「警察が訊くくらいだ。この娘ももう死んでるのか?」
与捨は強めに訊き返した。
「はい」
検美石は個人の感情をいっさい見せずいたって冷静に返す。
「く、黒杉工業ってなんなんだよ。暗殺組織か?」
「一般企業です。ただ迷惑を被っている人が多くいると想像はできます、が、あくまで想像。だから警察は手がかりが、証拠が必要なんです」
六波羅は教えを乞うような与捨に自分の信念を示した。
「警察が慎重で良かったよ」
与捨は強張っていた表情緩める。
「この藤原茜って娘と黒杉工業との接点はほぼ皆無です。ただ検美石がこの娘が参加していた就職支援セミナーに黒杉工業の名前があったってだけで捜査対象にしてるんですよ」
「へー。刑事の勘ってやつか?」
「昭和の刑事も真っ青なまさかの勘。今の子じゃ珍しいでしょ? 直感を大切するなんて」
「私の中のなにかがそう言ってるんです。あ、私の声が入っちゃったじゃないですか」
検美石はボイスコーダーの一時停止ボタンを押し損ねてボイスレコーダーををマラカスのように振った。
「頼もしいね」
「与捨さん。これで写真の確認は終わりです。ご協力感謝いたします。といってもこちらも今日こんなことになるとは思っていませんでしたが」
「いや、逆にこっちも救われたと思ってる。この黒杉関係の写真はいつも持ち歩いてるのか?」
「はい。今回のように突然事件が動きだすことがあるためこの写真や資料は常に携帯しています」
「そっか」
与捨は反省の色をみせ人差し指で頭を搔いていた。
「俺はこれから銀行に謝りに行ってくるよ」
「はい、ぜひそうしてください」
六波羅も与捨の心変わりに破顔する、このときだけは六波羅からも一瞬険しさが消えた。
「ああ、そうだ。もうひとつだけいいですか?」
「なんだ?」
「与捨さんのところに面接にきた人ってどうなったんですか?」
「ああ、その人なら家を引払って実家に帰るって言ってたな」
「実家ですか? 実家がどこにあるかわかりますか?」
「たしか北海道って言ってたな」
「北海道ですか」
「そう。北海道」
「わかりました。ご協力ありがとうございました」
「いや、こちらこそ面倒おかけいたしました」
検美石はボイスコーダーの赤丸のボタンを押す。
覆面パトカーの後部のドアが開くと与捨は体を左四十五度傾け地に足をつけた。
六波羅と検美石はルームミラーから歩道を歩きはじめた与捨を見守っている。
現在のふたりの死角である覆面パトカーの前方から人が近づいてきていることに気づかない。
車窓を曇らせる人影に最初に気づいたのは六波羅だった。
「おい」
検美石に呼びかける。
「え、なんですか? あ」
返答と同時に人の気配に気づく。
「戸村刑事」
「令ちゃん。ちょっといいかしら?」
「はい。どうぞ」
検美石が戸村伊万里を車内に呼び入れ、戸村伊万里がちょうどドアに手をかけたときだった――あの。と与捨の声が戸村伊万里の後方から聞こえた。
「申し訳ないんだが。誰か銀行までついてきてくれないか? 俺が独りで戻るとまた揉めごとを起こしきたと思われそうで……。だから警察の人が一緒だと話が早いかと。お願いします」
多少言葉は乱暴でも丁寧に頭を下げた。
「ああ、じゃあ私が一緒にいきます」
まだ覆面パトカーに乗っていない戸村伊万里が率先して声をあげた。
「でも」
検美石は申し訳なさそうにしている。
「令ちゃん。いいのよ。じゃあまず先にこれを渡しておくわ」
戸村伊万里がビニールに包まれた証拠品を車内に差し出した。
「なんですかこの紙コップ?」
「詳細は後で話します。署長からのお土産よ」
戸村伊万里は六波羅と検美石に話を振り分けた。
「署長は?」
六波羅は与捨に視線を向けながら戸村伊万里に訊いた。
「奥様が車で迎えにこられてそのまま帰られました」
「どういうことだ?」
「それについてもあとで話します」
「ああ、わかった。じゃあ、与捨さんのこと頼んだ」
「はい」
与捨はまずは六波羅と検美石に深く頭を下げたあとに戸村伊万里にも一礼した。
そのまま銀行の方へと体を翻し歩きはじめた。
与捨は多くの人とすれ違い、いまだに混雑している街の活気に触れた。
戸村伊万里は肩で風を切って歩く与捨の数歩うしろを進む。
――――――――――――
――――――
―――
俺と校長が証券会社戻ると校長はいったん別の部屋に向かった。
なんでも重役の人たちと銀行での出来事を共有するらしい。
俺はひとりで休憩室代わりの来賓室に戻る。
部屋の一角で山田とエネミーと寄白さんが数秒の時差で時計回りにグルグルと回っていた。
これってダンスでよく見かけるやつだ。
先頭の山田はぎこちない。
二列目のエネミーはカクカク回っている。
最後尾の寄白さんの動作ひとつひとつがお大袈裟だ。
なんだこれ? 俺と校長がいないあいだになにしてんだよ?
あっ!? 机の上にテイクアウトのピザの箱と飲み物がある。
俺と校長がいないのにちょっと遅めの昼食か? 自由すぎるってこの三人は銀行でなにがあったのか知らないんだった。
あの~俺と校長、銀行のほうでけっこうな修羅場に立ち会ってきたんですけど?
あろうことか寄白さんとエネミーと山田の三人は勝手に宴を開いていた。
「山田コレクションin六角市、六角駅前」の主催者の俺をさしおいて打ち上げをしてやがる。
俺のピザは? いやこれはもうすでにピザを食べ終わってレクリエーションに移行しているとみたほうがいい。
山田のスマホが置かれたテーブルの上にはマッシュルームとシイタケなんかのキノコ類が並んでいた。
キノコ列伝ふたたび。
しかもエリンギ、しめじにいたってはエリンギ三本としめじ二本のフルハウスだ。
山田は完全にファミレスのときの俺と同じ立場でエネミー、いや、この量からすると寄白さんの分もあるだろうくらいのキノコお歳暮をもらっていた。
でも、なかなかの手札だ。
山田、これは結構良い手だぞ。
にしても山田はキノコを食べてない。
山田もキノコ嫌いなのか? なら、なぜ誰も食べないキノコ入りのピザを頼んだ? 注文前に気づけよ。
あっ!?
あ、あそこに御座すお方ってまさか。
あ、あの黒いうえに薄くスライスされた物体。
あ、あれはもしやト、トリュフというやつか。
あんな高級な物が乗ったピザを頼んだのか。
あ~見落としだ。
これは完全に俺のミスだ。
トリュフを起点としたマッシュルーム、エリンギ、しめじ、シイタケのロイヤルストレートキノコが完成している。
このメンバーのなかに絶対キノコ好きがいる。
少し体を動かしたレクリエーションのあとに食べる気だな。
エネミーはキノコ嫌い確定だ。
寄白さんは意外とエネミーと真反対でキノコ好きかもしれない。
だとするとこの運動後のお楽しみキノコは寄白さんか山田のどっちかということになる。
山田の食べ物の嗜好は寄白さんよりも謎に包まれている。
そう俺は山田のことをあんまり知らない。
俺はいまここで山田のことをひとつ知ろうと思う。
これは俺自身のためでもある。
さっき直に山田に訊いてたしかめたいと思ったことだからだ。
俺は先頭の山田の真正面に立ち同期して一緒に回ってみた。
「なあ、山田?」
「なんでしゅか?」
いや、止まんねーのな?
「あのさ」
ここで俺はフェイントを入れて反時計回りに回ってみる。
山田がビクっとなった。
釣られてエネミーと寄白さんもバランスを崩しかける。
寄白さんの六つの十字架イヤリングもバインってなったな。
「でしゅ?」
えっ、これでも止まんねーの? ぜんぜん止まる気配がない。
どころかこの三人は態勢を立て直し回転速度に勢いが増した。
しょうがねーな。
「山田の家ってさ。株持ってる?」
「山田家はそんなの持ってないでしゅね。きっと」
よし!!
強めにハグしてやる。
それでいて俺がこの回転を止めてやる。
「だよな!!」
おまえの家も俺と同じふつうの家庭だ。
一般家庭がそんなそんな大量の株を持ってるわけないよな。
寄白さんや九久津、社さん、エネミーのような富豪じゃない。
俺とおまえだけ一般家庭だ。
そう、ザ・ふつう。
「沙田殿。でしゅる。でしゅ。でしゅ」
「山田。なに言ってんだかわかんねーよ?」
「でしゅ」
俺がこの回転を力づくで堰き止めていると高層階の窓から地上の景色が目に映った。
なんとあの薄い青色のツナギの男と戸村さんのふたりが銀行に向かっていくのが見えた。
さすがに警察が仲裁に入るとすごいな。
あれだけ荒ぶっていたあの薄い青色のツナギの男が大人しくなっている。
なんだかんだで銀行での揉めごとは解決したみたいだ。
さらにここで驚きの事実が判明した。
……ん、あれ、そこのキノコってトリュフじゃなくてサラミだ。
サラミってピザの必須トッピングじゃん。
なんだよ、結局マッシュルーム、エリンギ、しめじ、シイタケの四種類か。
「山田。ごめん。謝るわ。ロイヤルストレートじゃなくてフォーカードだった」
「沙田殿。なにがでしゅか。さっきから意味がわからないでしゅ?」
俺のほうがヤベー奴になってる?
――――――――――――
――――――
―――