校長と通話をしていると寄白さんが、あせるでもなくふつうの速度で戻ってくるのが見えた。
謎のパトロールから帰ってきたけどなにもなかったのか? まあ、なんかあったらもっと急いでるか。
――んママぁ。
俺の死角である椅子の背凭れ側で幼い子どもの声がした。
幼いっていってもざーちゃんよりもまだ小さくてヨチヨチ歩きしてるような赤ちゃんっぽい声だ。
え!?
俺が振り向いた先にはマジでヨチヨチ歩きの赤ちゃんがいた。
両手をピンと伸ばして足をフラフラさせながら歩いている。
ただ、どこに向かっているのか俺にはわからない。
このままならここまで歩いてくる可能性もある。
「こ、校長。よ、寄白さんも戻ってきたので、では」
『え、あ、うん。気をつけて帰ってね』
「は、はい」
『それじゃ』
俺は突然現れた赤ちゃんにテンパって校長との会話を半分強制で終了させ目線を落とした。
校長との通話も『モグラ泣かせ』の万引き犯が捕まったって話だし区切りとしてはちょうどいい。
こんな駅の中の大勢の人がいるところで赤ちゃん独りで大丈夫かよ、って大丈夫なわけがない。
親どこいった? 探してあげないと。
改札のところの駅員を呼ぶのが先か? おっ!? 親らしき人が手首に上着のジャケットをかけて肘の内側の絆創膏を押さえ献血ルームから小走りで出てきた。
――こら。ゆう。
良かった~。
そっか、あの人も献血やっててなんらかの隙に子どもが走りだしたのか? 意外とジャケットを腕にかけたところで手を離してしまったとかかも。
なぜだ? 俺の視界で不思議な光景が繰り広げられてる。
寄白さんが段階的に腰の位置を低くくしながらこっちに向かってきた。
その子はその子で甲高く幼い声で寄白さんのとこへと進んでいく。
このままでいくとこのふたりはぶつかってしまうけど?
――んママぁ。
どこに向かって歩いていたのかわからなかったその子が、まるで最初からそこがゴールとでもいうように一直線に寄白さんを目指して歩いていっている。
え?
「ゆうく~ん」
寄白さんがしゃがみながらその子に向かって両手を大きく広げ猫撫で声で呼び返した。
しかも今まで誰にも見せたことない笑顔をしている。
寄白さんが呼びかけたその子は両手を広げてゴールテープを切るように寄白さんの腕のなかに飛び込んでいった。
寄白さんがその子と目を合わせている。
俺の聞き間違いじゃなければこの子は寄白さんのことを「ママ」と呼んだ。
「ママ」とは「 母親」。
「おかあさん」または子どもなどが母親を呼ぶ言葉。
英語では「マザー」などとも呼ぶ、と、Web辞書ふうに語っちまったけど結論からいって寄白さんの、こ、子どもですか!?
親はどこ行ったんだろうって思ってたけど、まさかもうひとりの親がここに!?
踏み損ねたチャリのペダルが一回転してきて脛に直撃したようなダメージがメンタルに!!
こ、これは盲点だった。
寄白さん今まで俺に母親じゃないってことはひとことも言ってない。
うん、たしかに言う必要もない。
俺が「六角第一高校」にくる前あるいは寄白さんが特殊専門学校にいたとき……。
そういうことかー!? そういうことなのかー!?
エネミーがすべてを悟ったようになにも言わず俺を見て笑った。
悪い顔をしている。
俺のこの混乱がバレてるようだ。
「優志さん」
ゆうじさん? 寄白さんが献血ルームからきた人に呼びかけた。
すでに名前知ってるし!?
俺の弁慶が泣いてるところさらに、ち、父親の存在が明らかになった!?
やっぱり献血の人かー!!
弁慶の泣き所が北上中。
これは膝にくるほどのダメージ。
まあ、たしかにこんな小さな子がひとりでいるなんておかしいけど。
だが父親が出現した以上、本当の母親も駅近辺にいる確率は高い。
お母さんはお留守番してるわねという救いを残す。
寄白さんはその子の親じゃないと思いつつ平穏を保つ、ように、して、みせる。
父親は慌てたようにその子の手をとった。
「美子ちゃん。ありがとう」
きゃぁぁ!!
美子ちゃんって呼んだ。
あっちも完全に顔見知り。
寄白さんの元夫(?)は献血にいくほど世の中のことを考られる大人の男。
山田も、だ。
俺との差がどんどん開いていく。
「優志さん。まさかこんなところで会うなんて。もう私とは二度と会わないほうがいいって言ったのにさ」
寄白さんが子どもをその腕に抱きながら元夫(?)を見上げている。
二度と会わないほうがいいって俺の辞書にはない言葉だぞ。
も、もつれてる系? 訳アリ系? フリーダイヤルで相談必要系? 本物のもつれ話ってアニメ以外で初めてきいた。
しかも寄白さんの最後の「さ」のトーンが話をし慣れてるかんじ。
こ、これは両膝つくレベル。
俺の膝の裏にも弁慶がいるぜ。
「でも美子ちゃんに出逢ってなければ僕は……」
しかも――美子ちゃんに出逢ってなければってこれはもう完全に元夫だ。
俺には入り込めないレベル。
だからこんな軽妙な会話のやりとりができるんだ。
このふたりのこの雰囲気は一夕一朝で築けるような関係じゃない。
「ゆうくん」
寄白さんがまたゆうくんに視線を移した。
「美子ちゃんが救ってくれたんだ」
――救ってくれたってそれもう歌詞じゃん。
俺にはもうこのふたりのあいだに入り込む余地はねー!!
ん? なぜかゆうくんがひとかけらの邪気もない笑みで俺を見ていた。
座敷童のざーちゃん並のかわいさよ。
俺がニコッてしたら、ゆうくんもニコっとしてくれた。
このうにょいかんじ、完全に負けた。
「私はたいしたことはしてないよ」
「ううん。だって優はじつの母親によって……」
え、え、じつの母親によって。
じつの母親? じつ? じつとは? じっさいのって意味でいいですか? そうとらえますよ、僕は。
はっきり「じつ」って言った、ってことは「寄白美子」イコール「じつの母親」ではない。
よって「寄白さん」は「この子」の母親ではない。
ふ~証明終了。
おー!! セーフ。
なにがセーフなのかわからんけど「育ての母親」というポジションの可能性はなきにしもあらず。
そこはやむを得えないか。
「優志さん。霞さんの影響が優くんの身に及ぶってことを本人が気づいてなかったんだからしょうがないよ。でもそれに気づいたから霞さんは優くんを守るために自分から姿を消すこと選んだ」
えっ、かすみって名前?
「かすみ」
あ、そっか霞さんって音無霞さんのことか。
ってことはこの 「ゆうじさん」が霞みさんの夫で「ゆうくん」が霞さんの子どもなのか。
寄白さんが私になんて二度と会わなければいいって言ったのは、あの出来事を思い出させないようする意味での発言か。