第31話 ブラックアウト


寄白さんはモナリザの手前でのけ反ると瞬時にきびすを返した。

 モナリザの体からは砂鉄みたいに黒くて細かいなにかの気体が漂っている。

 あれはなんなんだ? でも、危険だってのがすぐにわかった。

 「ここ最近のアヤカシはやっぱり情緒不安定だな。ふつうこのていどじゃブラックアウトしないはずなのに」

 俺は本能で感じた……逃げなきゃ……、死……ぬ……かも……しれない。

 モナリザの口が物理的にはありえないくらいに開かれた。

 それはカバがいちばん大きく口を開いた以上だった。

 口が裂けるなんてのを通り越してる、むしろ反り返ってる。

 ボールの真横に切り目を入れて、それを内側から裏返したような状態だ。

 モナリザの歯は鋭くギザギザの牙に変化していった。

 白かった歯の表面もボロボロに崩れて鈍色はいいろに変色している。

 もはや鋭い刃物のようで、歯、いや、もう歯とは呼べないな。

 その先端からは粘ついた唾液が滴っていてどことなく動物的だった。

 俺は人体模型とヴェートーベンですこし見くびってたけどアヤカシって本来こういうことなんだよな……。

 モナリザが本気のバケモノに変身した、果物の皮をひっくり返してそこにたくさんの棘がついてるみたいな顔だ。

 かつて顔だった部分は粘液でテカっていて、それが小刻みに揺れなにか標的を探してるようだった。

 「……あの、ブラックアウトとは?」

 こんな状況だけど俺はおそるおそる寄白さんに訊いた。

 ホワイトアップのときはなにも訊けずに勝手に物事が進行していったから、今度は置き去りにされないようにしないと。

 「ホワイトアップの反対で暴走状態。闇落ちよ!!」

 「自暴自棄になって凶悪化する状態」

 九久津がつけ足した。

 「ヤ、ヤバいじゃん!?」

 俺の勘が当たった。

 「ホワイトアップなら陽気なんだけどブラックアウトだとときにアヤカシ同士でも辺り構わず危害を加えるから」

 

 九久津が突然走り出した。

 モナリザも最初に動くモノを追う動物みたいに九久津を猛スピードで追っていく、塩を撒かれた怨みなのか執拗に九久津につきまとっていた。

 やるなあいつ。

 モナリザは九久津の緩急つけた動きにも遅れをとらないでいる。

 ブラックアウトしたモナリザはブラックアウトする前よりもすべての動きが俊敏になっていた。

 「九久津。風だ!!」

 寄白さんがまた九久津に指示を送った。

 俺はハッとして息を飲んだ。

 呼吸するのを忘れてた。

 風? 風ってなに? 外で吹く風のこと?

 「だよね」

 {{カマイタチ}}

 えっ!? 

 わずかだけど九久津の右手にフワっと気流ができた。

 それが徐々に手首から腕にかけて広がっていった。

 今、九久津の腕に小さな竜巻がある。

 あ、あれを九久津が出したのか? 九久津のブレザーの袖で旋風がグルグルと渦巻き留まっていた。

 空気を切り裂くシュルシュルという音が聞こえる。

 九久津が風を制御してる、ってことは九久津が風を操ってる、の、か?

 「キャパレベルは?」 

 「カマイタチだと十五くらい」

 あれっ!?

 転校初日の日、九久津が胸チラしたときの夢魔ってのは怪異レベル三十っていってたよな。

 あの日はそんなスゲーのに憑りつかれてたのか……ん……単位が違うか? 「キャパレベル」と「怪異レベル」? 

 というか九久津は自分でアヤカシを呼べるんだ。

 なら憑りつかれてるんじゃなくて自分の意思で体を貸してるってことか?

 「まだまだ余裕だな。九久津左周りの気流を作れ!!」

 

 寄白さんはどこか余裕ある素振りで左耳中央の十字架のイヤリングを外した。

 モナリザは九久津が突然出現させた風を前にして警戒したのか立ち止まっている。

 それでもふたたび九久津との距離をつめはじめた。

 モナリザの顔の針からポタポタと唾液よだれかなにかの粘液が垂れている。

 

 「今だ!!」

 九久津は風がまとわりついてる拳をアッパーカットした、するとモナリザはそれに巻き込まれて天井まで舞い上がっていった。

 モナリザだってそれなりに体重はあるだろう、でも、それが強風の中を飛んでいくビニール袋みたいにやすやすと持ち上がるなんて。

 

 {{シルフ}}

 

 九久津は瞬間的にもうひとつ風を出していた。

 俺が見てもわかる気流の集合体だ。

 こんどは高速の風が天井に沿って駆け抜けていく。

 サーキューレーターがスクリューのように高速回転をはじめた。

 カマイタチの上昇気流とサーキュレーターの合流地点にモナリザが固定されている。

 ふたつの気流が合わさった場所でモナリザの体がすこしずつ確実に削られていく。

 寄白さんも廊下を走ってモナリザに向けてイヤリングを掲げた。

 

 {{ルミナス}}

 イヤリングから眩い光が放たれる。

 一瞬だけど四階の闇がぜんぶ青空になったみたいだった。

 この空間に輝く光の箱? いや、光の直方体があった。

 寄白さんはそれを操縦するように手のひらを天にかざした、輝く直方体は――ドン。と天井にいるモナリザの腹の真ん中に突っ込んでいった。

 モナリザの体が「へ」の字にたわんだあと、まるではりつけにされた昆虫のように身動きがとれなくなっている。

 モナリザは九久津の風に巻き込まれてるうえに、寄白さんのだした光の直方体を腹に受けたんだ、あれはけっこうなダメージだろう。

 モナリザはそこから脱出しようとして身をよじらせればよじらせるほど、逆に身動きがとれなくなった。

 サーキュレーターはさらにカンナのようモナリザの体を削っていく。

 あんな頭部だからまったく表情はわからないけど、このとき初めてブラックアウトしたモナリザが恐怖したように思えた。

 寄白さんが、今度はそこで手のひらを下に向けると光の直方体がストンと下がり

 モナリザとともにドスンと廊下に落ちてきた。

 {{カマイタチ}} {{シフル}}

 九久津が二種類の風を同時に出した。

 ふたつの風が合わさりきれいな螺旋状の風になった。

 モナリザは床での滞在時間わずか数秒でまた体をあらゆる方向に回転させられながら天井に巻い上がっていった。

 螺旋状の風は自分のなかにモナリザを抱えたままサーキュレータが回転する位置まで自立移動していった。

 九久津が自分の右手と左手を交差させた。

 薄く細かかった風の厚みが増しカマイタチとシルフの風の量が増えていった。

 九久津が風の量を調節してるのか? それが合図とでもいうようにモナリザはサーキューレーターとカマイタチ、それにシルフの多重方向の刃に切り刻まれていった。

 

 ――ウギャァァ!! 

 モナリザは地獄の底からの雄叫びを残し風とともに散っていった。

 寄白さんと九久津はわりと簡単にモナリザを退治したように見えるけど、じっさいはそんな単純じゃないだろう。

 モナリザはなんの反撃もできないよう、あのふたりに先を読まれてただけだ。

 俺ひとりだったなら絶対にられてる。

 

 「サーキューレーターじゃなく扇風機なら助かったかもな!?」

 俺は寄白さんのその言葉に俺はふたたびハッとさせられた。

 あっ!? 

 ああ、あの左回りの扇風機って……あれも……か。

 「いやいや、美子ちゃん。俺は臨機応変に風を操作するからモナリザは扇風機だったとしても助かってないよ?」

 寄白さんは九久津の言葉に頬を赤らめた。

 すこしだけ恥ずかしそうにして九久津から目をそらした。

 「うるさい!!」

 ……ポ、ポニテールの寄白さんが乙女っぽく照れた。

 やはり天然要素もある。

 照れてツンツンの寄白さんも悪くない。

 俺もいろいろと巻き込まれたけど、そのかわいさに免じて許してやろう……。

 あっ!?

 ――もうすぐ幕の内弁当の幕が切って落とされます。って、あれはもしかして俺が巻き込まれる合図? なにげに俺の戦闘開始の予告はされてたってことか? ということならもうすでに幕は落ちてるよな……?