第2話 早朝


空、同じ町なのに違う空。

 ここが青ならきっと町中青空だな。

 首を左右に限界まで振ってみても雲ひとつない。

 こんな日に当たるなんてめったにないな。

 新生活のはじまりにはちょうどいい。

 あっ、南町のほうは雨か……晴れと雨の境界線なんて初めて見た。

 まだ早朝あさ特有の匂いと夜気よる残り香においが混ざってる。

 ああ、眠てー。

 俺は視線を落として制服の内ポケットから生徒手帳を出した。

 二年B組沙田雅さだただしという俺の名前と【六角第一高校】という学校名がある。

 紺色のブレザー、小さな緑と黒の格子模様こうしもようのチェックズボン、それに校章の入ったYシャツにグリーンのネクタイ。

 これが今日から俺の通う学校の制服だ……だけど転校前とほぼ変わらない。

 制服を新調せずにエンブレムの中の刺繍を「三」から「一」変えただけで済んだから親も喜んでたし。

 ただスクールバッグはおもいっきり「六角第三高校」のだ。

 まあ、そんな小さなことは気にしない。

 俺は身長百七十ちょっとで勉強は中の上、際立って目立つ顔立ちでもないふつうの男。

 そんな俺が転校したところで全校集会で埋もれるのがオチだ。

 「えっと、どれだっけ」

 俺は生徒手帳に挟んでおいた紙で通学ルートをたしかめ、スマホで今の時間を確認した。

 液晶が示してる時間は六時三十分。

 つぎはバス停にある「六角第四高校前のりば六角第一高校行き」と書かれた赤白青のトリコロールカラーのプラスチック板を指でなぞった。

 あと五分か……。

 こんな朝からバスを待つことになるなんてツイてない。

 まさに運命の悪戯いたずら

 引っ越し先から徒歩で約五百メートルのところに通学校があると喜んでたのにまさかの解体工事中。

 改築や改装ではなくカ・イ・タ・イ、ぶっ壊すのかよ!?

 人口減少、過疎化、時代の波か。

 車道を挟んで俺の斜め向かいにある十分の一ほど取り壊された「六角第四高校」がその建物だ。

 怨みの視線を送ってみたところでなんの応答もない、まあ当然だけど。

 い、いや、なんか一瞬視線を返されたような気も……勘違いか?

 「六角第四高校よんこう」に転校していれば、朝はもっと遅くまで寝ていられたし夜更かしのオプションもついてくるはずだった。

 俺ら高校生にはゲーム、ネットをする、漫画を読むアニメを観るという深夜にしかできない仕事(?)があるんだ。

 あ~誰か朝の眠たさと夜の眠れなさを交換する道具を発明してくれねーかな~?

 

 そんな空想をしているとふたたび工事現場が目について現実に引き戻された。

 まるでうしろから襟足をグイっと引っ張られたようだ。

 閑散とした敷地内には年季の入ったショベルカーとブルドーザーが停まっている。

 脇にも瓦礫が山積みになっていて校舎だったころの原型はあんまりない。

 緑色のメッシュがときおり風になびく。

 校舎の中心地から二、三メートルほどの距離で黄色と黒のフェンスが隙間なく建物を囲んでいた。

 それに工事中だから迂回路になっている場所がいくつもある。

 俺から見て工事現場の左端にはプレハブ小屋と簡易トイレ、きっと解体作業する人たちの休憩場だろう。

 工事現場の入口にはここの指揮官だとでもいうように鉄製の看板があった。

 足元は気持ちていどの砂利で固定されている。

 あれで大丈夫なのか? すぐに倒れそうだけど? 強い風吹いたら一発じゃん。

 ……砂利の中に白い物体が……なんだあれ? も、もしや

 ――棟梁とうりょう、砂利が足りません。

 ――なんだと、じゃあ、塩こしょうでも盛っとけ。プレハブの中にあんだろ? 電子レンジの横の棚だ。

 ――はい。わかりました、棟梁。

 ってなふうに塩こしょうでかさ増ししてるとかじゃ? こんなことを考えてても一生謎は解けないけど。

 俺が見た看板には素人が見てもよくわからないなにかの専門用語が書いてあった。

 【株式会社 ヨリシロ】って会社が工事をしてるみたいだ。

 あとは工事の責任者たちの名前、それになにかの記号と数字の羅列、さらに日付けもある。

 社長の名前は【寄白よりしろ】って人みたいだからその【株式会社 ヨシリロ】って会社の社長に間違いないだろう。

 下の名前は【繰】という漢字だ、「そう」って読むのか? 「よりしろそう」?

 

 工事現場は静寂しずかだ、でもプレハブの窓に時々、ササっササっとなにかが通り過ぎていく影を感じる。

 中で寝泊まりしてる人の気配か?

 ただ俺がなんとなく感じたことだけど活気がない気がする。

 崩れかけの校舎はどこか仄暗ほのぐらい。

 そんな雰囲気だから感じただけのことかもしれない。

 おっ、早朝から犬の散歩か? 上下白のウィンドブレーカーを着た老夫婦がやってきた。

 歩くたびにナイロンの生地がカサカサと擦れる音が聞えてくる。

 この時間はそれくらい静かだった。

 老夫婦ふたりはぴったりと寄り添いミニチュアダックスフンドのうしろをついていっている。

 えっ!? 突然、犬が狂ったように吠えはじめた。

 ――グルゥゥゥ!! グワッ……グルゥゥゥ!! ガウッ!! ガウッ!!

 リードを持ったおじいちゃんの体が大きく揺らいでそのまま態勢を崩した。

 おお、危ねー。

 ミニチュアダックスフンドはリードが一直線に伸びきったところでふたたび吠えはじめた。

 ――ガウッ!! ガウッ!!

 濁音が強調されていて犬本来の鳴き声とは違うみたいだ。

 犬があんな声で鳴くのかって感じで逆にこっちが心配になるわ。

 やがて遠吠えとノイズ混じりの鳴き声とを交互にはじめた。

 老夫婦が力ずくでチェーンを引くと犬の頭部がうしろに激しくたわんだ。

 犬の機嫌でも悪いのか? ふたりはなにかヒソヒソと話しながら足早に引き返していった。

 ミニチュアダックスフンドはご機嫌斜めのようだ。

 つづいて早朝ランニングをしていた若い女の人も、まるでそこに一時停止の標識があるように鉄製の工事看板の辺りでぴたりと足を止めた。

 フェンス際の野花はなを見てから眉をひそめると、そのまま誰も居ない壁に向かってなにかをつぶやいた。

 俺にはなにをいったのかわからなかった。

 当然だ、この距離からじゃなんとなく口が動いたな~くらいしか見えないから。

 女の人はそのままくるっと体の向きを変えると緩急をつけて迂回していった。

 俺はこのあともこの工事現場に振り回されている市民を数人見かけた。

 まあ、そうだろうな、いくら工事中とはいえいくつも迂回路があったら不便だろう。

 さっきよりも工事現場全体、いや、プレハブの中?の人影が増えた気がする。

 徐々に作業員も出勤してきて朝九時も過ぎれば工事がはじまるだろう。

 この少子化時代に生徒の減少で校舎が取り壊しになるなんてなんという皮肉。

 本当のところ、なぜ校舎が解体されているのかは不明だけど。

 

 ……ということで、俺は「六角第三高校」から「六角第四高校」に転校したはいいけど、この解体工事で通学不可能になったため「六角第一高校」までバス通学することになったというわけだ。

 俺の住むここ六角市は切り立った山々に囲まれている。

 鋭い尾根が柵のようになっていて外敵から守っているように見えることから、その山たちは守護山しゅござんと呼ばれていた。

 守護山に見守られて町は繁栄してきたらしい……これは市民なら小学生のときに課外授業で習うから誰でも知っている。

 守護山のふもとには地形の影響でフェーン現象が起こり気体や熱の溜まる場所があった。

 その吹き溜まりの中には「不可侵領域」と呼ばれる誰も近づかない、いや近づいてはいけない場所も存在している。

 六角市は人口三十万人ほどの中核都市で碁盤の目状に北町・南町・西町・東町・中町と区分けされ分かりやすく整地されていた。

 まあ、わりとふつうの町だけど六角市にはひとつの特性がある。

 それはこの街の不文律ふぶんりつだ。

 高校一年生から三年生まで、つまり十五歳から十八歳までの中にたったひとり「シシャ」と呼ばれるモノが入り込むとされている。

 これは例の不可侵領域が原因だという言い伝えだ。

 「シシャ」の存在は天使だとか魔物だとか、はたまた妖精、妖怪などといわれている。

 本当の正体は謎だけど、ただひとつたしかなのは人間ではないということ。

 六角市民はその風習を受け入れてふつうに生活することを義務づけられていた。

 と、いっても多くの市民にその義務感はすくなくてあまり気にせずに生活しているけど。

 お盆にご先祖様が帰ってくるとか、正月には六角神社に初詣はつもうでにいくとかのレベルの風習だ。

 ただ学生たちにとっては違う。

 とくに新入生や転校生は「シシャ」候補になりやすく怪しげな目で見られることが多い。