林の中を駆けてきた繰と九久津毬緒の兄|九久津堂流《くぐつどーる》。
九久津堂流もまた九久津に似た美男子だった。
現在の九久津毬緒よりも三、四センチほど背が高くて百八十センチくらい。
髪も九久津よりやや長く、儚げな瞳が理知的にみえる。
ただひとついえることは兄弟揃って美男子ということだ。
「堂流。あ、あれって、ぬ、|鵺《ぬえ》じゃない?」
繰はただならぬ気配に立ち止った。
急に止まったために草叢には靴の足跡がくっきりとついている。
「なんで上級アヤカシが?」
つき従う九久津堂流も繰の一歩うしろで止まる、そこで左右の景色をゆっくりとたしかめてから自分たちのすこしさきにある小さな人影に気づいた。
「繰さん近くに子どもがいます」
「えっ!?」
驚く繰をよそに沙田は両手で握り拳を作ってはしゃいでいた。
「スゲー!! きょ、恐竜だ~!!」
鵺はサルの顔にタヌキの胴体、そして手足はトラで尾はヘビのアヤカシだ。
沙田は子どもながらにとてつもない経験をしている自覚があった、そしてその興奮もついにピークに達した。
「おお!!」
「鵺を恐竜と勘違いしていますね……?」
「子どもは無邪気でいいわね。ふぅ~」
繰は溜息をつきあきれ果てて肩を落とした。
裸足で地雷原を歩くほどの危険な上級アヤカシに遭遇した子どもがヒーローアトラクションのごとくはしゃいでいたからだ。
繰はいまだかつてこんな光景に遭遇したことはなかった。
どんな現場に訪れてもそこには|金切声《かなきりごえ》を上げて恐れ|慄《おのの》く人たちか、あまりの恐怖でまるで夢や幻のようにキョトンとしている人のどちらかだからだ。
「美子ちゃんと同い歳くらいでしょうか?」
「それなら毬緒くんとだって|同じ歳《・・・》でしょ? ってそんなこといってる場合じゃないわ。相手は鵺よ?」
「どうします?」
「アヤカシに襲われそうな子どもを放ってはおけないでしょ? でも鵺が出現するなんて予測情報はどこにも……」
「じゃあ、俺が……。事後報告ってことでいいですよね? あっ、待ってください。なにか気配がします……」
九久津堂流は|肢体《したい》を動かさず視線だけを流しピンポイントである場所に狙いを定めて振り向いた。
「繰さん。あれ」
繰は九久津堂流の目線が示している方向を見た。
「えっ!! なに、どういうこと? あ、あの少年と同じ顔」
雑木林の中にいる沙田に似た少年は鵺に向かっておもむろに手をかざした、その延長線上に鵺がいる。
瞬間空気が歪むとソニックブームのような衝撃波が辺りの木々を巻き込み一帯を割いていった。
轟音とともに鵺の腹部にその衝撃波が命中すると、鵺はそのまま――ジャバンと落水した。
鵺はなにが起こったのか理解できぬまま痛みに身をよじらせてバシャバシャと水飛沫を上げてもがいている。
「うわ~この恐竜は空も飛べる水棲恐竜か。図鑑で見たことあるぞ!! プレシオサウルスの仲間かな~。なんか苦しんでる!? あっ、淡水だから? じゃあ、この恐竜は海水でも生きれるんだ~!?」
この当時の沙田は恐竜図鑑にはまっていて恐竜の生態系に詳しかった。
危険なアヤカシだと知らないがゆえに怖れることもなく、子どもながらの無謀さで水際まで近づいていった。
――グァァァ!!
鵺は唸り声をあげ、いまだに噴水のように|血飛沫《ちしぶき》を飛び散らせている。
口から流れでた鵺の血は液体に垂らした絵の具のように池を徐々に染めていく。
鵺の|体躯《からだ》は自身が吐き出した赤い水の中にどっぷりと浸ていった。
「あれは|Ⅱ《ツヴァイ》?」
繰は疑問符を宙へ投げかける。
「おそらく」
「あの少年が発現させたの……?」
繰の言葉が音として成立するより早く林の中からもう一発鵺に向かって黒い衝撃が放たれた。
二発目の音速の衝撃波は、いまだに池を転げまわっている鵺の|体の中心《タヌキ》を的確に射抜いた。
――ジュワッ。
鵺は|木炭《すみ》に水をかけたような音とともに蒸発するように消えた。
「……なんて強大な力なの? あの子が高校生くらいまでに成長したら……」
繰は草叢の中に投げ捨てられたように転がっていた虫カゴに目をやった。
おそらく母親の手で書かれたであろう黒いマジックの「沙田雅」という漢字とふりがなの「さだただし」という名前があった。
(沙田雅……さだただし……サダタダシ……あれは|御名隠《みなかく》しかも……)
「繰さん鵺は消滅しました。いきましょうか?」
「ええ。ところで通報ってなんだったの? 正確に教えて?」
「はい。網タイツを被った六体の人体模型が上半身スエットで下半身は丸出しで走っているそうです」
「へ、変態ね!?」
「ええ、通報時も|変態《・・》が|メタモルフォーゼ《変態》し|編隊《・・》を組んでいるといってました」
「なんなのその通報は……」
「ギャグですかね……?」
「ま、ま、まあ、堂流、急ごうか?」
「はい」
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