検美石は顔をほころばせる。
その笑みは黒いハンドルだけが見ていた。
「おい」
「あ、はい」
六波羅が運転席の真横に手を伸ばすと検美石はまるで手術中の医師と看護師のやりとりのように裏返しにした写真を手渡した。
「与捨さん。つぎはこれを見てもらえますか?」
「なんだ。ああ、写真か」
六波羅は裏返ったままの状態で写真を持っている。
「はい。そうです。全部で五枚あります」
「わかった」
快く返事する与捨はいつのまにか自分が世の中に役に立っていることを自覚し協力的になっていた。
「まず一枚目」
六波羅が一枚目の写真を裏返した。
真っ黒な日焼け顔で頬には大きな黒子がある。
【黒杉工業】という刺繍の入った作業着を着ている中年の男だ。
「誰だこれ?」
「面識はありませんか?」
「いや、ないな。でも黒杉工業の作業着を着てるってことはこれがそのビラを撒いいた男か?」
「川相総」
六波羅はあえて肯定はせずに名前だけを告げると与捨もそれを察し赤べこのようにうなずいている。
「この名前に心当たりは?」
「いや、ない、でも」
「でもなんですか?」
「この写真の人の作業着と自分のこのツナギを見比べるとなんか他人事じゃねーなって思ってよ。俺も心を入れ替えて工場の若いもんのためにも頑張らねーとな。さっきは切羽詰まって銀行で騒いじまったけど。ただ逆の衝動で自分で死を選ぶってのはわからなくなもない、かな。朝から晩まで働いても暮らしは楽にならない。だから政治家だ社長だって人種にカッとなっちまってな」
「俺にも理解できる部分はあります。例えば警視庁警備部警護課。いわゆるSPは警護対象者が気にくわないやつでも命懸けで守るんです」
「だろうな」
「なぜ、そこに命を懸けられるのか」
「正義感か? それとも仕事だからか?」
「もちろん両方あります。ただ要人を守ることは国を守るためです。国政を空転させるわけにはいかない。結局、事件を一個潰せば、一個、安全が担保される。まあ、そんなかんじでやってるんですよ。俺のように六角市にいれば国を揺るがすような事件にも世間を震撼させるような事件にも関わることはない。けど市内の秩序くらいは守りたいって思ってます」
「なんかいいな。あんたの泥臭さ」
「そうですか。ありがとうございます」
六波羅が会釈ていどに頭をさげた。
「なんてかっこいいことを言いいましたけど。じつは俺も最近までテレビ見ながら入院中の総理や官房長官に向かってくだ巻いてました。それを注意してきたのも検美石です」
六波羅は与捨と同じ目線に立って場を和ませる。
「なんだよ。刑事さんも同じかよ」
「はい。俺も同じ市民なんですよ」
「そっか六角市に住む、市民は市民か」
「はい。同じ六角市民です。つぎ、二枚目いいですか?」
六波羅は川相総の写真を引っ込めて次の写真を裏返した。
ファッションビルの前に若い女性がいてその女性は両手で建物の五階の窓を差していた。
「これは?」
「川相憐。一枚目の川相総の娘です」
「じゃあ、親子揃って黒杉工業に勤めてたのか?」
「いいえ。ただ念のためにこの女性を知らないかと思って訊きました。この人は黒杉とはなんの関係もありません」
「そうか。あんな形で親を亡くして気の毒にな」
「ええ」
「あれ?」
与捨はまじまじと写真を見ている。
「どうしました?」
「ここに貼ってあるポスターの日付ってずいぶん古くないか? この娘、このときが二十歳くらいだとするなら今は三十半ばってとこだろ」
六波羅も写真に顔を寄せた。
「ああ、このスプリングセールのポスターの日付から計算するとそうなりますね」
六波羅は与捨の目の付け所に関心する。
「だとしたらこの写真を撮ったのそうとう前じゃないか?」
「ですね。たまたま六角中央警察署が手に入れた写真が古い写真だったってことですね」
「ふ~ん」
「人にはそれぞれ事情があって……なかには数十年のあいだの写真が一枚もないって人もいます。つまりは社会との関わりを断絶してる人ですね。まあ、川相憐がそうっていうわけじゃないですけど」
六波羅は川相憐の現状は伏せた。
「なるほどね。まあ、人にはいろいろ事情があるさな。けど、この人も知らないな」
「そうですか」
「でもこの服屋のビルには行ったことはあるな。南町にあるビルだろ?」
「そうです。与捨さん。若い子のあいだじゃ服を買うこところは服屋じゃなくショップって呼ぶんですって。俺も検美石にバカにされましたから。それに最近の若いもんって言うのもやめろって。さっきなんて上司の俺に煙草吸うなですよ。まったくどっちが上司かわからないでしょ。さらには刑事のことを刑事って言うのも禁止なんですよ」
「俺も昭和の人間だから刑事さんみたいな人のほうが人間味あっていいんだけどな」
「班長。そこで与捨さんと意気投合しないでくさいよ」
検美石がルームミラー越しに反論する。
「いいだろ? 俺と同じ時代を生きた同志なんだから」
「つぎいってください。つぎ、つぎ」
検美石がボイスレコーダーをいったん止めるかどうか逡巡しながらも、六波羅を急かす。
「わかったよ」