう面倒なことはやりたがらないのかと思ってた」

 「人によりますね。まあ、検美石わかいやつに付き合ってやるのもいいかなって思いましてね」