「ということは六角市に蛇が侵入ったのかもしれません。リンゴを食べさせた蛇が」
繰にどれだけの根拠があったのかはわからないが、そんなふうに外的要因を創り出すことで精神を安定させようとした。
「旧約聖書ですか。寄白校長良い例えですね?」
「はい。真野絵音未を唆して知恵の実を食べさせたんです。だから真野絵音未はあんなふうに暴走を」
「まずは本当に蛇がいるのか? いなのか?を調べましょう。解析部の検証でなにかしらの痕跡が発見されるかもしれません。ただし蛇がいると仮定してシシャを唆すほどの者がそうやすやすと尻尾を出すとも思えませんが……。近いうちに六高校の校長で六校会議を開きましょう。升教育委員長よろしいでしょうか?」
「株主総会のあとじゃいかんか?」
升の声は大らかさが乗り移ったようにゆったりとしていて、緊迫したふたりとは温度差のある口調だった。
「そうですね。では株式会社ヨリシロの株主総会のあとで六校会議開催ということで。寄白校長もよろしいですか?」
「は、はい。私に異論はありません」
立場的に若輩者の繰にはなんの決定権もなくただうなずくしかなかった。
升はそう一言を発したあとは寡黙に目を細め、ふたたび天窓から空をながめている。
流れる雲を目で追いながらはるか遠くに視線を移したとき、急に目尻を下げて顔をくしゃっとしかめた。
「ちなみに現在はこうなっています」
五味はお茶の横に置いてあった簡易製本の資料をおもむろに開いた。
繰もテーブルに両手をつき身の乗り出して、そのページをのぞきこんだ。
「これは対安定ですね?」
該当ページを指した。
いつもはオシャレに気合を入れる繰も、さすがに今日だけはネイルもマニュキュアもしていなかった。
「はい。これが六角市。六高校の現状です」
五味は開き返さないように資料を上から押さえて、さらにきつく折り目をつけた。
「口を挟んで申し訳ないのですが、私は対安定が陰陽道から派生した術式ていどの知識しかないのですが……」
(使者と死者も対安定をもとに発案されたってことは知ってるんだけど……)
「そうですか。対安定は陰陽師の“陰”と“陽”の理論に則り対局にあるモノでバランスをとる術式です。現在、<偶数高の校長は苗字に奇数を含む校長>が着任していて、反対に<奇数高の校長は偶数の苗字が入る校長>が着任しています」
「そんなことができるんですね?」
「ええ。そのことからもシシャの反乱は工事が直接的な原因ではない証明にもなります」
「えっ!? あっ、はい?」
(そっか。これで六つの高校と六芒星のバランスを保てるなら六角第四高校が解体されても星の均衡が崩れるわけがない。もっといえば六角第四高校の替わりが六角第一高校でも六角第二高校でも同じってことだ。どの点を崩しても対安定があれば六芒星の結界は維持できる)
「そうですね。私が六角第四高校の解体工事に着工する前から、教育委員会は適材適所な人事をしていたということになりますから……」
繰はそう答えながら情報を咀嚼し整理していた。
(これも間違いなくAランク情報……これからは知識のやりとりがはじまる。私は六角市の結界システムを根本から勘違いしていたのかもしれない。守護山の内側に瘴気を封印していることも)
繰の指先がさしている個所には、各校長の名前と現在の着任校が書かれていた。
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市ノ瀬校長【“いち”のせ】(一)=六角第四高校 1⇔4
仁科校長【“に”しな】(二)=六角第三高校 2⇔3
佐伯校長【“さ”えき】(三)=六角第六高校 3⇔6
寄白校長【“よ”りしろ】(四)=六角第一高校 4⇔1
五味校長【“ご”み】(五)=六角第二高校 5⇔2
武藤校長【“む”とう】(六)=六角第五高校 6⇔5
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(私が知らないうちに私も加わっている。これは教育委員会にいる誰かの能力? しかも名字に漢数字が入っているわけではなく、あくまで発音のみ。名字を触媒として漢字に思念を込めたのかもしれない。美子のリボンのように……そんな能力者なら御名隠しにさえ干渉できるんじゃ……)
「おっしゃるとおり。盤石な配置をしています」
五味が発する言葉はただただ力強く、その表情にも揺るぎない自信が溢れていた。
(校長の中にも能力者が混ざっているということね。能力者が蛇じゃなきゃいいけど……。単純に考えて真野絵音未の転入先だった六角第三高校の仁科校長は怪しいといえば怪しい。でも一般の教師なのよね。そっか、でも、私が知ってる校長の中で一般人って仁科校長だけだわ。あとは能力者なのか非能力者なのかはわからない)
「それと現在、市ノ瀬校長は入院中ですのでおそらく次回の六校会議は不参加になると思います」
五味はいいながらゆっくりとページを閉じた。
「入院していらっしゃるんですか?」
繰はあまりのタイミングのよさに猜疑心を抱く。
「ええ」
「ど、どのような理由で?」
(こんなときに入院……? それより学校を不在にしていても六芒星の安定を保てるなんて。ということは校内の私物や資料に書かれている【市ノ瀬】という文字ひとつひとつが対安定の欠片みたいなものなのかしら? これは人知を超えた能力だとしか思えない)
「たしか風邪をこじらせたとか」
(か、風邪……? まあ風邪で入院することもあるだろうけど……でも市ノ瀬校長は六角第四高校の校長。偶然なの?)
「そ、そうですか……」
(現在、六角第四高校は解体中で、もと六角第四高校の教師と生徒は株式会社ヨリシロが運営する学習センターを仮校舎としている)
五味は訝しむ繰の表情に気づいた。
「寄白校長。なにか疑問でも?」
「あっ、いえ、なんでも……お体には気をつけてもらいたいと思いまして……」
「……伝言は伝えておきます」
「あっ、――お、お大事にしてください。と、お伝えください」
「わかりました」
「蛇がくるのぉ」
升がとうとつに発した穏やかな口調は形を変えて、まるで暗闇を蠢く蛇のようにするすると繰と五味ふたりのあいだに割って入ってきた。
「えっ、升教育委員長は蛇が誰か知ってらしゃるんですか?」
五味は今日はじめて眉をひそめ升に問いかけた。
「その蛇ではないわい」
「では、どんな蛇でしょうか?」
「蛇の王じゃよ」
升はしわくちゃの顔を崩し、繰と五味のほうへと向き直した。
心理的な負担を抱えた人ようにさきほどからあご髭をさすり――う~ん。と唸っている。
「バ……シ……リ……ス……ク」
――がちゃん。繰が座っていたパイプ椅子が音を鳴らした。
繰は思わず立ち上がっていた。
(あ、あいつがまた……くる……)
繰は立ちくらみのように自分の血の気が引いていくのを感じた。
バシリスクという名前を聞くたびにトラウマが甦る。
自分のミスで【九久津堂流】を死に追いやった負い目は消えることはない。
今、繰の頭からは「シシャ」や六校会議のことはおろか、【バシリスク】以外のことは瞬時に消えていた。
「たしかバシリスクは二年前にフランスで……」
五味はスーツの内ポケットから牛革のシステム手帳をとってボタンを外してページをめくった。
目的の項目を探しあてて目を凝らした。
「ああ。とり逃がしたじゃろ?」
升はなおもあご髭をさすっている。
「ええ。オルレアンの彼女たちが仕留め損なうのもめずしいですね?」
五味の手帳には世界中のアヤカシと能力者の戦闘情報が事細かく書き込まれていた。
「あくまで相手は上級アヤカシということじゃ」
「そうですね。人間とアヤカシの戦いに絶対はありませんから。当時【救偉人】のひとりだった堂流くんでさえあんなことに……」
「召喚憑依能力では右に出る者はおらんほど強かった」
「そうですよね。そういえば前六角第一高校の四仮家元校長のお弟子さんも【救偉人】でしたね?」
「そうじゃったな。六角市から【救偉人】がふたりも出るとはなかなかのもんじゃ」
繰の耳にふたりの会話はもう届いてはいなかった、蒼白な顔をしながら過去と向き合っている。
(今度こそ、今度こそ絶対にあいつを倒さなきゃ……)
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