第39話 美子の嫌いな「白いリボン」


俺と校長が四階に着くともうすでに戦闘たたかいは始まっていた。

 当然だ、寄白さんと九久津はこの異変に誰より早く気づいて誰よりも早く四階ここにきたんだから。

 あのときふたりが慌てて教室を出ていったのはやっぱりこのためだったんだ。

 

 「美子!?」

 校長は息もたえだえになりながら姉妹の危機的状況に叫んだ。

 

 「寄白さん!? 九久津!?」

 

 俺の息急き切った声もきっと届いてはいないだろう。

 ふたりは傷だらけで死者と対峙していた。

 寄白さんのイヤリングは左耳の中央のひとつだけになっていて夏の終わりの風鈴のように揺れていた。

 残りのイヤリングはぜんぶ使いきったのか? 九久津はなぜだか金属で覆われたようにツルツルしている。

 カマイタチとシルフで風を召喚したときは風の力を使ってたから、あれもなにかの召喚術だろう。

 

 「お姉。死者の下剋上げこくじょうらしいよ?」

 ――ぺっ!!

 

 寄白さんは血の混ざった唾を吐き捨て切れた唇の横を拭った。

 手の甲に薄っすらと血がついている。

 「お姉、さだわらし。巻き添え食うからあんまりこっちに近づくなよ」

 寄白さんにそういわれて俺と校長はそれ以上近づくことができなくなった。

 こんな状況で俺みたいな一般人になにができる? 俺の力ってなんなんだ? アヤカシと戦える力ってなんだ? 

 俺の目の前にいるかつて真野さんだった死者・・は手のひらを頭上にかざしてエアカーテンのような物体まくで四階を包んでいった。

 体がビリビリと痺れるような瘴気が立ち込めている。

 あるいは俺の朝からの体調不良によるビリビリかもしれない。

 でもじっさいどっちがどっちなのか俺自身でも区別はつけられなかった。

 あたりには不気味なひだがゆらゆらと揺れていて真っ黒なオーロラが浮遊している。

 さっきまで白かった廊下という空間が漆黒に覆われていた。

 俺らがいる四階はもうこの世界じゃないみたいだ。

 

 「異次元空間……」

 九久津は周囲を見渡してそういった。

 「別世界ってことか? 亜空間じゃないのか?」

 

 寄白さんがポニーテールをなびかせてチラっと左右を確認した。

 「四階だけ死者の結界に閉じ込められたような……けど、種類でいうなら亜空間の一種、か、な?」

 

 「守護山と同じ仕組み。まんま六角市か……」

 

 「……美子ちゃん。どうする?」

 

 「それでもやるしかないだろ!?」

 寄白さんはついに最後のイヤリングを左耳から外した。

 死者がふわっと揺れると体を護衛するように小さな透明の球体が現れた。 

 それが無数に分裂して小刻みに蠕動ふるえている。

 

 「美子ちゃん。あれは気体を高圧縮させたものだ」

 瞬間寄白さんの制服の数ヶ所が破れた。

 いくら寄白さんが人間離れした身体能力でも、あ、あんなスピードに対応できるわけがない。

 一瞬なにが起こったのかわからなかったけど、よく見ると小さな球体が飛翔体となって寄白さんに襲いかかっていた。

 死者はまたつづけざまに寄白さんと九久津に向かって透明な球体を撃っていた。

  

 「痛ッ」

 なぜか九久津の――痛ッ!!って声も一緒に聞こえてきた。

 寄白さんの最後のイヤリングが粉々に砕かれてる。

 ――ガシャン。黒い欠片が廊下に散らばっていった。

 もう十字架の原型は留めていない。

 そういうことか、九久津は身をていして寄白さんをかばってたんだ。

 なんかよくわからいけど九久津は体を硬化させてるからそれほどのダメージは受けてないみたいだ。

 それでも痛みがあるってことはよっぽどだ。 

 九久津がなんとなくのっそり動いていたのは寄白さんのサポート回ってたからなのかもしれない。

 それが功を奏して寄白さんを紙一重で守ったってことだ。

 九久津の重くて硬そうな制服の欠片かけらが辺り一面に散らばっていた。

 寄白さんが九久津の胸の中で手元を見ると、そこでイヤリングがないことを認識したのかすぐに腕がだらりと下がった。

 

 あっ……。

 それは寄白さんがなにかを諦めたようにも思えた。

 九久津の頬に一枚の布切れがピタリと張りついていた。

 あれは寄白さんがいつも髪を結んでいた白いリボンの切れ端か? 死者の放った攻撃が寄白さんのリボンをかすめていたみたいだ。

 俺はその攻撃を目視できていなかった。

 今この瞬間もスローモーションのようにハラハラとリボン切れ端が宙を舞っている。

 繊維を引きちぎったように荒い断面には墨で書いたような謎の文字があった。

 

 「なんだ!? あのお経のような文字は……」

 俺は風圧によってここまで流されてきたリボンの切れ端を手にとった。

 「それは梵字ぼんじ。つまり呪符じゅふのリボンなの」

 青褪めたままの校長がいった。

 いや、それは俺の疑問への反射的な答えだったのかもしれない。

 校長の表情が青を越えて蒼白しろへと変わっていた顔面蒼白ってやつだ。

 「……ぼ、梵字?」

 

 「そう美子はアヤカシをイヤリングに封印することも多い。でもその瘴気は糸を伝うようにすこしずつ髪の毛に流れてしまう、だから梵字のリボンで二重封印してるの」

 イヤリングにアヤカシを封印?ってことはヴェートーベンのパターンか。

 人体模型は帰っていったから何種類かの退治方法があるんだ。

 「リボンにもそんな秘密が……」

 寄白さんはリボンひとつ好きな物を選べないのか? 今ならネットでもたくさんの種類があるのに。

 でも機能を重視すれば”かわいい”は二の次にしなきゃいけない。

 あの十字架のイヤリングだって好きで選んだものじゃないんだろうな……? 死者だって寄白さんと同じように我慢を強いらた生活をしてきたんだろう。

 って俺が敵に肩入れしてどうする……。

 

 校長が六角形の点を崩した理由もわかる気がする。

 寄白さんや九久津だけがアヤカシと戦う運命の犠牲になることを変えたかったんだ。

 九久津の兄貴だって一般人が知らないところで命を落としてるんだ。

 わかってる、なのに……なのに……どうして俺は憧れしまうのか? 戦いに身を投じるみんなに。

 「頻繁に髪型を変えるのも一方向に留まる瘴気をアースのようにして毛先から浄化させるため。イヤリングだって瘴気が溜まる度に黒が深まっていく」

 「そ、そんな……」

 「ただ、うちの家系でもアクセサリーにアヤカシを封印できるのはあのだけなんだけど」

 校長は下唇を噛んでうつむいた。

 これ以上傷ついた寄白さんと九久津を見ていられないんだろう。

 絹糸のような髪が校長の顔を覆った。

 すぐに手で払ったけど数本の髪は涙の影響で頬にひっついている。

 寄白さんはそんなにいろんなことを背負ってたのか。

 どうして寄白さんだけそんな荷物を……。

 膝をつき崩れ落ちた寄白さんを九久津が両腕で支えている。

 「美子ちゃん?」

 

 寄白さんの瞼は引力に引っぱられるように半分くらい落ちた。